税理士になるまで#4出来事

はじめに

この記事は、大学3年生の夏に書いている。
初の税理士試験を終えた一週間後の月曜日だ。

今回は、私が簿財の勉強を開始してから本番までの出来事について、時期別に残したいと思う。


3~2級復習時(5月)

この頃は地元に帰省していた。家では勉強に集中できないので、近くの公民館にある図書室で勉強の許可をもらい、問題を解いていた。

普段いる受付のおじさんは図書室の利用を快く受け入れ、稀に「頑張ってね」と言ってお菓子を差し出してくれた。

しかし4日目あたりで、受付のおじさんが変わっていた。ずっと新聞を読み、気難しそうな人だった。

その日に20分くらい勉強をしていると、そろそろとおじさんが図書室に入り「勉強はやめてくれますか?」と言われた。

前は許可をもらえた旨を話しても、聞く耳を持ってくれなかった。それ以降は、自転車で県立図書館まで行って勉強した。

基礎期①(6~12月)

この時期から簿財の勉強を始めた。勉強時間は少なかったものの、最初が一番大変だった。

まともに勉強した経験がなかったので、毎日勉強を継続するのがこんなに難しい事だとは思っていなかった。

そんな中、高校時代にジョギングをやっていた事を思い出した。私は運動が大の苦手であったが、少ない距離から徐々に伸ばすことで習慣化に成功した。

この経験を生かして、この時期は時間に関係なく、ノルマをこなせば勉強を終えるようにしていた。

基礎期②(1~3月)

年末年始は勉強を休み、成人式に出たり、友人と遊んだりした。

成人式では、男子は男前になっており、女子も皆、凄く綺麗になっていた。女子アレルギーの私は恥ずかしくて、女子を1人も直視できなかった。

絶対に声を掛けると決めていた人がいた。
当時、頻繁に話しかけてくれたのに、そっけない態度をとってしまった事について謝りたかった。
しかし、恥ずかしさと周りからの冷やかしを恐れ、同窓会の最後まで勇気が出なかった。

自分の席に着くと、中2の立志式で目標を書いた色紙が置かれていた。
私の色紙には、名前ペンで「努力」の2文字がほっそりと書かれていた。
すごく恥ずかしかった。

高校時代の恩師と話す機会があったが、資格勉強について聞かれても濁して答えた。同窓会では、友人との会話で一瞬だけ税理士・会計士が話題に上がったが、語りたい気持ちをぐっと堪えた。

初詣では、絵馬に試験合格と彼女を祈願した。受験生であることを打ち明けている友人は、すぐさまそれを写真に残した。

彼も小学校の教員を目指しているので、お互い成就して楽しい卒業旅行ができたらと考えている。

基礎期③(3~4月)

直前期に入る前の4月下旬ごろ、基礎期の講義も一通り終えたということで、簿財の過去問に挑戦してみた。

結果は両科目とも20点くらいしか得点できず、本試験との壁に絶望してしまった。過去問をベースとした問題集でも高得点が取れるようになってきたのに…

このことを、月に1回程あるZoom質問会で富田先生に打ち明けた。すると富田先生は笑い、「基礎知識の定着が目的の時期に本試験レベルの問題ができないのなんて、極々当たり前の話ですよ!」と、励ましの言葉をくださった。

先生の言葉で少しだけ元気が出た。

直前期(5~8月)

私は、直前期から通学講座を利用した。

富田先生は、私が講義時間より少し早めに来た時、フレンドリーに話しかけてくれた。宮崎から上京してきたことや貧乏学生であることをネタに、どんどん話題を広げてくれた。

先生の故郷である小田原の話や、これまでに出会ったやばい人の話を聞くのが楽しく、気が付けばあっという間に講義の時間になっていた。

当初は元を取るため、本番に近い環境で模試や答練を受けるために参加した直前期の講義であったが、先生とお話することで、直前期で焦る気持ちが落ち着くといった意外なメリットを享受できた。

ちなみに、今でも先生との初めての会話内容を覚えている。
「え、お仕事何されてるんですか?」「学生です…」「あっ…」
…ジェラードンみたいだった。

試験前々日(8月4日)

午後に、富田先生が対面の質問会を開いていたので参加した。この日は過去問を解いていた。

富田先生に前泊する旨を伝えると、「都内なのに前泊するって、保守的だねぇ笑」と笑われた。
「遅刻なんかしたら、1年間の努力がパーじゃないですか!」と必死に反論したら、先生は爆笑していた。

2時半ぐらいから参加した質問会であったが、先生との話が楽しく、気づいたら8時前になっていた。

帰る前に、富田先生から「池袋は治安が悪いから気を付けて」「所沢方面の電車に乗らないように気を付けて」「前日は一番成績の良かった答練を解き直してみて!」といったアドバイスを頂いた。

試験前日(8月5日)

試験会場は、武蔵大学の江古田キャンパス。

自宅から試験会場までは約50分。通えない距離ではないが、試験開始が9時だったのもあり、池袋のアパホテルに泊まった。

夕方にチェックインしてからすぐに、大盛ペヤングを2箱購入した。大盛という割には大して量もなく、あっけなく完食してしまった。

1箱じゃ正直物足りなかったが、カロリーを見ると1,000を超えていたので、残った1箱は明日の朝に食べることとした。

テレビをつけると、メニュー画面に卑猥なものが映っていた。しかし、「試験前に致すと成績が悪くなる」という迷信を信仰していた私はこの欲求を何とか抑え、地デジのボタンを押した。

この時、初めてオリンピックが始まっていることを知った。
こち亀に登場する日暮熟睡男の浦島太郎的な感覚が、ほんの少しわかった気がする。

試験当日(8月6日)

この日は、朝の7時半ごろにチェックアウトした。

寝坊が怖く、スマホのアラームと目覚まし時計、モーニングコールの三刀流で対策したが、寝心地がよかったので熟睡でき、6時前に起きてしまった。

富田先生は「試験前は緊張して眠れないと思いますが、それは皆さんが努力してきた証です。」と仰っていた。
私は努力が足りなかったのだろうか…

ちなみに駅では、間違えて所沢方面のホームに立っていた。
心配になり、周りの人に質問してなんとか正しい電車に乗れたが、「試験に遅刻する」という考えが頭をよぎり、この日の2番目くらいに緊張した。

本試験の様子は別の記事で書こうと思っているが、簿財ともに待ち時間中は、king gnuの『飛行艇』を聞いていた。

周りの受験生は、必死に理論を暗記していた。
「いや、お前も理論の勉強しろよ…」と、当時の自分に言ってやりたい。

おわりに

当初は勉強内容も一緒に入れるつもりだったが、その時期にあった出来事の比重が高くなったので、それについては別の記事で書くことにした。

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