「本当は大好きだったかもしれないパパ」のことをまとめたくなった。
約4年半前、千葉市で最古の『劇団ルネッサンス』を主宰していた父・大川義行は、67歳でこの世を去った。
交友関係が広かった父の葬儀には、劇団員やOB・今までお世話になった方々500人あまりが詰めかけた。
外では「先生」と呼ばれ大活躍していたと見られる父だが、家庭向きの性質ではなく、家にはあまり帰って来なかった。
家庭での存在感が薄かったもんで、外での人望がまさかあそこまで厚かったとは知らず、葬儀に来てくれる方は300人くらいと想定していた私と母は、会場外まで押し寄せた弔問客の多さにびっくらこいた。
式の中では、いつの間に打ち合わせされたのか、劇団ルネッサンスの代表的なミュージカル『ラブリーメモリー』を、大勢が歌い踊り出す。
「それ知ってる〜〜♪」という人達も次々加わり歌い出す・踊り出す。
葬儀主宰のこちら側が、ただミュージカルを観に来たお客さん状態…。
父が亡くなった後は、千葉市から文化功労賞をいただいたり、『大川義行を偲ぶ会』などが行われ、さらに大川ファンの心に彼は刻まれていったはず。
父の事務所として使われていた一軒家を「これだけの功績を残したのだから『大川義行記念館』に出来ないのか」と言って下さる方もいた。
しかし貯金というものを全く残していなかった父だ。
これから母が一人暮らして行く為にと、その家は売らざるを得なかった。
劇団は幸い、どなたかが受け継いでくださっているらしい。
そう。私も母も、「らしい」ということしかわからないくらい、父の劇団・交友関係については理解が浅いのである。
しかしきっと、確実に、父の記憶は皆の中から薄れて行っているだろう。
と確信したのは先日の朝。
我が家に設置している、ノリの良かった父のyeah !corner。
いや、遺影コーナー。
冒頭の写真が遺影に使ったもの。亡くなった時より13年も前のだけど(汗)「なっちゃんと一緒にいる時は、やっぱりいい笑顔だよね!」の親戚一同からの声にて選出された一枚
何と、私も忘れかけていた。
水入れの水は、飼い猫が飲み干してしまいそのまま。
お線香をあげたいなと思う時間はだいたい、匂いの許容範囲の器がペットボトルの蓋くらい狭い我が夫がいる時間で、そのまま日中はあげ忘れ。
そんな皆んなからも娘からも忘れられそうになっている可哀想な父に、線香をあげ手を合わせた時、遺影から熱い視線を感じてしまったのだ。
ヤベェ。めっちゃ見てくる。なんか訴えてる。
そして父の死後、私がこう思っていたことを思い出した。
「どこかで大川義行展を開こう!パパの写真や創作物などを飾って、レンタルスペースでも借りてやってみよう。」
それなのに、気づくと月日はビュンビュン流れ、私の頭の中は他のことで埋まり尽くして行った。
そしてそんな私は少し前に、『note』を知った。
家族のことを書いている方のお話にも感銘を受けた。
だから私も、書いてみようと思った。
父の人生。私と父のエピソード。父と母と私のエピソード。何でもかんでも言いたいこと…
本当は大好きだったかもしれない父について、読んで面白い図鑑みたいに。