浄土真宗における「二人称の死」の受け止め|大切な人の死を、浄土真宗ではどう受け止めるか
はじめに
この文章は、筆者が大学院で提出した修士論文を、平易な文章に書き直し、要約したものです。(でも結局2万字くらいになってしまいました。🙇途中途中に出てくる引用箇所は読み飛ばしてもらっても内容を理解できるようにしています。)
・
仏教の主題は、自らの生死の問題を解決することにあります。すなわち「一人称の死」の問題です。一方で、自分が生きている間に実際に経験しうる「死」は、自分以外の誰かの死、すなわち「二人称の死」しかありません。特に、本当に大切な人の死というのは、自らの死と同じくらいにつらいものであるように思います。
また、現代人の仏教との接点の最たるものは葬儀ですが、葬儀で直面するのも「二人称の死」の苦しみです。これに対して仏教はどのような教えを示してくれるのでしょうか。意外にも真宗学の分野において、「二人称の死」に着目して書かれた先行研究はそう多くはありません。
そこで本論文では、仏教の中心的な課題としては扱われない二人称の死に焦点をあて、二人称の死の苦しみに対して浄土真宗はどのような道を示しうるのかを考察することを目的としました。
また、より客観的に検討を行うために、「死生学」における二人称の死の受け止めを比較の対象として取り上げ整理し、浄土真宗の特色を明らかにしました。
僕が修士論文にこのテーマを選んだ背景には、僕自身の実経験があります。僕は三年前に親友を交通事故で亡くしました。そのとき僕は、お寺に生まれて仏教に触れてきた身でありながら、突然訪れた死という現実をどう受け止めれば良いのか全くわからなくなってしまいました。遺族も、友人たちも、同じような状態であったように思います。
僕はその親友の葬儀を勤めさせていただきました。そのとき一人の友人が、ある問いを投げかけてくれました。
それは「死んだら終わりなのだろうか?」という問いです。僕はそれに、うまく応えられませんでした。この問いに自分なりの納得解を導き出すことを、本論文のゴールとして、研究をスタートさせました。
第一章 「死生学」における二人称の死の受け止め
二人称の死の定義
本論文で扱う死は「二人称の死」です。「二人称の死」はフランスの哲学者ジャンケレヴィッチが提唱した言葉です。
ジャンケレヴィッチは、死を三つの人称、すなわち「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」に分類して定義を行いました。
一人称の死とは、私自身の死です。二人称の死とは、親しい他者、主体的関係性の中で「あなた」と呼べるような他者の死です。三人称の死とは、それ以外の他者の死、つまり直接的関係を持たない他者の死です。
本論文では、「二人称の死」に焦点を当てて考察を進めていきます。
死生学における二人称の死の研究範囲
本論文では、客観的に仏教における二人称の死の受け止めを検討するために、まず「死生学」における二人称の死の理論を確認し、比較する形で検討を行います。
「死生学」は、医学、心理学、教育学、宗教学、哲学など様々な分野からなる学際的な学問分野であり、人間の生と死にまつわる諸問題を、分野横断的に探求していく学問分野です。
死生学は死にまつわるありとあらゆる問題が研究対象となりますが、ハネロア・ワスは、死生学の領域を四つに分類しています。それは、
・死(Death)
・死にゆくこと(Dying)
・死別(Bereavement)
・自殺や殺人といった破壊的行為(Destructive behavior)
の四つです。このうち、二人称の死の受け止めは、ワスの分類においては主に死別(Bereavement)に含まれます。そこでこの死別(Bereavement)とその悲嘆のケアの領域の研究に焦点を絞り、理論の変遷を概観していきます。
フロイトの「悲哀の仕事」
死別の悲嘆に関する初期の研究としては、フロイトが提唱した「悲哀の仕事」が挙げられます。「喪の仕事」とは、死から目を背けずにきちんと悲しみ、多くの時間とエネルギーをかけながらも、その過程を経ることで故人への愛着から解き放たれる、という理論です。この「喪の仕事」によって、自律的な個人が再構築され、新たな人間関係を形成していくことができると考えます。
この理論は、のちの死別悲嘆の研究・臨床現場の土台となっていきます。
フロイトの対抗としての「継続する絆」理論
その後、このフロイトの理論に対抗する理論が出てきます。デニス・クラスらはフロイトの理論を「切断モデル」として批判し、「継続する絆」という新しいモデルを提唱しました。フロイトの「喪の仕事」は、悲しみに向き合いきって、最終的には故人との絆を切り離すことが目標となります。
それに対してクラスらは、実際に遺族が重層的な悲嘆を克服し切ることは難しいという立場をとります。「継続する絆」とは、故人との絆を切断せず、絆を継続させながらも、病的なうつ状態にも陥らずに精神的に健康な状態を保つことが可能だという考え方なのです。
また、日本の先祖供養の形がこのモデルを最もよくあらわしているとして、先祖供養の文化の意義を強調しつつ、愛する者の死を受容するためには、フロイトの理論のように意識的に死者を乗り越える努力をするのではなく、むしろ儀礼や祈り、心の中での対話など、死者との絆を継続していくことが必要なのだと主張します。
ニーマイヤーの「意味の再構成」
ニーマイヤーは、クラスらの継続する絆の理論を踏まえつつ、悲嘆における中心的プロセスは、「意味の再構成」であると主張しました。
人は、愛する者との死別、つまり二人称の死に直面したとき、それまで持っていた意味構造が大きく揺らがされます。その喪失が大きなものであるほどに、意味構造は壊され、より根本的な再構成がなされることになります。
この考えをもとにニーマイヤーは、死別などの大きな喪失体験と向き合っていくには、その体験を新たに意味づけていくこと、そこに自分なりに納得できるストーリーを見出し意味構造を再構成してゆくことが不可欠なのだと主張しました。
