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大晦日の憂鬱

本来なら理事会がコミットすべきマンションの個別の“お困りごと”に奔走するだけで、2017年が暮れようとしていました。

年末年始は岡山の実家に帰ることが、離婚して以来ずっと私のルーティーンです。京都-岡山間は新幹線ならすぐですが、わたしはたいていのんびりした高速バスを利用しています。普段は行くことのないサービスエリアに立ち寄るのがなかなか楽しいからでもあるし、バスなら何に気を取られることなく、ゆっくり小説などを読めるのも好きだからです(バス通勤が長かったので、バスの揺れごときでは酔いません)。

もう仕事は休みに入っていました。
大掃除も終えた12月30日だったと思います。マンションのエントランスでばったり大規模修繕委員のSさんに会いました。上品で穏やかで、でも芯がきちんとあるSさん。
出会ったタイミングは、私はスーパーかどこかに出かける前、彼女はどこかから戻ってきたところでした。それが二人なぜか立ち止まってしまい、どちらからともなくいろいろ話し込んでしまいました。

監事のIさんの大人げない態度、わがもの顔に理事会に参加するK氏。翻弄されるカワベ理事長。Sさんと終わりのない悩みや嘆きを1時間も続けたでしょうか。わたしはちょっぴりべそをかいたことも告白します。

するとそこに帰ってきたのが、同じく大規模修繕委員会のキヨタさんです。彼女も入れて私たち3人が玄関のドア前を陣取って、あれこれ話したり嘆いたりしている脇で、数人の区分所有者が出かけたり、また帰ってきたりしました。

Sさんとキヨタさん、二人と話しているうちに、わたしはわたしが一度、I氏ときちんと話しをしないといけないな、と思いました。

翌日、大晦日ー。
この日は午後から岡山に帰省する予定にしていました。午前中の早いうちに部屋を片付け、荷物もまとめると、思い切って同じフロアのI氏の家のチャイムを鳴らしました。

「こんにちは、真行です。Iさん、ちょっとお話しできませんか」
なるべく明るい声で私は呼びかけました。
I氏はすぐに出てきました。
「あの、今年はいろいろお世話になりました。それで今後のことなのですが…」
私は大規模修繕の話を進めたいということを、手短かに話して終わらせるつもりでした。が、I氏はほぼ私の話に聞く耳は持たず、意見は平行線をたどりました。一言一句はもう覚えていませんが、なぜ理事会は大規模修繕の話をしないのか、ということも尋ねたように思います。
I氏がどう答えたかももう記憶にないのですが、狭いフロアを逃げまわるようにわたしと距離を取るI氏に、「この人と話してもダメだ」感を強めたのは確かです。

I氏との話も、1時間近くかかりました。
徒労感と虚しさを抱えて自室に戻ると、まだ少し出発までありましたが、荷物を背負って京都駅の高速バス乗り場へと向かいました。
ことし最後のご挨拶を、いつも行く近くの神社にして。

岡山には日暮前に着きました。
母はおせち料理の支度をしていましたが、わたしは手伝いもせず、横でつまみ食いをしたり、お酒を飲んだりしながらぼんやり過ごしました。
一軒家の、自分の家のことを自分たちだけで決められる穏やかさに安堵していました。
夜、京都で買ってきたにしんそばを両親と3人で食べました。調理したのはもちろん母です。大晦日はきょうだいも帰ってこないので、ここ数年はたいてい、両親とわたしだけで過ごします。
第九を見ながらスパークリングワインを飲んだら、体の芯からじわりと疲れが沁み出てきました。

「ゆく年くる年」どころか、午後10時を待たずに布団に潜りこむと、後はあっという間に眠りに引きずり込まれて、2017年は暮れました。


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