無題
…
「やっぱり、もう無理だと思うんだ」
「じゃあ、別れるしかないね。」
「…もっと何か言われると思った」
「だって、仕方ないでしょ」
「まあそうだね。じゃあ」
「荷物とかは送ってくれればいいから。プレゼントは返した方が良い?」
「…じゃあ返してもらおうかな。」
「……わかった」
「冗談だよ、好きにして」
「了解」
「じゃあ、切るね。」
「じゃあね。」
…
「はあ」
4年の付き合いが、本当にこんな電話で終わるのか。どうにも呆気ない。僕の方が別れるつもりだったのだから、特に後悔もないはずなのに、あまりにアッサリしていて。
そうか、拍子抜けしたんだ。
予定では君はもっと電話越しで泣き叫んで僕に縋るはずだったのに。その対処法まで考えていたのに。その行き場がない。だからだろうか。つい少し意地悪をしてしまった。
断じて君に未練があるとかそういうわけではない。無いと思う。
僕たちは「素敵なカップル」だった。美人な君と、社交的で頭の良い僕。サークルで無理に飲まされているのを見かねて助けたところを周りにお似合いだともてはやされて、流される形で付き合ったが、まさか4年も続くことになるとは。
君のことはそれなりに好きだった。何も知らない君に教える僕。頭の悪い君を助ける僕。そんな関係が心地よくて、社会人になるまでに別れるつもりだったのにズルズルと今の今まで続けてしまった。
「こんなにおいしいチャーハン作れるなんて、料理屋さんになれるから大丈夫だよ、就活失敗しても」
大企業の最終面接で失敗した翌日、君はどういうつもりでそう言っていたのだろう。別になんてことない料理だった。エビレタスチャーハン。君はエビもレタスも入ってて凄い!と目を丸くしながら、料理屋になれるなんて言う君の能天気さに心の中で大笑いしながら、優しい僕は、それもいいかもしれないね。と言った。親父の経営する会社の就職は決まっていたから、形だけの就活だったんだけれども。
真っ白な白板のような君はとても危なっかしかった。常に僕が見てあげていないと何か取り返しのつかない失敗をしそうで、そうなる前に何から何まで教えてあげた。そうすると君は決まって少し落ち込むから、その度に色んなプレゼントをあげたんだ。単純な君はすぐ機嫌を直したね。
いや、君は本当に僕からのプレゼントに助かっていたんだろう。
デートで会う時に必ず僕の買ったものを身につけてくる君。最初は恋人である僕を喜ばせようとしているんだと思ったよ。だけどあまりにそれ以外のものを身につけないから、気づいたよ。君の持っていた服は、あまりにもみすぼらしい。僕が君のために買ったものを身につけ始めたらとても着ていられないだろう。
君は可愛そうなくらいに貧乏だった。頑なに家を見せない君は、片付いていないからと言っていたけれど同棲が始まる前に1度、驚かせようと思って君のあとをつけたんだ。君は目白で築5年のアパートに住んでいると言っていたのに、住んでいたのは八王子だった。君は嘘が下手だったけれど、そこだけは嘘をつき続けたんだね。
だから、驚いたよ。僕が居ないと君は生きていけないのに、あまりにあっさり僕を諦めるから。
愚かな君はこれから後悔するんだろうね。
…
「はあ」
4年の付き合いが、こんな電話で終わるんだ。4年もこの人と私が付き合っていたなんて、信じられない。まあ、もうそろそろ潮時かと思っていたし、社会人一年目に別れる口実ができて良かったかな。
スマートフォンを机に置いたらネイルが剥げているのが目に入った。
(ネイルも男も変え時かあ…)
なんて思ってみたりもするけど、マズイ。奨学金の支払いもあるし、いくら大企業とはいえ、一般職で一年目だと身だしなみにかかるお金ですら惜しい。こんな時に悲しそうな顔で彼に会って「ネイルが剥げちゃったの…」と言えばサロンに連れて行ってもらえたはずだったのにな。
こんなことを考えるなんて私はホントに悪い女だ。
彼は凄く単純な人だった。サークルに入った時から、人当たりの良さそうな雰囲気を出しながら周りを見下しているのには気づいていた。と同時に、周りから頼られることで自分を保っているんだろうなあ、とも。社長の息子、と言っていたし金回りは良かったけれど、どこの会社なのかは頑なに言わなかったのはきっと微妙な反応が来るような大きさの会社だからだろうし。自分は頭がいいと自慢していたけれど、大して物分かりも良くないから、物凄い勉強をしていたのも知ってる。
努力家なところは尊敬していたんだけどな。私は奨学金のために勉強しなきゃだったし、凡人の彼の教え方はとても上手だったし。高慢なところがたまに傷だったけれど、バカな女のフリをして彼の自尊心を満たすのは楽しかったし、彼のことも割と好きだったな。
私の就職先が決まってから、どんどん彼の態度は悪くなった。私が大企業に就職したのがとにかく気に食わなかったんだろうと思うけど、あからさますぎて笑っちゃった。心の中でね。
まあ拗ねられても面倒だし、一般職と総合職だから…とか言ってなんとか機嫌を取ったけど。
ああ、就職活動といえばで思い出した。彼が面接で失敗してから明らかに落ち込んでいるから、なんか褒めたことあったな。そしたら凄い元気になって。面白かったなあ。
彼の前でバカな女をやるのは全然苦痛じゃなかった。私の方が社会性あるし。私が本当にバカだったら嫌だろうけど、そうじゃないんだからいくらバカにされても全然大丈夫だった。貧乏だとかそういう、本当のことで見下されないなら何でもいい。
ネイルサロン、美容院、化粧品、洋服、、、現状維持にはお金がかかりすぎる。ここまで金がかかる女になってしまったのは彼のせいだけど、きっと大企業に就職できたのも、彼のおかげで野暮ったさがなくなったからだろう。
「あっ」
ふとスマホに目をやると会社でやたら目が合う一つ上の総合職社員が私のストーリーに反応をよこしている。
「私ってほんとに賢い女だなあ…」と呟きながらスマホを開いた。