オッと思ったらラランド特にニシダさんだった
現在のお笑い人気は、学舎である大学でのサークル活動ですらお笑い研究会が盛んで、一昔前には大学まで行って芸人(芸能人)かと、親に勘当(その手前まで含めるとかなりの方が)されてたのも多々あった事を考えると隔世の感まざまざとありにけり。
高倉健、その人もその口にて、その内に秘めたる愛故に、親の反対をまともに受けながら、役者稼業に身を窶し芸能の世界に入りしが、所謂ドーランを初めて其身に塗りし際には、己が身を売りし哀切、溢れ出でて思わず涙を零せり。なれどそれに耐えて耐え抜きて、役者にして初めての文化勲章の栄誉を佩びし事は、是正しく偉業なり。
その偉人高倉健が、役者稼業を志せる若かりし石原(後の石倉)三郎氏に聞かんに、「首迄泥に浸かれる覚悟はありや?(首まで泥に浸かる覚悟はあるか?)」との事。
此処に於いて、芸能界の常識は堅気世界の非常識なるは大凡に察せられにけり。
かくなる非常識の世界に、若き破天荒(←確信的誤用)なる勇者達は、現在にて、勢いよく飛び込める事、甚だしく多けり。
況んや、それらの芸人の末路にしても、先代桂米團治師匠曰く、「末路哀れは覚悟の前」と(いみじくも武士よりも尚洒脱に)後の人間国宝たる若き日の桂米朝青年に言い聞かせた事ありしを若人達は知るや知らずや?
そして、かの米朝青年の様に弟子っ子でもなく、或いはダウンタウンの様に養成所商売からでもなく、その己が力で目覚ましく芸人として輝けるは、特にラランドたりと我は覚えけり。
中でもサーヤ嬢は、同じく芸人達や、その稼業の裏方衆にも認められる事多きにて、界隈での彼の御嬢の評判は特筆すべきものと我考えり。此れはつまり事務所の力で売れしでは無く、当に彼女は新世代の実力派お笑い芸人なる事は間違い無からん也。
いやはや何事も好きこそものの上手とは言いけれど、その体現者を芸人の世界に久々に見出したる今日此頃であるらん。
けれどもその相方のニシダ青年の、同業の面々からの評判惡き事、これも又中々のものなり(笑)。然れども我是を聞くに些か彼を可哀そうにと見て取れり。
何故ならばニシダ青年の"好き"はお笑いに非ず、サーヤ嬢その人(を友として好き)也けり。
その故に、彼の御嬢の相方としては、誠に上手なるが故にラランドはサーヤとニシダにて組成されけるは(見ての通りそのまんま)間違い無かりけり。
特に、彼の青年のサーヤ嬢に向ける情の深さは、その彼女の戀や愛の、あれやそれやを、動画にて具(つぶさ)に分析せる腕前を拝見せる際にて、当方、感ずる所大にあり。
そして、又、かのニシダ青年が、誠に箸にも棒にも掛からぬ本当の塵屑が如き人間なら、巷間に伝わる彼の浮名は端から無けりや。斯様に纏わる女性(にょしょう)の多き事は、彼にも些か良き所在るは、是確かなると何とはなしに(笑)察せられんや。
ふむふむ…芸人の仕事に遅刻せる?それがどうした。高倉健さんも中々の遅刻魔なり。
ふむふむ…芸人の仕事に穴を開けた?それがどうした。戦前の歌舞伎役者は、その得心が行かねば幕日をずらすを珍しき無き事、三島由紀夫先生の著作より我知れり。
さうした芸能の世界にて動く金の混沌なるは、東京五輪談合の電通の有様を知れば、全く度肝を抜かれん程と思されん也。
か様な混沌でパワフルな世界から生み出されるお笑いの仕事に、お笑いよりも色好みの(←悪口に非ず源氏物語も色好みの物語也)或る一青年の士気が上がらぬ事甚だしくありたとしても、全く可怪しき事は無けりが故に、我は彼を責めずして、サーヤ嬢のしくじり社長足るを納得せん者なり(此れについては我を責める無かれ、御本人より、「自身はしくじり社長」と仰られりけり)。
さて、とは言いけれど、何かしらの仕事には精を出さずば、男が廃り、生き甲斐も腐り、その人生が灰色になるは気の毒につけ、ニシダ青年が文筆業―彼がみうらじゅん氏の言う所の分泌業には、既に"中々に"精を出したるは聞きしに及んでいるが―に遣り甲斐を見出しつつあるを聞いての今此処に我助言せん哉。
それは、三島由紀夫先生の若かりし日に、先生の御尊父の知人の方より受けし助言の「日本の古典か、外国の一流の作家の作品を原語で読む事、このどちらかを習慣とせよ」という事である。
況んや三島先生曰く、文体とは訓練であると述べられたりと我覚えける。その訓練には古今東西の文体・文章に頻繁に触れる事第一なるが故に先生も終生この助言を履行せるは大凡間違い無し也。
特にニシダ青年はスペイン語の教養もあるらんと我覚えるが、スペイン語圏には偉大な哲学者オルテガ・イ・ガセット等が存在し、彼の人は当にこの条件にうってつけなると思えん。
そしてもう一つは、此れも三島先生曰く、日々文章を書き続ける事も大事也との事。←この言葉も、もし我(三島先生)弟子を得たらんに必ず之を課すべし、との思いと共に何処かで披瀝されていたと我覚えん。
以上、徒然と思い付くまま二〜三時間書き連ねるが、最後に日月神示よりニシダ青年に激励となりそうな言葉を贈らん。↓
"悪く言われるとメグリ取ってもらえるぞ。悪く言うとメグリつくるのぢゃ。(日月神示 アホバの巻 第17帖より)"
"まことの善は悪に似てゐるぞ、まことの悪は善に似てゐるぞ。よく見分けなならんぞ。悪の大将は光り輝いてゐるのざぞ。悪人はおとなしく見えるもの。(日月神示 地つ巻 第17帖より)"