掌編小説『部屋とTシャツとビール』
鎌倉に住む小説家が事件に巻き込まれて…
「だめだ、つまらない」
外から射し込む光が高橋の身体に汗を浮かび上がらせた。
今日はこの夏一番の暑さだとテレビが伝えている。高橋は缶ビールを手に取った。冷たさが喉を通る。鉛筆を持ち直して原稿用紙を睨みつけるが、頭には何も浮かばず、暑さに頭の中の養分が吸い取られていく感覚がした。
「どんな内容?」
塩ゆでした枝豆が皿いっぱいに盛り付けてあるのを運んできながらユウカが訊いた。
「鎌倉の小説家が事件に巻き込まれて…」
「そんな内容のマンガがもうあったような気がするけど」
「だよな…」
口に入れた枝豆が咥内で転がった。汗でへばりついたTシャツが心地悪く、窓の外の太陽を恨めしく見つめるが、太陽は一向に表情を変えない。
「やっぱり、私たちのことを小説にした方がいいよ」
ユウカが悲しそうな表情をするのを見てられなかった。そんなこと、出来るはずがない。
「そんなことするよりは死んだ方がましだ」
「いいじゃん、一緒に天国に行こうよ」
返す言葉が見つからなかった。沈黙だけが残り、沈黙をセミの声がかき消す。
彼女のために何もしてやれていない自分が悔しくて仕方がなかった。生活が苦しいのは言い訳にはならない。高橋は黙ってユウカの手を握る。
骨張っていて、夜の星のように冷たいその手から感じるのは、病魔の進行でも彼女の儚げな優しさでもなく、ただ自分自身の弱さだった。
画像:Pixabay、Ella87
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