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卒業式のこと。

1年前の3月3日 卒業式。

朝から快晴で、学校は早春らしい爽やかな空気に包まれていた。

2020年3月といえば、新型コロナウイルスの感染が徐々に拡大し始め、卒業式も出来るかできないかの瀬戸際といった状況だった。

式が始まる前の学校は、記念写真を撮る親子で溢れていた。
普段物静かそうなお父さん達も、大きな一眼レフで子どもの晴れ姿を撮っていた。
「えー、この場所いまいちだよ」「もっと可愛く撮ってよ」
そんな声も聞こえるが、文句を言いつつ家族みんな笑っていた。

羨ましかった。

スマートフォンもカメラも持っていない私は、写真を撮ってもらうこともできない。
結局、私が見ることのできる卒業式の写真は、学校のホームページの写真に映り込んでいる後ろ姿のみである。
(友人の携帯の中には何枚か一緒に写った写真が入ってはいるかもしれない。)


ただ、写真がないのは撮るための機器がないという理由だけではなかった。
写真に写りたくなかったのである。
その理由はまた後ほど。


午後からの式は時間短縮という形でとり行われた。
国家・校歌を歌い、その後卒業証書授与。
今年は時間短縮のため代表者一名が受け取る。
代表は私の勉強仲間の1人。
壇上に上がると、赤い袴がより一層華やかに見える。
私は友人が卒業証書を受け取るのを複雑な思いで見ていた。

そしてその後、学校長式辞。
私の通っていた高校はほぼ100%が大学進学を希望しているような高校である。
「大学生活に期待を膨らませ旅立たれると思いますが…」
期待?確かに期待もちょっとはある。
でも、ほぼ、不安。
施設も出て行かないといけない。
誰も知り合いがいないところで一人でやっていかなければいけない。
何より、逃げれる場所がない。
普段から長い校長の話が、より一層長く感じた。

そして、退場。
あぁ、ついにここも居場所じゃなくなるのか。
いつも受け入れてくれた学校。
入り浸っていた学校。
退場していく時、もう2度とこの学校を訪れてはいけないような気がして、一気に涙が溢れてきた。

3年間ありがとうございました。
普通の中学校に3ヶ月弱しか通えなかった私は、高校生活を皆勤で終えられました。


そんな私だが、卒業式に出ようか直前まで迷っていた。
理由はただ一つ。
袴を着れない。
私の高校は制服がなかったので、卒業式では女子は(ほぼ)全員袴を着る。

お金はなくもなかった。
でも、それは進学費用のために貯めたお金であって、袴を着るために使う許可はおりなかった。
入試用に買ったスーツを着た。
実は式の一週間前、卒業証書を受け取る役割をお願いされていたのは私だった。
すごく嬉しかったし、3年間が報われたと思った。
でも、翌日辞退した。
スーツで受け取りたくない。ただ、それだけの理由だった。


結局、ちゃんと先生にもお礼を伝えたいと思い出席した。
当日、スーツで行くと、「え、何でなん??」という顔をされつつ誰もなにも触れてはこなかった。
ただ、気になっているということは伝わってきたので気まずかったのは確かである。

卒業式は私にとって、あまり良い思い出にはならなかった。


1年経った今考えること

1年経った今考えてみて思う。
スーツを着ていることは、そんなに恥ずかしがることだったのだろうか。
本来服装は自由であるはずだ。
しかも、もう卒業するのだから、周囲からなにを思われようと関係ない。
卒業式というものが、高校生活の中で、周囲との違いを強く感じることとなった最初で最後の出来事であったからこそ、余計辛い記憶になってしまったのだとは思う。

服装のせいで、卒業証書を受け取ることを諦めた。
写真を撮ることを諦めた。

確かに周囲にも怪訝な顔をしてくる人はいた。
ただ、あの時の服装を1番馬鹿にしていたのは私なのではないか。

まずは自分自身を受け入れ入れること。
それが出来るようになった時、より生きやすくなるのではないかと思う。

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