MY邪鬼
先日、この家に越してきてから初めてスニーカーを手洗いした。バイトの発掘で土を被ったソレは実に洗いごたえがあった。
洗う前には、多少汚れていても足元なんぞ大して見られる訳でもないし構わないと思っていたのだが、こうしてピカピカになった靴を玄関に並べると、滅多にない洒落っ気がムクムクと湧いてきて装いにも気合がはいる。
ところで、スニーカーを洗っていて気になったことがある。靴を洗う時に最も注力すべきは中敷きと靴の内部だろうが、見た目には全く影響しない。外見という点で言えば、一番大事なのはソールではなかろうか。僕が今履いているのは黒いスニーカーでソールは白。丹念に洗い上げたソールは眩く輝き、黒皮のコントラストが気持ち良い。
全く新品同様に美しい!
というのは言い過ぎだろうか?そう、言い過ぎである。
合皮の部分は使い込まれて少々テカっているし、靴紐はヨレてる。なにより肝心のソールは踵部分を中心に皺が寄っているときた。
だがダメだと言いたいわけじゃ無い。むしろ味があって良いじゃないか。使い込まれた痕跡は愛着が湧くし、色落ち進行中の愛用デニムともよく馴染む。そして何よりソールの皺である。
突然の区切り線に驚かれたでしょうか?
特に意味はない、note初心者なもんで機能を試したかったのです。しかし折角だから何か変えようと、語末をデスマス調にしてみました。
そうそう、ソールのシワの話でしたね。まずは実際の写真を見てください。
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このシワをみて、あなたなら何を思いますか?
「みっともないな、そろそろ買い替えようか」
などとお考えなら実に勿体ない。何事も見方次第でもっと豊かに生きられるのですヨ。(誰?)
或いは、大海原を覆わんばかりに翔ぶカモメの大群
或いは、どこまでも続く山並みの鳥瞰
そんなふうに見立てるのもまた一興でしょう。
でも僕の頭に最初に浮かんだイメージはそのどれでもなく、「苦しそうだな」という印象でした。いくら僕が痩せ型だとは言え、50キロ以上の圧力に日々耐え忍び、ついには回復の見込みのないほどにひしゃげてしまったソール。僕はソールの皺にその苦悶の表情を読み取りました。
ごめんね、ソール君。
とでも言うと思いましたか?
まさか、ソールに同情はしませんよ。僕はただ、そのシワに苦悶を見出しただけです。そして、次の瞬間にはあるイメージが浮かびました。
それは、邪鬼です。
ええ、邪鬼です。
え?もしかして邪鬼、ご存じない?
それは勿体無い、大変勿体無い。
それではご紹介しましょう邪鬼とは。
邪鬼とは、仁王像や四天王像に踏まれている小型の鬼で、仏法を犯す邪神として懲らしめられ、苦悶の表情をみせています。悪鬼(あっき)、悪魔などとも総称されます。仏教と切り離した分類でも、たたりをする神や、物の怪(け)、怨霊(おんりょう)と表現されます。
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僕、昔から邪鬼が好きなんです。仏像も大好きだけれど、その足元の彼等は表情豊かで、いろんなシチュエーション、ポーズがあってこれまた面白い。とっても可愛いので是非ご注目ください。
さて、もうお察しかと思いますが踏み潰されて顔を歪める邪鬼と、くたびれて皺の寄ったソール、似たものを感じませんか?
僕は感じました。これはもう、邪鬼だと。
見た目がどうこうって浅い見立てじゃありませんよ、マインドです。本質です。
邪鬼に見立てたソールを踏みしめながら、僕は毎日何を罰しているのでしょう?
きっと、己の弱さに相違ありません。
見た目だけじゃ無いなどと格好つけたけれど、新品のソールに鬼の顔を描いてやったら、履き潰した時にはどんな表情になるだろうかってのは気になりますね……
みなさんも自分だけの邪鬼、踏んでみませんか?