いきなりですが、スピリチュアルな話題を
スピリチュアルに関する話題を嫌う人、または疑う人がいると思いますが、私という人間の重要な一部ですので、書かせてください。本日は簡潔に紹介させていただき、今後この話題に関するより深い私の見解も時々アップする予定です。
私のスピリチュアルなパワー
生まれた時から無神論者として生きてきた私が「自分は癒す力を持っている」と認識したのが十年ぐらい前の事。日本から帰国した際、ICUに入院中で危篤状態の伯母(母の兄の妻)を見舞いに行った時、伯母を抱きしめると私の体からエネルギーが出て行ったのを感じました。翌日、伯母の娘から「ICUから普通病棟に移転した、ありがとう」との連絡がありました。これは「パワー」をポジティブに生かした例ですが、ネガティブに生かした場合もあります。例えば、新入社員時代の過度なストレスにより、家の電球がよく壊れていたこととか。正直、未だにこの「パワー」を思いがままに扱うことができないです。特に、相手がネガティブエネルギーが絶大で、助けを拒否する時は、癒す力は多くの場合は機能しないです。
十年のクリスチャン生活を辞めた訳
三年前の2019年、私は毎週日曜日教会に通い、毎月献金して、信徒達と交わり、教会のあらゆるイベントにできるだけ参加するという典型的な「クリスチャン生活」に終止符を打ちました。強調しなければならないのは、私は「信仰」を放棄した訳ではないです。私は今も神を信じ続け、「キリストイエス」を愛し続けています。寧ろ、今の方が教会にいた時より、信仰と神に対する愛はより深まったと感じています。
「クリスチャン生活」を辞めた理由について、簡単に纏めると「教会」に行かない方が、私にとってより神の愛を実感できるからです。私が信じる神の愛、創造主の愛とは、「自由意志」が土台となっています。しかし、教会はこの一番大切な神からのギフトを踏みにじり、神の愛からかけ離れた別の何かを「神の愛」という衣を着せて、人々に信じ込ませ、個の自由を無視または排除し、教会という組織に従わせようという現実を目の当たりにしました。つまり、人間を「羊」のように飼いならし、「権威」に逆らわないように調教することです。また、「一神論」の出発点から、他宗教やそれらの信徒を全否定する傲慢な態度に私は我慢にならなかったです。
他宗教や多神論に対する私の思い
教会を辞めた後、刷り込まれた歪んだ認知から脱出する作業を暫く行った後、私はもっと寛容な気持ちでこの世界を見る、理解することを決めました。神社参りをしたり、各国の神話を読んだり、瞑想、タロットカード、数秘、天然石が持つパワーなど、教会でよく「悪魔」と関連付けされたものに触れてきました。結果、あらゆる宗教や文化に、そこには神がいると確信しました。
現在は、自然界に何百年、何千年も存在してきた石達に潜んでいる宇宙から預かったパワーを信じて、ご縁のある誰かのエネルギー循環を良くすることを信じて、天然石を扱うアクセサリーのデザイン、制作に携わっています。
ご興味があれば
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追伸
「自由意志」という観点から、私は「スピリチュアル」を批判する人も尊重します。どのような精神世界を選ぶかは個人の自由です。