ニーマイヤーは、この理論に基づいた臨床アプローチの手法を提唱しています。例えば遺族が故人に対して話したいことを話し、次に故人になりきって返事をすることを通して、故人の思いを自らの中に意味づけていくワークや、故人のライフストーリーを書くワーク、故人との思い出の場所を巡る、儀式を行うなどといった手法があります。
ウォーデンの「課題説」
最後に、ウォーデンの「課題説」という理論を紹介します。ウォーデンは1980年代に『悲嘆カウンセリング』を出版し、悲嘆におけるカウンセリングとセラピーの理論をあらわしました。そして現在に至るまでその理論をアップデートし続け、2022年に第五版となる改訂版が出版されています。
「課題説」は、喪失後に人がたどるプロセスをモデル化した理論の一つです。ウォーデンは、喪失に適応していくためには、喪の過程における四つの基本課題に向き合う必要があると言います。
課題の一つ目は「喪失の現実を受け入れること」です。悲嘆の只中にいる人は、ときに死を否認します。すなわち死の現実を信じません。そのため課題のまず一つ目は、死の現実と正面から向き合うことです。時間を要するプロセスではありますが、死別への適応は、まずこのプロセスから始まります。
次に課題の二つ目は「悲嘆の痛みを消化していくこと」です。喪失には、身体的な痛みから精神的な痛みまで、大きな苦痛を伴います。しかし、この苦痛を避けたり抑圧し続けていると、その時はよくても、どこかで身体的症状や精神的な問題を引き起こすことになります。時間が経つほど向き合うことが困難にもなりうるので、どこかでこの苦痛を認め、消化していく必要があると言われます。
課題の三つ目は「故人のいない世界に適応すること」です。愛する人を失った後に取り組まなければならない三つの適応領域があります。日常生活での役割やスキルに及ぼす影響を扱う「外敵適応」、故人がいなくなったことによる自己感覚に及ぼす影響を扱う「内的適応」、これまで持ってきた信念、価値、世界についての認知的枠組みに及ぼす影響を扱う「スピリチュアルな適応」の三つです。
一つ目は「外的適応」です。ここでは日常生活での役割やスキルに及ぼす影響を扱います。例えば夫を亡くした母親が、夫が担っていた役割の多くを引き受けなければならないといったことです。二つめは「内的適応」です。ここでは、遺された人の自己感覚に及ぼす影響を扱います。死別は遺された人のアイデンティティを大きく揺るがす出来事になります。自らのアイデンティティの多くが、故人との関係性によって支えられていたことに気づかされるとき、これらの変化にも適応していかなければなりません。最後は「スピリチュアルな適応」です。ここでは、これまで持ってきた信念、価値、世界についての認知的枠組みに及ぼす影響を扱う。ウォーデンはここでニーマイヤーの「意味の再構成」理論を取り上げ、破壊された意味構造の再構築をすることが必要だとしています。
最後に課題の四つ目は「故人を思い出す方法を見出し、残りの人生の旅路に踏み出す」です。ウォーデンはこの四つめの課題について、何度も再検討を行い改訂版を出し直しており、最新の第五版ではクラスやニーマイヤーなどの近年の研究を反映した内容となっています。
この課題の意味は、大切な人との絆を感じながら、なおかつ人生は進んでいけるような形で愛する故人を思い出す方法を見つけ、残りの人生に新たなエネルギーを注いでいくということです。
最も難しい課題ではありますが、この課題に対し故人との新たな関係性を見出すことで、喪のプロセスは完了すると述べられています。
最後に、この理論の中でウォーデンが繰り返し指摘していることがあります。それは「一人ひとりの悲嘆は似ているが、一人ひとりの悲嘆は誰の悲嘆とも似てはいない。」ということす。つまり、臨床経験から共通点を見出し理論化することはできるが、一人ひとりの悲嘆は個別性を持ったものであり、理論に押し込めすぎることは危険だということです。
ウォーデンは、この理論を元に、「悲嘆カウンセリング」を提唱し、臨床現場でもグリーフケアの実践的な理論として活用されています。
第一章のまとめ
ここまで、死生学における死別悲嘆の理論を概観しました。フロイトの「喪の仕事」から、対抗する理論としての「継続する絆」モデル、それらを踏まえた比較的新しい「意味の再構成」、近年の研究を取り入れアップデートされたウォーデンの「課題説」までをまとめました。
その中で、本論文では特にニーマイヤーの「意味の再構成」、そしてウォーデンの四つの「課題説」を悲嘆研究の先端的な研究成果として取り上げて、次章より検討する浄土真宗における二人称の死を考えるための足がかりとしていきます。
第二章 「釈迦・親鸞」における二人称の死
第二章では、いよいよ仏教における二人称の死の受け止めに入っていきます。
ただし、仏教における二人称の死の受け止めを、釈迦の時代から現代までに至るまですべて確認するには膨大な作業を要するため本論文では、特に釈迦、親鸞に焦点を絞り、二人称の死の受け止めにまつわる言葉を集めて、その内容を概観しました。
釈迦の二人称の死の受け止め
釈迦は、言うまでもなく仏教の開祖です。釈迦は、この世は「縁起」という無数の繋がりが重ね合わされて構成されたものであると捉え、関係性によって全ては移り変わり、固定的なものは何もないということを明らかにしました。それを「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」という三法印であらわし、縁起の理法として体系化させました。さらにこの縁起の理法を土台に、人の生きる道を四諦八正道として示しました。これが仏教の基本的な教えです。
さて、釈迦の説いた教えの中に、二人称の死の悲しみに暮れる者へ伝えた言葉が残されています。『スッタニパータ』という書の「大いなる章―矢」では、ある信者が子を失って、悲嘆のあまり七日間食をとらなかったことに釈迦が同情し、彼の家に赴いて悲しみを除くために教えを説いたことが記されています。その中から一部を抜粋してみます。
