愛すべき嘘つく人たち その2
「友達になりたいんだって〜。この人、森さん。」
小学6年生の時、友人が私に紹介してきたのが森さんとの出会いだった。森さんは隣のクラスだけれど、森さんのお父さんは病院の院長で近所ではそれなりに知られている家なので、森さんのことは前から知ってはいた。病院は我が家の近くで、多分、それで友達になりたかったんだろうと思った。それから、たまに一緒に下校したりしていた。
小学校6年生の2月、私は塾に通うことになった。姉も通っている塾で、この辺りではそれなりに名前が知られている難関大学、特に医学部進学を目指している子どもたちが行く塾で、通塾した人からの紹介がなければ入れないというちょっと敷居の高い塾だった。その塾に森さんも通うことがわかった。週に2-3回、私たちは塾で顔を合わせ、隣の席に座り、一緒に帰ってきた。その中で色々な話をした。友達や恋愛のことが多かった気がする。塾では、もう一人仲良くなった上田さんがいて、私たちはいつも三人で隣同士に座っていた。
森さんは本当によく勉強ができた。上田さんも賢い人で、私は一番落ちこぼれだった。私も学校ではトップクラスではあったのだけれども、この難関大学、医学部進学を目指している塾の精鋭たちの中では、特に理数系が全くレベルが違っていて課題もいつもちんぷんかんぷんだった。時に、問題を黒板で解きなさいと2人組で割り当てられることがあるのだけれど全く解けないので、そういう時は2人組のもう1人が解いてくれたノートを書き写して済ませていた。わからないまま書き写してくるだけだから、当然間違えることもあり、そんな時には先生から怒られたりしていた。
ある時、森さんが塾を休んだとき、上田さんが言った。
「ねえ、黒板で問題解いた時、どんなに間違っても森さんと一緒の時は先生には怒られないよね?森さんは先生に贔屓されてる、医者の子だから」
と言い出した。そんなもんかしら、、、と思って、それから気をつけてみると、確かに森さんと一緒なら怒られない。そのほかにも、贔屓されている生徒は何人かいて、それは皆、医者の子だったり、すでにきょうだいが医学部に進学している人だったりした。つまり、医者の家族や医者になることが予測される生徒以外は相手にされていないのがこの塾だったのだと思う。
私は、塾の勉強についていけなくなり、上田さんとおしゃべりをするのだけを楽しみに塾に通うようになっていた。自習時間にもずっと上田さんと話をしていて、たびたび先生に怒られた。ある時、先生に怒られても怒られても話をしていて、先生がとうとう爆発し「もう、来なくていい」といわれた。
塾の事務をやっている先生の奥さんからも後から電話がかかってきて、母はひたすら謝っていた気がする。私は塾を辞めた。紹介制の塾だから、紹介してもらった人にも迷惑がかかると言われた。一緒に話をしていた上田さんは、私が話しかけているから相手にしていただけで上田さんは悪くなかったということになり、上田さんの親が謝り、そのまま続けることになったようだった。
なんだったのだろうか。
正直、今でも自分でもよくわからない。あんなに怒られても、おしゃべりがやめられなかったのはなんだったのか。一部の生徒を贔屓することへの反抗心だったのか、勉強がわからないからふてくされれていたのか、単に勉強よりおしゃべりがしたかったのか。本当によくわからない。
森さんとの接点はこれでなくなり、ほとんど会わなくなった。
上田さんとはもう一つ他の習い事が一緒で、週に1回は顔を合わせていた。中学3年になり、高校受験の時期だった。
「森さんがY高校じゃなくて、S高校を受けるって言ってる。本当だと思う?」
上田さんは言った。Y高校はこの地域でトップの高校で、難関大学や医学部を目指す人、つまりあの塾に通っているほとんどの人がいく高校だ。私も上田さんもY高校志望だった。S高校はそれより2ランクくらい低い高校だ。森さんが行くべき学校ではない。
「え、嘘でしょ?S高校はないよ、森さんが」
と言うと
「でも何度聞いても、森さんはS高校に行く、もう決めたって言うんだよね。S高校に行ったら、森さんならいつもトップになれるから、それで推薦をとって大学、医学部に入るつもりなのかと思う。」
と上田さん。
中学生にとって、1つでもランクの高い高校に行くことは結構重要なことで、それを2ランク以上も下げた高校に行くなんて信じられなかったけれど、ちょっと変わったところもある人だから、、、と思わざるを得なかった。
