NHKスペシャル 山口一郎 ”うつ"と生きる を受けて
書きたいことが山ほどあるのに書けずに時間ばかり進んじゃうな。
ちなみに今下書きにあるのは、十数年ぶりにコントラバスを弾き始めた話。
ただ、今。リアルタイム視聴した今書きたい。
適応障害と私(以下シンプル隙自語)
初めて適応障害と診断されたのは大学二年生のころだった。でも、今思い返すとどうして適応障害になったのかあまり思い出せなくて、精神科にかかって薬をもらって、ちゃんと飲んで、日常生活が送れるくらいには戻った。
それから5年後、再度、適応障害に伴ううつ病の診断を受けた。爆裂簡単に説明すると、勤めてた会社が鬼ブラックだったのと、好きな男に3股かけられてたのが発覚して爆発した感じ。
毎日死ぬことばかり考えていて、身体は鉛のように重たくて、黙っていても涙が出てくる。早く消えてなくなりたくて、壁に頭を打ち付けたり、身体を思い切り叩き続けたりしていた。でも手首切ったりとかはしなかった。切るなら首かっ切って死のうと思っていた。
薬はもらったし飲んだけど今回は全然効かなかった。とにかく酷い希死念慮と倦怠感で精神科にかかることもできなかった。
「就活失敗して第二新卒として正社員で雇ってもらえた会社でちゃんと働けなかった自分」と「好きな男に選ばれなかった自分」と「職も男も失い、同級生たちはきっとまともに働いているであろうにそれすらできない自分」、あとおまけで「病院に行かなきゃいけないのにいけない自分」とか「親に死ぬほど迷惑かけている自分」とか、とにかく自分を責めれる要素が無限にあった。
鬱というか、適応障害というか、自分の気持ちに折り合いをつけるという面で一番苦労したのは「できない(あるいはできなかった)自分を認めること」だった。
最初の診断から次の診察に行けたのは確か半年後ぐらいだったと思う。
その間は好きだった男のせいで野球もほぼ見れなくなったし、多分助けられたのはうんこちゃんとかの生配信だったと思う。見るわけでもなく、ただつけてるだけ。それでも人の声がするというのは結構安心するものだった。
母から言われたのは「とにかく時間をかけていい。こういうことは大体時間が解決する。それまでゆっくりしてなさい。」ということだった。
とにかく時間をかけた。ゆっくりゆっくり。身体が動くようになるまで、ちゃんとお風呂にはいれるようになるまで、朝寝る生活から、夜寝て朝起きる生活になるまで。
そうして月日をかけて症状がある程度ましになるぐらいにはなれた。でもやっぱりこの病気というか症状は、寛解するということはなく、今でも朝から晩までベッドの上で何もできないとか、ひどい希死念慮に襲われることもあるし、夜眠れない、朝起きれないは正直よくある。
よく例えられる話として、ゆで卵が生卵に戻らないのと同じで、一度茹で上がってしまったら元の状態に戻すことは多分できない。けど一番ひどかった本当に何もできないときよりはましだから何とか出来てる。できなくてもそれはそれでいいと思う。すっごい詰まるところ私は自らの手では死ねないという結論付けをしたので、いくらド酷い希死念慮が襲ってこられても価値観が違うのでお帰りくださいという感じで折り合いをつけている感がある。
山口一郎に対して
サカナクションを好きになったのはアルクアラウンドの時だった。あの頃から本当にいつ見ても背負いすぎだし、いつ見てもお前ちゃんと飯食ってんのか?しか思えないし、いつ見てもメンバー個人のため、バンドのため、音楽のために過剰なまでのストイックさを見せていた。
ちなみに前のアカウントとかは5日に1回ぐらい山口一郎飯食えって言ってた気がする。
だから、山口一郎休養とか、サカナクション活動休止とかは正直「来るべくして来てしまった」という感想だった。
いつ来てもおかしくないというか、今までよくならなかったなって思ってた。自分もなったから余計に。
そして今日、【NHKスペシャル 山口一郎”うつ”と生きていく】が放送された。
終始「あ~わかるわ~・・・」となっていた。ずっと、ちょっと良くなったり、ガーンって悪くなったり、一進一退が繰り返される感じ。好きなものが手につかなくなる感じ。とにかく興味がわかないとか。焦りもあるし。不安と同居し続けなければならない。
また、この病気はうつる、と言ったら言い方は野暮だけど、他人を引きずり込む引力のある病だ。実際、サカナクション好きの知り合いが「自分は、いつかゆで卵になってしまうんじゃないかっていう不安が2年前ぐらいからあるから、これは見れない。」と言っていた。もしかしたらこの放送を見て当てられてしまう危険性はあるかもしれない。
ただ、今、私が心の底から思っていることは
「それでも、死ぬことは選ばなかったじゃん。生き続けたじゃん。」
あんなにどうしようもない毎日で、苦しくて辛くて、生きることを諦めようと考え続けた日々だったのに、それでも死ぬことを選択しなかった。この世は地獄かもしれないけど地獄でも生き続けた。今、この瞬間に意識があって、思考ができて、息を吸っているということは、本当に自分の誇りの一つとなっている。
私は自殺という選択肢を否定はしない。
その人にとってはその選択しかなかったんだと思う。
その選択肢を選んでしまったことは悲しいけど、その苦しみを負うことはもう無くなったんだなと思う。
苦しさや辛さとともに生きていく人は、私も含め、もうあの頃には戻らないようにしたいね、と言いたい。
周りの人は、難しいかもしれないけど、私はあまり変わらず接してくれたら嬉しいなと思っている。
サカナクションツアー2024 turn には4/20の幕張メッセ初日に行った。
サカナクションのライブに行くのは実は21とか2の時以来かな。
だから久しぶりに生で歌う一郎、演奏しているメンバーを見たのもあるし、サカナクションがこういう状況だったということもあって本当に感無量だった。
放送でライブのネタバレがバッッッッッッチリされていたのはちょっと笑っちゃったんだけど、ただただ、とにかく、
「ありがとう」
この一言に尽きます。
様々なことに対してありがとう。そしてやっぱり私はサカナクションが大好きでした。江島の涙エモすぎる・・・
私はこの後追加公演の横浜2日目とSLSも行く予定です。
一郎さんはとにかく無理をしないでほしい。たとえば途中で「無理!」ってなっても、きっとみんなしゃーない、ゆっくり休みやってなると思う。
忘れたり、見放したりしないから、安心して、自由に、楽しく、音楽やってくれ。心からそう願っています。
さて、私が吹奏楽に戻る決意をした記事はいつ公開になるでしょうか。公開させることを当面の目標といたします。