生まれたものどもは、死をのがれる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。
かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、父もその子を救わず、親族もその親族を救わない。
見よ。見まもっている親族がとめどなく悲嘆に暮れているのに、人は屠所に引かれる牛のように、一人ずつ、連れ去られる。
このように世間の人々は死と老いとによってそこなわれる。それ故に賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。
泣き悲しんでは心の安らぎは得られない。ただかれにはますます苦しみが生じ身体がやつれるだけである。
みずから自己をそこないながら、身は痩せて醜くなる。そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。嘆き悲しむのは無益である。
たとい人が百年生きようとも、あるいはそれ以上生きようとも、終には親族の人々から離れて、この生命を捨てるに至る。
だから(尊敬さるべき人)の教えを聞いて、人が死んで亡くなったのを見ては、「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」とさとって、嘆き悲しみを去れ。
己が悲嘆と愛執と憂いとを除け。己が楽しみを求める人は、己が(煩悩の)矢を抜くべし。
矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき者となり、安らぎに帰する。
ここでは、死は人に必ず訪れることであり、自分の力ではどうしようもないものなのだから、悲しんでもなんの利もない。苦悩を受けるだけであるから、人が死にゆく事実を悟って、悲しみの情は速やかに除くべきだと語られています。
これは、ともすれば悲しみに暮れる人を突き放したような言い方とも受け取れます。
しかし、釈迦が説いた縁起の考え方から見てみると、少し違った受け止め方が見えてきます。
死者が生前に生きて、その周囲に及ぼしていた影響は、縁起の関係性の中に生き続けます。実際の存在物としてはこの世からいなくなったとしても、人が存在していた意味、そして与えていた影響は、そのまま無数の人たちの中に残り続けるのです。
つまり「悲しみを速やかに取り除け」という教えは、「生だけに執着し、死をただ喪失として捉えるべきでない」ということを示した言葉であり、その執着から離れて、生死を超えたあたたかな縁起の理法を悟らせようとする導きだと受け止められるのです。
親鸞の二人称の死の受け止め
親鸞は鎌倉時代に浄土真宗をひらいた仏教者です。二十九歳まで比叡山で修行と学問に励んだのち、山を降りて浄土宗をひらいた法然をたずね、念仏の教えに出会います。以降、法然に師事し、法然の往生後も念仏者としての道を歩み、浄土真宗の教義体系を完成させました。
親鸞の著作は多く残されており、その主著として『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』と略す)があります。また、門弟に向けて書かれたお手紙なども、その思想や人物像を知るための資料として有効です。
それら資料の中から、特に親鸞の死生観がうかがえる資料を中心に取り上げて、親鸞の「二人称の死」の受け止めを確認していきます。
ここで、浄土真宗の教えについても簡単に確認しておきます。
***
浄土真宗は、『大無量寿経』という経典に説かれている「阿弥陀仏が全ての人たちを救うために立てられた四八の願いによって、全ての衆生が救われていく」という内容をもとに、親鸞がそれを教えとして体系化したものです。
浄土真宗の特徴は、それまでの仏教の「修行を積み重ねて悟りを目指す」という向上的な道ではなく、自らの限界を認めて、自分の醜い部分や捨てきれない煩悩をしっかりと見つめていくことで、阿弥陀仏の教えに出会っていく、という向下的な方向を持っているところです。
人は、どれだけ善行を積んだり努力したとしても、全てを思い通りにすることはできません。人の死や、戦争などがその典型でしょう。そうした問題に真剣に向き合えば向き合うほど、己の無力さに打ちひしがれ、苦しみは大きくなっていきます。
浄土真宗では、たとえばそうしたどう頑張ってもどうにもできないことにぶち当たったときに、「自分の力でなんでもできるんだ」という自力心が手放されて、「自分の認知を超えた大きなはたらきに身を委ねていく」という生き方に出会っていくのだと説かれます。そのはたらきが具現化されたものが阿弥陀仏という信仰の対象であり、阿弥陀仏に報恩感謝の気持ちでとなえるのが「南無阿弥陀仏」という念仏です。
誤解されがちなところですが、実は念仏をとなえるから救われるのではなく、それすらも必要なく、すでに救われているということに気づかされて感謝の気持ちとしてこぼれるのが「南無阿弥陀仏」の念仏なのだと説かれます。
このように、自力心を手放していったところに本当の救いの境地があると考えるのが、浄土真宗の教えです。
***
(自分で書いていても、わかるようでわかりません。難しい…。)
さて、親鸞は、二人称の死について、どのような態度で受け止めていたのでしょうか。
次の文は、親鸞が門弟の明法房の死について綴った手紙の内容です。
この手紙では、明法房の死は、阿弥陀仏の本願に帰して浄土に往生したということなのだから、めでたく尊いことである、と述べられています。ここより親鸞は、ただ阿弥陀仏のはたらきを信じれば、仲間の往生はめでたいことだと受け止めていることがわかります。
一方で、自分の周りの者が抱く二人称の死の悲しみの気持ちに対しては、少し違う側面から浄土の教えを伝えています。
次の手紙は、弟子の蓮位が親鸞に確認して書いた手紙で、同じく弟子の覚信の往生を子の慶信に伝えた手紙です。
