母に愛されたいわたし。人を愛するキャパのない母。
正義感に溢れた真面目少女だったわたし。負けず嫌いで、勉強も人より少し得意だったことで、中学までは苦労知らずでした。
ただ100点近い点をとっても、満点じゃないこと、誉めてもらえるどころかわずかにミスした部分をまず指摘される。テスト一つとっても、認められる言葉をかけられた記憶はありません。
なのに、わたしの結果は人前に出ると母の功績になる。
さらに自分が気にしてて言わないでほしいと思ってることを、ズケズケとみんなの前でネタにされ、卑下されることが何より恥ずかしかった。
外に出ると、子供の存在がすっぽり抜けて自分の事でいっぱいになってしまう母。
別の町のおまつりに一緒に出掛けたはずなのに、気づけば知り合いのいる夜店で、さも忙しそうに焼きそば作ってて、弟とわたしのことはほったらかし…
自分の実家に帰省すると、夜は仲間と集まりに勝手に行くことになっていて、たまにしか行かない祖母の家で肩身の狭い父とわたしたち子供が放っておかれる…
なんてことがしょっちゅうでした。
昭和の名残を残し、中途半端な女性活躍をうたわれながら大卒でも結局専業主婦に押し込められた窮屈な時代。ニュータウンに住んで、素敵な家族、いい奥さんのロールモデルを押し付けられた母たち。きちんとやってる体を崩せず、完璧な家族を演出しようとすればするほど、周りと比べて、何者にもなり得なかった自分の人生への不満が、子育てを歪ませてきた世代。
我が家は特に父の収入が裕福といえないことへの不満、それに父自身がもとよりお金に執着がないこと自体に、行き場のない不満が募りに募って、それをどこにも吐き出せないものだから、矛先は見た目だけは大人のような高学年になった長女になり、愚痴を漏出する相手として取り込んだのでした。
でも実際はまだまだ夢の中にいていい子供。
母親に頼られる喜びと、それとは裏腹に信頼していた父への様々な文句を浴びせられて、とにかく混乱でしかない。
元々父とは馬が合い、キャンプへ連れて行ってくれたり、放課後の何気ない時間に仕事の手を止めて近所の友達も構わず遊んでくれたりしていて、大好きな存在だったので。
次第に、父は生活をするための必要なお金を稼がず能無しの最低な人間なんだ、と母によって立派に洗脳をかけられ、その頃から結局結婚すると伝える時まで、同じ屋根の下に暮らしている時期であってもほぼ会話はなかったです。
会話といえば、母からの必要最低限の伝言を伝えさせられたり、学用品で支払いが発生したときのみ、という夫婦の間に立たされて、しかもいつもいつもお金の話。
さらにバブルの当時に母方の実家の圧力で無理やり建てた家のローンが家計を逼迫し、母の父の退職金を充てたことや、母が親戚にお金を借り(しかもなぜかその場にわたしだけ同席させられてた)母は、自分の親戚縁者に顔向けできない、見えないところで身内から我が家は後ろ指刺されている、というような打ち明けてくれなくていい親戚事情まで、赤裸々にわたしにだけ語ってくれていました。
そういうことが幼い頃から日常だったので、お金って惨めなんだとか、相手を困らせてしまうことなんだ、というブロックを大きくさせていくという。
大学進学で家を離れるときも、成人式の姿も結局父には見せず仕舞いでした。