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虚構を通して現実を見る人たちへ

最近タコピーの原罪とかいう漫画が流行っている。とても面白いので私も毎週読んでいる。

毎週金曜日に更新されると本当に多くの人が感想、考察をSNSで発信する。その数はTwitterで毎週必ずトレンドに上がるほどだ。

その中に、以下のような感想があった。

現実をよく描いている作品だ。〇〇〇学の分野においても、しずかちゃんみたいに親からの愛情が受けられない子はサイコパスになるし、まりなちゃんみたいに…(以下省略)
タコピ―を見て健全な成長には子供時代の良い環境が不可欠なのを知った。虐待されてたら他人に暴力振るうようになるよね…。

そういった感想を見て、考えすぎの私はどうにもモヤモヤしてしまった。(1部表現を変えたり伏せたりしている)

小学校の頃、誰しも読書感想文を書いたことだろう。私は泣いた赤鬼で書いた記憶がある。
イマイチよく覚えていないけれど、自分は青鬼のような人になれるだろうか?というようなことを書いた気がする。

虚構から、自分の行いを見直すことはあるだろう。自分と重ねること、他人と重ねることはあるだろう。虚構によって心は動くのだから、そこから自分の行動や他者に対する印象が変化するのは当然のことだ。
でも、虚構を通じて現実を見るのはいかがなものか。

SNSでは主語が大きければ大きいほど多くの反応を得られる。
当事者が多いからだ。

「こういう気持ちになった」とかいう共感を求めるものでもなくて、「こういう人はこうなる」と、あたかもそれが公然の事実であるかのようにしたツイートは、それを見た人に少しでも納得できるところがあれば拡散され、RTやイイネの数が増えると共にどんどん「事実」としての力を増していく。

別にすべてを否定したいわけではない。恐らく先程挙げたような意見達も、的を得ている部分はあるのだろう。

まりなちゃんのような「虐待の連鎖」を見たことがある人なら、深く共感するのかもしれない。虐待の当事者の中にも共感する人はいるのかもしれない。

ただ、フィクションはフィクションであって、私たちはリアルの世界を生きている。
一人一人にそれぞれ現実の物語があるのだ。

・被虐待児は将来虐待をする

・愛情不足の子供は感情に欠陥を抱える

どんなにリアルに描かれていようとそれはあくまでフィクションの中の1例であって、「法則」ではない。

事実のように言えるとしても「虐待を行った保護者の内、元被虐待児の割合の方がそうでないものと比較して高かった。」とか。あくまで傾向の話は出来ても、それが直接的な因果関係で結べるほど、人は単純ではない。(と私は信じたい。)

ただ、SNSの性質上なのか分からないが、そういうツイートたちのおかげで、それまで虚構の世界の出来事だったものが、現実に侵食してくる。多くの人のイイネや共感によって強い力を持った「事実」として、当事者に刺さってくるのだ。

虚構を通して現実を見ている人から見える世界にはきっと全てに因果関係があり、彼らはそれを漫画でも読むかのように上から見ているのだろう。親からの愛情を受けられなかった子供は欠陥を抱えた大人になる。虐待を受けた子は将来虐待をする。既に決まっている。そういう物語になっているのだろう。

極端で意地悪な言い方をしていることは勿論自覚している。ただ、程度は違うとは言え、一人の当事者として、自分の人生が勝手に他人の1ツイートに矮小化され、単純化され、未来を勝手に決められているように感じてどうにもモヤモヤしてしまったのだ。

勝手に歪んだ現実を見ている分には構わないが、その言葉で当事者を傷つけることはやめてくれ。

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