覚信は、病をおして親鸞の元へと赴き、そこで念仏を称えつつ静かに往生しました。親鸞は、この事実を息子の慶信に手紙で伝える中で「ことに覚信坊のところに、御なみだをながさせたまひて候也。」とあるように、覚信の往生を想って涙を流されたと記されています。また「よにあはれにおもはせたまひて候也。」とあり、本当に深く悲しまれていたことがわかります。
その涙は、往生がよろこばしくめでたいことだというだけの涙ではなかったことでしょう。つまり親鸞は、自然にあふれてくる悲嘆もそのままに受容し、悲喜交々の涙を流していたのです。
またこの手紙でもう一つ注目したい点は、
という箇所です。ここの意味は、
「先立ったりあとに遺されたりするこの世のならいは、哀しく嘆かわしいとお思いでしょうが、先立って滅度のさとり(極楽浄土)に到達されたのであれば、最初に有縁の人を導き救う誓願をおこし、かかわりのある人、親族、友人を導くことでありますから、たのもしく思われることであります。」
ということです。
先に往生した人は、遺された人たちを導き救うためにこの世に戻ってきてくれる。遺された人はこれからも亡き人に導かれて生きていけるから、頼もしいことである、そう教えられるのです。
さて、これは、どのような教義的背景にもとづく言葉なのでしょうか。これは、「還相回向」という教えに基づくものだと考えられています。親鸞は『浄土和讃』という和讃(民衆にわかりやすく伝えるために編集した短歌のようなもの)に、還相回向の教えについてこう述べています。
この和讃では、往生して浄土に到達した人は、この世界に還ってきて、釈迦のように人々を導き、際限なく衆生を利益する。と説かれています。
ここより親鸞は、「還相回向」の教えに基づき、死の悲しみは避け難いが、亡き人は浄土から還って仏のように、まず親しき人たちを導いてくれるから、遺されたものにとって頼もしいものであると受けとめていたことがわかりました。
以上をまとめると、親鸞は二人称の死を、極楽浄土へたしかに往生することのめでたさと、死したものが導きに戻ってきてくれるたのもしさの、両面から受け止めていることが確認できました。
これは、教義の言葉では「往相回向」「還相回向」という言葉で説かれるものです。
第三章では、この往相回向・還相回向の教義を確認しつつ、特に還相回向に焦点をあて、浄土真宗の二人称の死の受け止めについてさらに詳しく考察していきます。
第三章 還相回向を鍵概念とした二人称の死の受け止め
親鸞は二人称の死を、往相回向・還相回向の教えを通して受け止めていたことを確認してきました。第三章では、特に還相回向を鍵概念として、浄土真宗における二人称の死の受け止めをさらに考察していきます。
還相回向とは
まず始めに、往相回向・還相回向の教義を確認していきます。
親鸞はその主著『教行信証』の冒頭に、浄土真宗の綱格を示し、
と明かしています。ここに示されるように、浄土真宗の教えとは、「往相」と「還相」の二種の道からなる教えなのです。
「往相」とは、往生浄土の相、すなわち私が浄土に向かって往生成仏してゆくすがたであり、命終わるそのときに、浄土に生まれて悟りを得ることをいいます。
「還相」とは、還来穢国の相、すなわち浄土に往生してさとりを証したのち、浄土よりこの世界に帰ってきて、自在の救済力をもって衆生を導くすがたをいいます。
次に往相回向・還相回向、それぞれ後ろについている「回向」という言葉の意味を確認します。
「回向」とは「回転して趣向すること」という意味があります。
元来は自身の善の行いを振り向けて悟りに向かうという言葉ですが、親鸞は、阿弥陀仏が自らの徳を衆生に振り向けて救っていく利他のはたらきを「回向」という言葉で明らかにしました。
すなわち往相回向、還相回向とは、私たち衆生が浄土に往生して、またこの世に帰ってこれる道を成り立たせる、阿弥陀仏のはたらきを意味します。
ちょっとややこしくなりました。
まとめると、浄土真宗の教えでは、阿弥陀仏の回向によって浄土に往生することができますが、実はそれで終わりでなく、浄土で悟りをえてこの世界に還って来て、人々を導くことができるのである、それが浄土真宗の教えなのです。
還相回向の具体相
ここからさらに具体的に、「浄土に往生するってどういうこと?」「この世に還ってこれるってどういうこと?」を確認していきます。
まず浄土に往生するということについて。次の文では、浄土に往生するとは、必ず滅度に至るということだと書かれています。
では、この滅度に至るとはどのような意味でしょうか。それが次の文に記されています。
この文で、滅度に至るということは、「常楽、畢竟寂滅、無上涅槃、無為法身、実相、法性、真如、一如」だと明かされています。
これらの言葉の意味をまとめると、滅度とは「この上ないさとりの境地であり、分別することのできない絶対の不二の一」を意味します。
(エヴァ知ってる人向け補足:人類補完計画の世界観に近いと思っています。全部が一つになった世界みたいな感じです)
続いて次の文では、浄土に生まれた衆生がどのような姿になるのかが示されます。
浄土に生まれるものは、どこまでも清浄であって穏やかな楽しみに満ちていて、浄土に生まれる以前の姿の区別はなくなり、皆一様となり「自然虚無の身、無極の体」という体を受けるのだと示されています。「自然虚無の身、無極の体」とは、人間の分別・境界を超えた一つの身、といった意味です。
各々の川が大海に流れ入ると全く同一の海になるのと同じように、浄土に往生した人は、この上ないさとりを得て、まるで一つの海のように同一の一如になることが明らかにされているのです。それが往生後の姿です。
次に、浄土に往生した人が、還相回向により衆生救済の活動に出るときには、具体的にどのような姿を示すのか確認します。死した人は、遺されたものの前に、どのような姿であらわれてくれるのでしょうか。次の文がそれを示しています。
ここで出てくる「応化の身を示す」とは、迷える人々を救うために、あらゆる問題、あらゆる場面にふさわしい様々なすがたをとるという意味です。つまり、悟りの境地である一如から、様々な姿をとって、この世界に戻ってくるということです。
