承認欲求という言葉が嫌い
SNSでインフルエンサーが叩かれているのを見た。
始まりは、そのファン層を揶揄するようなものからだったようだが、私が見たのは
「△△の死の際に配信を行うという〇〇の行動は承認欲求によるものだ」
という叩かれ方だった。その動画を見た一個人の個人的な感情としては、「そうではないのでは?」と思えるが、どうにも、どうしても後味が悪い。
「承認欲求」この言葉はSNSが普及した現代ではよく使われている。大抵悪い意味で。
「承認欲求が強い」「承認欲求からこんな行動を」
そんな使われ方しか私は見たことがない。
でもSNS使ってるやつなんて、みんな多かれ少なかれ承認欲求があるはずだ。そもそも、他人に認められたいという感情が悪いものであるなんてことはない。
だが、批判的な文脈で「承認欲求」という言葉が使われる時、人に認められようとすることがあたかも悪いように使われ、言われた側は、何を言い返しても、「他者から認められようとしてその発言をしている」として、言葉が滑っていく。悪い場合は「そういうキャラね笑」「ムキになってる」などと、どんどん悪くなっていく。何もうまく言い返せない。
そういう言葉って本当によくないと思うのだ。
合唱コンクールとかいうものを経験した人は多いだろう。どこでも斜めに構える人はいるもので、それはそれでいいと思うけれど、それでもどうにも、
「ガチ勢」というワードも嫌いだった。
そういうレッテルを貼って、言われた側をどうにもできなくする言葉が私は大嫌いだ。
前に、「あなたのためを思って」という言葉が嫌いだということを書いた。
あなたのためを思って、という言葉は、自分の欲求を正当化しているところが醜悪だと思う。
「承認欲求」「ムキになっている」そういう言葉は、自分の思いをあたかも全体を代表しているような言い方で、しかも相手を馬鹿にしている。
すごく嫌いだ。
目立ちたがり屋、少しずれている真面目な子、そういう人間は、集団の中で馬鹿にされ、地位が低くなることがある。
でも、本当に馬鹿にされるべきは、「何真面目になってんの?」とか言い始めるやつだと思うのだ。
そういうやつに対する、武器が欲しい。なんて言い返してやればいいんだろう。
真面目にやってることは素晴らしいことなのに。熱くなって、感受性豊かに生きることは素晴らしいことであるはずなのに。
こんなネットの話で熱くなっている私にも、きっとそういう言葉がかけられるのだろう。冷ややかな目が注がれるのだろう。
冷めない熱を持って、そういう熱を持っていこう。同じように冷まされる現場を見た時に、人と一緒に温まれるように。