真宗学の4つの領域と「信仰」|大学院学びレポート①
こんにちは。秦ショウケンです。北海道にあるお寺に生まれ、今はスタートアップでメンタルケアアプリの開発に携わりながら、龍谷大学大学院で浄土真宗の勉強をしています。
色んな方に支えられながら今、大学院で勉強できているので、せっかくなので学んだことや感じたことを新鮮なうちに書き残しています。毎週末に更新する予定です。
今週のハイライト|真宗学の4つの領域と「信仰」
大学院生活の第一週目でした。授業は8コマ取っています。今週はオリエンがメイン。オリエンを通して、これから自分が学んでいく真宗学とはどういうものなのかを学びました。
真宗学の真宗とは浄土真宗のことですが、浄土真宗学という学問分野には大きく4つの領域があります。「教義学」「教学史」「教理史」「伝道学」です。これらは横に時間軸を取ると、以下のように表現できます。
まず入学してギャップがあったことなのですが、真宗学の4つの領域のうち2つは「史」がつくんですね。つまり歴史学に近い領域です。古い経典や書物を辿りながら、浄土真宗にまつわる歴史的思想的変遷を辿っていきます。
これは、言うならば「宗教」というものの成立を、俯瞰して客観的に分析していく作業です。
普通の歴史学ならこのアプローチで全く問題ないのでしょうが、こと「宗教」というものになるとちょっと難しい。
どういうことかというと、「信じなさい。されば救われる。」というような超自然的なものを、あえて論理的に分析していくということですから、言ってしまえば「人間による神殺し」のような感覚を覚えました。
実際、先生方は、これまで僕が出会ってきたお坊さんならではの「有難いっぽい言葉」や「それっぽい言葉」で煙に巻くようなことはせず、淡々と論理的に分析していく。わかりやすくてありがてえ〜という反面、ちょっとドライさも感じました。
同期が師匠に「学問から信仰は生まれない。信仰から学問は深められる。」と言われたそうです。
確かにそれは納得できるなと思いました。
僕としては、「南無阿弥陀仏よくわからないし信仰心ないけど、そんなんでお坊さんやっていいのかな?」という気持ちから入学を決意した大学院だったので、果たしてどうなることやら。
一生懸命授業で勉強をしているだけじゃ、お坊さんとして足りない気がしたので、学外のお坊さんにも会っていきたいなと思いました。
印象に残ったこと
仏教学と真宗学
龍谷大学には、仏教学専攻と真宗学専攻があります。仏教学では、釈迦がインドで初めに開いたオリジナルの仏教について学びます。真宗学では、親鸞の浄土真宗を学びます。釈迦は紀元前の人ですから、親鸞さんが浄土真宗を開いた時代と、1500年ほどのギャップがあります。
インドで開かれた仏教は、シルクロードから中国に渡って日本に伝わり、聖徳太子が国内に広めていったわけですが、その変遷の中で仏教はスーパー超絶多様化しています。
なので、釈迦の仏教と親鸞の浄土真宗では、異なる部分が多々あります。これは浄土真宗に限らず、真言宗にせよ曹洞宗にせよ日蓮宗にせよ釈迦の仏教とは異なる部分が多いのですが、そうすると「こっちの仏教書ではこう言ってたのに、こっちの仏教書では全然違うこと言ってるぞ?」というようなことが起こります。この差異は、立脚する教義が違うだけなのですが、これが仏教を理解しづらくさせています。
実際、僕も釈迦の仏教と親鸞さんの浄土真宗の繋がりがよく見えていません。
そこで、同じ授業を取っている仏教学の専攻の人に、釈迦の仏教と親鸞さんの浄土真宗をどう整理しているのか、聞いてみました。
すると、「私はもう全く別のものとして考えています。」との回答。えーここまできっぱり割り切っちゃうのか〜と新鮮な思いでした。仏教多様すぎ〜。
親鸞さんは経典マニア
ある授業で先生が「親鸞さんは経典マニアのちょっと変な人だったんですよ。」と言っていました。なんだその友達みたいな言い方は。
親鸞さんが思想の拠り所とする7人のお坊さんがいます。親鸞さんはそのお坊さんたちが書かれた経典の写しや訳書をダブりありで多数所有していたそうです。親鸞さんは同じお経で翻訳者が違うものを複数持っていて、自分の著書に、それぞれの本からちょっとずつ引用したりしていることがわかっています。
今の感覚で考えると、どれだけ好きな本があっても、翻訳者違いで複数冊所持したりしないですよね。しかもそれぞれめっちゃ読み込んでるという。
これを指して「経典マニア」と。なるほど確かにマニアだ。笑
この話自体も面白いなあと思うのですが、僕が興味深いと感じたのは、先生が親鸞さんのパーソナリティにまで言及していて、親鸞さんを一人の人間としてみていることでした。
宗教の開祖ですから、神格化されるのが普通かと思いますが、特に浄土真宗は、親鸞さんを等身大の人間として感じている人が多いように思います。この先生は、親鸞さんと同じ目線に立って考え、学んでいるんだなと感じました。
そういうスタンスも僕にとってはとても新鮮で、でもちょっと安心感を覚えました。僕にとっては、憧れの大先輩的な感じなんですよね。親鸞さん。ちなみに僕にとっては樹木希林さんも親鸞さんと近いところにいます。
疑問・深めたいこと
入学時からアップデートはないですが、大学院で勉強したいことはざっくり3つ。
1つ目は「信心」を深く捉えられるようになること。
浄土真宗は「南無阿弥陀仏」の念仏をすれば救われる。というすごくシンプルな教えです。でもただ念仏するだけでは意味がなくて、阿弥陀様の救いのはたらきを信じる心=信心 が大切だと言われます。この信心は、信仰と言い換えられるでしょう。
釈迦の仏教は、宗教というより哲学なのですが、浄土真宗は「信心」が要となりますから、宗教っぽさがかなりあります。論理的に親鸞さんの思想を辿っていくことはできますが、最後は崖からジャンプして論理を手放し信仰に身を任せる態度が必要になります。
僕はこれがどうしてもできない。でもここが肝心要なので、掴めていない状態だと、浄土真宗について語る全てのことがぐらついてしまう感覚があります。この2年で、なんらかの発見をしたいです。師匠と呼べる人に出会って学びたいと思っています。
二つ目は、現代における仏教の価値を見つけること。
三つ目は、仏教の死生観を学ぶこと。
はい、詳しい説明は疲れたのでまた気が向いたときに書きます。
というわけで、総じて楽しいです。まずは大学院生活スタートダッシュ切れました!
これからどんどん学びを深めて、親鸞さんみたいになりたいです!
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