そして「神通に遊戯して」とあるように、まるで遊ぶかのように自由自在に衆生を教化して救いに導いていくということが説かれています。
以上の内容をまとめます。
還相回向のすがたとは、衆生救済のためにあらゆる姿を取ることができ、また場所や時間に縛られずに遍く世界で活動に出ることができるすがたなのです。
少しずつ、浄土真宗における死=浄土往生 ということがどういうことなのか見えてきたのではないでしょうか。
次からは、二人称の死を還相回向の教えから受け止めていた近代以降の先人たちの研究や残した言葉をまとめていきます。
近代日本哲学者たちの二人称の死の受け止め
まず、近代日本哲学者の二人称の死を取り上げます。近代日本の代表的な哲学者には、西田幾多郎、鈴木大拙、田辺元、和辻哲郎、西谷啓治などが有名ですが、本論文では特に鈴木大拙、田辺元の思想に焦点を当てます。
その理由は、それぞれが大切な身内を無くした経験を持っており、それが思索を深める転換点になっているからです。
また、もう一つの視点として、彼らはそれぞれの思索の中で親鸞に影響を受けたことが知られており、個性的な親鸞理解とそれに基づいた二人称の死の受け止めが伺えるからです。
鈴木大拙の二人称の死の受け止め
鈴木大拙は、一八七〇年、石川県金沢市本多町生まれの世界で最も有名な日本人の仏教哲学者の一人です。西洋の思想と言葉を深く学び、その上で自らの禅体験や仏教研究を基に、仏典の英訳や仏教の講演を中心に仏教を西洋へ伝えました。九六歳の生涯を閉じるまで旺盛な研究活動を続け、その業績は英文の著書三〇余冊、和文の著書一二〇余冊に上ります。
大拙は海外にZENを広めた人物として知られていますが、浄土教にも造詣が深く、彼の最も有名な著作の一つである『日本的霊性』で語られる「霊性」の思想は、浄土教との関連も多く指摘されています。また、晩年には、親鸞の『教行信証』の英訳も行っています。
そんな大拙が、大切な人の死に際して語った言葉が残されています。
次に引用するのは、大拙が大谷大学で教鞭を取るきっかけとなった、当時の大谷大学学長佐々木月樵への弔辞の言葉です。
この時の大拙の悲しみようは激しく、嗚咽して泣き伏されたと語られています。
ただ、そうした悲しみの中でも、亡き友はいつまでも弥陀の懐に抱かれて眠っているのではなく、仲間の元へ戻ってきて、励ましてくれているのだという死生観が語られていることがわかります。
二つ目に取り上げるのは、大拙の最も親しい弟子の一人だった柳宗悦への弔辞の言葉です。
ここでは、死したものが、遺されたものを生かす力としてはたらくということが述べられています。そして「参会の方々と共に自分を励ます言葉である」と述べるように、大拙は死者に対して、死んで関係性が終わるのでなく、自分の元へ戻って励ましてくれる存在として受け止めていることがわかります。
実は大拙は、他の著書で還相について多く言及しており、これらの発言は還相回向の教えを踏まえたものだと考えられます。たとえば大拙が亡くなる直前の言葉を、弟子で協和キリン創業者の加藤辨三郎が書き留めた記録には、次の言葉が残されています。
このような言葉を踏まえてみると、「君はいつまでも弥陀の懐に抱かれて眠ってはいないと思う。あるいはすでにわれらの仲間に戻ってきて ー」「不生不死ということは、無限の創造力がそこに潜在し、現成しつつあるとの義である」といった言葉の根底には、還相の思想が流れていると考えらえます。
大拙にとって、死は断絶ではなく、還相の世界に入って自分を励ましてくれるという新たな関係性が結ばれると受け止めていた言えるのではないでしょうか。
田辺元の二人称の死の受け止め
田辺元は、一八八五年、東京神田に生まれた哲学者で、西田幾多郎の招きにより京都帝国大学文学部に就任、京都学派の基礎を築きました。代表的な著作としては『懺悔道としての哲学』『死の哲学』があります。
田辺の晩年の哲学は、死の問題をめぐって深められており、また死を見る角度は「自己の死」から「己に親しきものの死」へと移り変わっています。すなわち二人称の死についての考察が中心となっています。これには妻ちよの死があると言われています。妻という最も大切な二人称の死をどう受け止めるか。この生死の問題に直面して、田辺の思索が「己に親しきものの死」の哲学へと深められていきました。
この晩年の田辺の哲学のキーワードに「実存協同」という言葉があります。この「実存協同」を中心に、田辺の思想を概観してみます。
晩年の田辺の哲学における「実存協同」とは、死者と生者の交わりの世界を表す言葉です。どのような交わりかというと、人と人との交わりが途絶えるところとしての死という出来事を通して初めて開かれてくるような交わりです。交わりとは、一般には、両者の距離が縮まるほどに深くなると考えられますが、それとは逆方向に成立するのが、死という不在性の上に成立する交わりです。それは不在にもかかわらず成り立ち、むしろ不在ゆえに真に純化されるものです。
死者と生者の交わりをあらわす「実存協同」とは、まさにそうした交わりのことであり、ここにおいて死者は死して復活するのだと言われます。
そのまま読み解くのはかなり難しいです。田辺はこの難解な概念に思える「実存協同」について、説明の手引きとして「道吾漸源一家弔慰」という禅の公案を取り上げて説明します。
若い僧の漸源が、生と死について深く考え込んでいました。ある日、彼は師の道吾とともに、ある家族の不幸に参列します。そこで、彼は棺に向かって「生か死か」と師に問います。しかし、師は「生とも死とも言えない」としか答えませんでした。
後に、漸源は再び道吾に同じ質問をし、答えないと棒で打つぞと言っても同じ答えでした。答えが得られないもどかしさから、漸源は師を打ってしまいます。その後、道吾が亡くなり、漸源はこの出来事について兄弟子の石霜に話します。石霜もまた、生と死を明確に答えることはできないと言いました。