そして高校受験の日。受験はそれぞれ志望高校でする。そこで、上田さんと私は仰天した。
「森さん!来てるよ!」
Y高校の受験に森さんは来ていた。やっぱり、S高校でなくY高校を受けていた。私たちは驚愕したまま、受験を終え、そして、数週間後、3人とも同じ高校に合格した。
なんだったのだろう。
上田さんと私は、それから一度くらいは、なんで森さんは私たちに嘘をついたんだろうと話をした気がする。でも、考えてもわからなかった。上田さんと私は、もしかしたら森さんの話はほかにもいろいろ嘘ばかりだったのかもしれないと思った。好きだった人に後から告白された話とか、どこどこへ遊びに行ったとかいう話とか、みんな嘘だったのかもしれない。森さんの話の何を信頼し、何を嘘だったと思ったら良いのか全くわからなくなった。でも、「なんで嘘をついたの?」と森さんを責める気にもならなくて、森さんには何も聞かなかった。
高校はマンモス校で、3年間は私たち3人はバラバラのクラスだったこともあり、ほとんど接点がなかった。会ったら一応挨拶くらいはする程度の仲だった。
森さんは、他のクラスにいてもたまに噂が聞こえてくるくらいには風変わりだった。遠足、修学旅行、体育祭、文化祭など、すべての学校行事に参加しなかったそうだ。クラスメートがどんなに説得しても、彼女は「家族の方針で」と言ったきりすべて参加しなかった。何度か私は聞かれたことがある。
「確か、森さんと仲良かったよね?どうして参加しないか知ってる?」
と。
「うーん、中学生のとき、塾に一緒に行ってただけだから・・・」
のように答えていたけれど、正直、全くわからなかった。医者の娘だから、必ず医者にならなければいけなくて、そのためにずっと勉強しているのだろう、もしくは、親が行事などに参加するより勉強しなさいと言っているのだろうというのが周りの推測だった。
その後、彼女は一浪して医学部に入ったようだった。うちの高校は多い時には半分、少なくとも3分の1位が、志望大学に入るために浪人するのは普通だったので、森さんが特別なわけではなかった。
大学生になってからしばらくして、電車の中で彼女に偶然会った。
「あ、森さん!」
私は手を振ったけれど、森さんはちょっと目を伏せた。話しかけてしまったことを後悔した。森さんは私と話したがってはいなかった。でも、
「どうしてる〜?」
と聞いたら、
「ああ、まあ、大学行ってるよ・・・」
「へえ、どこの大学にしたの?」
「あ、、、まあ、うん、、、」
と大学の名前も、どこの都道府県にあるのかも言わなかった。なんとも気まずい再会は、降りる駅がすぐだったためにすぐに終わった。
森さんの嘘はなんだったのか。
私が母に森さんの嘘のことを話したら母が言った。
「森さんのところは、もともと日本人じゃなかったのよ。お父さんの代で帰化したのよ。だから、これまでも、いろいろ嘘をつかなきゃいけないことが多かったのかもしれないね。」
私たちは森さんの嘘で心が多少かき乱されただけで、何か大きな損害を被ったわけではない。でも、なぜ、森さんはそんな嘘をついたのか。そのわからなさがいつまでも心に残っている。
森さんは、大学を無事に卒業して、医者になったらしい。お父さんの病院は森さんの弟さんが継いでいるから、森さんはどこか他の病院で働いているようだ。森さんは今も嘘をつくのだろうか。嘘つきな医者って、、、、私は嫌だな、、、。
今、森さんに会ったら、あの頃、嘘をついた理由をおしえてくれるだろうか。そもそも、森さんは私たちにそんな嘘をついたことを覚えているだろうか。森さんが嘘をついたことで得られた何かはなんだったのだろうか。
森さんの話も、書いてみて、ふとまた、思う。その1で書いた時と同じ疑問だ。私はなぜ、「愛すべき」嘘をつく人たちというタイトルでこれを書いているのか。愛すべき?森さんを?なぜ、愛すべき、なのか?
きっとなぜ、愛すべきなのか、少しずつわかってくるに違いない。
そう思って書き続けていこう。次の大嘘つきのひとの顔はすでに浮かんでいる。ただ、書けるだろうか、、、と言う不安を抱えている。その人のことを考えると、自分の心の痛みに触れなければならないから。
少しずつ、少しずつ。
(PS 友人の名前は、特定を避けるために変更しました。)