そこで漸源は、生と死は区別できるものではなく、互いに矛盾するように見えるが、実際には不可分の関連性があることを悟ります。
そして彼は、師の道吾が答えを与えなかったのは、彼にこの深い真理を自ら悟らせるための慈悲だったと理解し、感謝の念を抱きました。
この話のミソは、生死が不可分な関係にあることを漸源が自覚させられた裏側には、師僧の道吾の慈悲が働いていたということです。
つまり、道吾は自らの死をもって漸源の自覚悟得を促していたのです。そうして師の道吾からの慈愛を受け取った漸源のうちにおいて、道吾は復活し彼を指導し続けていくのだとみていくのです。
死せる道吾が、その死にもかかわらず漸源のうちに蘇って彼のうちに生きてはたらき彼を支える。漸源は道吾に支えられて、懺悔と感謝とを行動に表現していく。田辺はここに、師の道吾の還相回向のはたらきを見出していきます。そして生死を超えた永遠とも言える無限の広がりを持つ「実存協同」の世界へと入っていくのです。
このように、死した愛する者から純然たる愛がはたらかれていることに気づかされ、愛する者が自らのうちによみがえり、共存し協同して生きていけるという「実存協同」は、遺され悲嘆に暮れる者に対して希望を提示できる可能性があります。第一章で述べたクラスの「継続する絆」、ニーマイヤーの「意味の再構築」にもつながる新たなグリーフワークとも言えるからです。
以上、鈴木大拙と田辺元の二人称の受け止めと、それにまつわる思想について概観しました。両者に共通するのは、死をただ悲しむべきものとして受けとめるだけではなく、今ここで生きている自分と関わりが続いていくものとして受け止めていることです。その考え方の土台には浄土教の還相回向思想があることが確認できました。
他者論における還相回向
ここからは、2000年以降の研究で、二人称の死の受け止めを還相回向のはたらきから捉えた言説を確認していきます。
東京大学名誉教授の末木文美士は、近年になって、他者論における「他者としての死者」について考察を深めています。
他者論とは「自己と他者はどのような関係にあるのか。また他者が他者である理由はどこにあるのか。」といった問題に対する論のことです。
末木は「他者としての死者」を考えるにあたって、日本宗教に基づく日本人の基本的な世界観として、三つの領域からなる枠組みを提示しています。まずはこの枠組みについて確認してみます。
一つ目の領域は、人と人とが関わる、自然界も含めた「倫理」と呼べる領域です。これは、人と人や自然とが相互に関わる中で、合理性を持って解明される領域です。知識と論理とで理解できる領域と言ってよいでしょう。
次に二つ目の領域は、その外に広がる「他者」の領域です。ここで想定される「他者」とは、合理性を持ってルール化できない相手を指し、死者や神仏のように理解を超えた「他者」を含みます。
最後に三つ目の領域は、「他者」の領域の無限遠方に想定される、絶対的・究極的なもの、あるとかないという言葉で説明できない領域です。
末木はこのように整理した上で、二つ目の領域を「了解しえないけれども、関わらざるをえないものの領域」であるとし、その典型として死者が考えられると述べます。
人は死して実体はなくなりますが、死者は無として受け取られるのではなく、不在として受け取られることになります。存在した事実は無にはならないからです。死者は不在性という特徴を持って生者と関わり、ときに喪失感という形で生者に影響を及ぼし、ときに生者の話し相手となったりするのです。
このことを末木は「関係は存在に先立つ」と表現しています。そして、存在ということよりも、理解を超えた他者とどう関係を持つかが重要なのだと指摘しています。
さらにその上で、死者の問題は還相回向と関係して考えられるとし、次のように述べています。
このように述べて、他者としての死者を、還相回向のはたらきによりこの世に還来してくる他者として捉え、死んで終わりでなく、阿弥陀さまと一緒になり、その力で私たちを生かしてくれるのだと述べています。
ここで語られる「他者としての死者」は、合理的にルール化できない他者です。普段私たちは、そのような他者を想定して生きてはいません。しかし、合理的に理解することのできない、到底受け入れることのできない死という現実に直面したとき、合理的認知を超越した「他者としての死者」に還相回向の教えを通じて出会っていくことは、グリーフケアにおいても重要な導きともなるのではないでしょうか。
グリーフケアとしての「実存協同」
スクールカウンセラーであり僧侶、研究者でもある坂井祐円は、二〇一五年に著した『仏教からケアを考える』の中で、先に触れた田辺元の「実存協同」をグリーフケアの観点から整理し、興味深い指摘をしています。
坂井によれば、グリーフケアの展開には<他者が自己をケアする> <自己が自己をケアする> <死者が生者をケアする>という三つの状況が含まれているといいます。
そして従来の臨床現場では扱われることのなかった<死者が生者をケアする>という展開こそ、グリーフケアの本来的なあり方を示していると指摘し、「死者との実存協同」がグリーフケアの新たな展開を開く可能性があると述べています。
<死者が生者をケアする>とは、死別体験者の心はつねに死者と向き合っている状態にあるので、死者は絶えず生者に何らかのメッセージを送り続け、生者はこれに応えるべく沈潜していくという状況を指します。
続けて坂井は、第一章で触れたクラスらの「継続する絆」理論にふれて、その問題点を指摘しています。
それは、クラスやニーマイヤーが提唱する「継続する絆」や「意味の再構築」は、生前の他者と、生前の関係性の延長線上で、物語を構築するということが念頭に置かれることが多いと考えられますが、それは悲嘆の苦しみを和らげることにはなる一方で、かえって死者の持つ、生の世界の枠組みを超出した鮮烈な衝撃力を薄めてしまうのではないかということです。
一方で、田邊の説く死者の復活と実存協同は、還相回向を通して理解されます。還相としての死者とは、先に確認した通り、浄土に往生してこの上ないさとりを証した存在であり、認知を超えた絶対的なる一如の存在でした。
田辺は、そのような死者は生者に先立って清浄であり、その死者の清浄に感応することで生者が浄化され、それによって死者と生者が共に聖化した実存協同に入ると言います。
ここで語られる死者は、もはや生の世界の延長線上にありません。生前に生者との間に交わされた情愛や憎悪や憂問などは、死の世界ではことごとく浄化されます。そしてそのような死者の清浄に感応した生者も浄化され、実存協同の世界に入るのです。
つまり、田邊の説く実存協同の上では、死者の物語を都合よく用いてケアするといった作為性は排除され、絶対的存在としての死者が、生者にはたらいてくるのです。
生の世界から物語を作るのではなく、死の世界から生の世界が照らし出されていく。死復活における死者は、圧倒的な力をもって意味構造の破壊、再構成を迫ってくるのです。そのとき、<私>の相対的な死者への思いは、絶対的な愛のはたらきに摂取されていくのです。
これが坂井が指摘する<死者が生者をケアする>ということの意味なのでした。
東日本大震災の被災者の言葉にみる還相回向
最後に、東日本大震災の被災者の言葉にみる還相回向を取り上げます。龍谷大学の鍋島直樹は、東日本大震災の復興支援で被災者と交流する中での経験を論文にしています。そこには、夫を亡くした者の心の変化がリアルに記されています。
気仙沼市で「すがとよ酒店」を家族で営む菅原文子さんは、津波で夫と夫の両親を失いました。菅原さんは、深い悲しみの中で、夫への溢れる想いを恋文にしたためました。それを次に引用します。
鍋島は、この手紙をきっかけに被災地に訪れ「愛する人は教えとなって、手を合わせる心の中に還ってくる」という色紙を贈ってきたといいます。
愛する人が帰ってきてほしいという家族の気持ちに応える教えが還相回向の救いであり、死別がどれほど悲哀に満ちたものでも、遺された人々にとって、亡き人は人生の確かな道しるべとなってくれるのだと言います。
震災から一年三ヶ月後、行方不明だった夫の遺体が見つかったという手紙が鍋島の元に届きました。その手紙の最後には、次のような言葉が記されていました。
ここに書かれている、「せっかく生かされ主人が守ってくれた命です。ラベルを書かせ恋文を書かせてくれた主人です。何かしら私へのメッセージなのでしょうか。」という言葉には、死後の夫から今もはたらかれてくるメッセージを受け取っている様子が伺えます。また、そのことを胸に、残りの人生を頑張っていこうという意志が伺えます。
この菅原さんの死の受け止め方も、還相回向の教えを通した二人称の死の受け止め方の一つと言えるのではないかと思います。
以上、 合計五名の研究・言説を取り上げ、これまで真宗学ではあまり注目されてこなかった、還相回向を鍵概念とした二人称の死の受け止めについて光を当てていきました。浄土真宗の二人称の死の受け止めの輪郭が見えてきたように思います。最後にまとめます。
結論
本論文では、二人称の死の苦しみをテーマに論考を行いました。また「死んだら終わりだろうか?」という問いに対して、浄土真宗の教えをもとに応えることを論文のゴールとしました。
第一章では、死生学における二人称の死の受け止めの理論の変遷を確認し、先端的な理論として、ニーマイヤーの「意味の再構成」と、ウォーデンの「課題説」を取り上げ、これを「二人称の死の受け止め」を検討する土台となる理論として位置づけました。
第二章では、仏教における二人称の死の受け止めとして、釈迦・親鸞の二人称の死の受け止めを確認しました。釈迦においては、悲しみへの執着から離れて、死しても残り続ける縁起の理法を気づかせんとする説法の内容をまとめ、親鸞においては、主に門弟との手紙のやり取りから、往相回向・還相回向の教えを元に、極楽浄土へ往生することのめでたさと、往生したものが導きに戻ってきてくれるたのもしさ、この両面から二人称の死を受け止めていることを確認しました。
第三章では、還相回向の意義を確認したのち、浄土真宗における二人称の死の受け止めを還相回向の教えを通してどのように語りうるのか、近代日本哲学者から現代の研究者に至るまで、二人称の死の受け止めという視点からの様々な還相回向理解があることを確認しました。
ここで、第一章で確認したニーマイヤーの意味の再構成、ウォーデンの課題説という「死生学における二人称の受け止め」と、第二章以降で確認した「浄土真宗における二人称の死の受け止め」を照らし合わせて、その共通点、相違点を考えてみます。
ウォーデンの「課題説」は四つの課題で悲嘆の乗り越え方を示すものでしたが、その四つめの課題は、ニーマイヤーの「意味の再構成」を取り入れた「故人を思い出す方法を見出し、残りの人生の旅路に踏み出す」という定義でした。これが死生学における二人称の受け止めの一つの目標です。
一方で親鸞は、還相回向の教えをもとに、先に往生したものは親しき人たちから導いてくれることであるから、たのもしいことであると述べました。
この受け止め方は、故人との新たな関係性を見出すという点で「意味の再構成」の一つのかたちとも言えるのではないでしょうか。
同様に、大拙が大切な人の死に際して語った言葉、そして田辺が晩年にひらいた「実存協同」思想、このいずれも還相回向の教えから「意味の再構成」を行なっていると捉えることができます。そのほかの取り上げた言説についても同じことが言えるでしょう。
つまり、浄土真宗における二人称の死の受け止めとは、信仰を元にした「意味の再構成」とも言うことができるのではないでしょうか。
一方で、坂井が指摘したように、還相回向という教えを通して受け止める死者は、生の世界の延長線上にある人ではなく、私たちの相対的な価値観をもって物語化できるものではありません。圧倒的な力をもって意味構造の破壊、再構成を迫ってきます。
そしてそういった存在を受け止めていくには、自らの力で理解しようという気持ちを手放して、自らの力では理解の及ばない、絶対的なはたらきを信じることが要求されます。合理性で全てを理解するという世界観から、信仰の世界にジャンプして飛び出す必要があります。
これが浄土真宗において最も大事な「信心」ということです。自分自身、何年も勉強してきていても、これが一番難しいことだなと思います。親鸞も、浄土真宗を「易行難信」として表現していますが、行じるのは易しいが信じるのが難しい、これが浄土真宗の教えなのです。
でも、その先には、きっと絶対的な救いの世界が開かれていくのだと思います。
この点が、死生学と比較したときの、浄土真宗における二人称の死の受け止めの力強さであり、また信心が必要になるという意味で難しさでもあるのでしょう。
以上、拙見ではありますが、死生学における死別悲嘆の理論と、浄土真宗における二人称の死の受け止めにおける共通点、相違点の考察をしてみました。
最後に、序論で述べた「死んだら終わりですか?」という問いをもう一度考えてみたいと思います。
これまで確認してきたように、還相回向のはたらきの上では、死者は個人の主観的記憶や物語の中に保存されるような静的な存在ではなく、むしろ生前以上に積極的に大きな力ではたらきかけてくる動的・絶対的存在となります。
そう理解すれば、死という事実の見方が広がってくるように思いました。
つまり、死は全く終わりではなく、亡くなった大切な人は、むしろ新しい関係性の中で、自分が意識的に思い出すときはもちろん、思い出していないときでも常に、あらゆる姿形をとって、自分を迷いや苦しみからはなれる方向へと導いてくれる、たのもしい支えなってはたらきかけてくれていると言えるのではないでしょうか。
本論文を通して、僕の中にはそんな「意味の再構成」がなされたように思います。これを「死んだら終わりですか?」という問いへの返答としたいと思います。
また、死者に教えられ、死者と共に仏縁を繋いでいくということは、親鸞が教行信証『化巻』の一番最後に示した
という言葉にも呼応するところだと思います。
これを本論文の締め括りの言葉として、論文を終わりたいと思います。
これでおしまいです。最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました!ぜひお話ができたら嬉しいです。
参考文献
浅見洋『二人称の死 西田・大拙・西谷の思想をめぐって』春風堂、二〇〇三年
一楽真『入出二門偈頌文』聞記、真宗大谷派宗務所出版部(東本願寺出版部)、二〇一四年
岩崎大『死生学 : 死の隠蔽から自己確信へ』、春風社、二〇一五年
伊藤益『愛と死の哲学』北樹出版、二〇〇五年
井上見淳『「たすけたまへ」の浄土教』法蔵館、二〇二二年
井上善幸「親鸞の証果論解釈をめぐって」、『龍谷大学佛教文化研究所紀要』五〇号、二〇一一年
井上善幸「親鸞における還相の思想」、『東アジア思想における死生観と超越』 二〇一三年
岩崎大『死生学 死の隠蔽から自己確信へ』春風社、二〇一五年
岡亮二「親鸞思想に見る「往相と還相」(下)」一九九五年
岡亮二「親鸞思想に見る「往相と還相」(下)」、『龍谷大学論集』四四六、一九九五年
小谷信千代『親鸞の還相回向論』法蔵館、二〇一七年
梯實圓『浄土教学の諸問題』、永田文昌堂、一九九八年
カール・ベッカー『愛するものは死なない −東洋の知恵に学ぶ癒し−』晃洋書房、二〇一五年
カール・ベッカー『愛するものの死とどう向き合うか −悲嘆の癒し−(第二章デニス・クラスの講演録より)』晃洋書房、二〇〇九年
勧学寮『新編 安心論題綱要』本願寺出版、二〇〇二年
木越康「臨床仏教としての親鸞教学」、『親鸞教学』一〇四号、二〇一五年
氣田雅子『宗教経験の哲学』創文社、一九九二年
ケネス・タナカ『智慧の潮 親鸞の智慧・主体性・社会性』武蔵野大学出版会、二〇一七年
坂井祐円『仏教からケアを考える』法蔵館、二〇一五年
坂口幸弘『悲嘆学入門(増補版)』、昭和堂、二〇二二年
佐々木閑『真理のことば』八十頁、NHK出版、二〇一二年
清水哲郎他『医療・介護のための死生学入門』東京大学出版会、二〇一七年
ジャンケレヴィッチ『死』中沢紀雄訳、みすず書房、一九七八年
J.W.ウォーデン『悲嘆カウンセリング グリーフケアの標準ハンドブック(改訂版)』誠信書房、二〇二二年
浄土真宗本願寺派勤式指導所『浄土真宗本願寺派葬儀規範』本願寺出版、二〇〇九年
浄土真宗本願寺派勤式指導所『浄土真宗本願寺派葬儀規範 解説』本願寺出版、二〇〇九年
末木文美士『浄土思想論』春秋社、二〇一三年
末木文美士『死者と菩薩の倫理学』ぷねうま社、二〇一八年
杉岡孝紀「真宗他者論(一)―実践真宗学の原理としての<他者>―」『真宗学』一二九・一三〇号、二〇一四年
『鈴木大拙――人と思想』岩波書店、一九七一年
高田信良『宗教における死生観と超越』方丈堂出版、二〇一二年
武田龍精『仏教生命観からみたいのち』法蔵館、二〇〇六年
『田邊元全集』一三・一六八頁、筑摩書房
寺川幽芳『恵信尼さまの手紙に聞く』法藏館、二〇一四年
中村元訳『ブッダのことば』岩波文庫、一九八四年
鍋島直樹、長上深雪『仏教生命観の流れ 縁起と慈悲』法蔵館、二〇〇六年
鍋島直樹、玉木興慈『生死を超える絆 親鸞思想とビハーラ活動』方丈堂出版、二〇一二年
鍋島直樹『親鸞の死生観とビハーラ活動の理念と実践の融合的研究(上)』永田文昌堂、二〇二三年
鍋島直樹『親鸞の死生観とビハーラ活動の理念と実践の融合的研究(下)』永田文昌堂、二〇二三年
普賢晃寿『顕浄土真実証文類講讃』永田文昌堂、一九九一年
フロイト『悲哀とメランコリー(一九一七)』『フロイト著作集・第六巻』一三七―一四九頁、人文書院、一九七〇年
長谷正當「死の哲学と実存協同の思想 ―田辺の晩年の思想―」(『懺悔道としての哲学』四三三頁、燈影舎 収録)
ロバート・A・ニーマイヤー『喪失と悲嘆の心理療法』金剛出版、冨田拓郎・菊池安希子監訳、二〇〇七年
霊山勝海『末燈鈔講讃』、永田文昌堂、二〇〇〇年
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?