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サブスク黄金時代にCHAGE and ASKAを聴く

ポール・マッカートニーさんは今年、82歳になられたらしい。

ビートルズ時代の作品には、レノン/マッカートニーの表記が多いが、ジョン・レノンと共作したものは少ないということを、ある日聴いていたラジオで知った。

作った人がメインボーカルを担当する。

あぁ、あの方達とそっくり。

時々ボーカルが交代する曲もある。

それも同じだ。どんどん胸騒ぎが大きくなる。

ソロに転向してからの作品たちには、ジョンと別れたことは正しかった、との主張が見える。とも。

ふたりの間に流れる空気って、
ふたりが中和するものなのだろうか。
はたまた、どちらかが軌道修正を始めるのか。
周りにはどうにもできないものだということは何となく想像がつく。

大きな看板を背負う自負とかプライドとか
分け合えたらいいんだろうけど、
関係が深く長くなるほど、混ざりにくいんだろう。

そもそも、全く違う人間どうしが何もかも同じ考え、好み、理想を持つ可能性はゼロだ。


私の人生に長く寄り添ってくれている、
CHAGE and ASKAの全楽曲がサブスク解禁されて1ヶ月以上が経過した。

この出来事がきっかけかはわかり兼ねるが、
いわゆるヒット曲以外の、おぉ、これも流れますか!といった類の曲をラジオで耳にすることが増えた。

一過性のものでないことを願いたい。

1990年代前半に彼らを知った私は、
「え、チャゲアスって20人くらいいましたっけ!?」と驚いてしまう程の、厚い厚いコーラスに胸が震える。

語りたいのはそれだけではない。

主旋律とは異なる色彩をもつ、豊潤な声色も、
明らかに音がぶつかり合っているのに心地よく聴こえるハーモナイズも、
脇役と言うには存在感が大きい、合いの手やオブリガートも、
彼らが優等生の服を纏った異端児であることを象徴しているものの一部のように感じて、たまらない。

感情が型にはまり、イップスのような状態になっても、彼らの作品に触れると心が動き出す。
どれほど時代が流れても、チャゲアスは私にとってシェルターのような役割を果たしてくれる。

サブスクや配信が主流となり、「シングルCD」や「カップリング曲」という言葉を聞かなくなって随分と経つ。

だが、既存のそれらを聴かずにいるのは、ミュージシャンの歴史を知るチャンスを逃すことになるということを身をもって、いや耳をもって経験した。

今私は、“Trip”のカップリング、Chageさん作曲の“ソプラノ”に夢中だ。

彼らのトリッキーなハーモニーを語るうえで、エポックメイキング的な存在ではなかろうか!!

と、家族に熱弁を奮ったが、そもそも私とチャゲアスの音楽への向き合い方が違うのでガラス越しに話しているような気分になって終了した。

そんな家族も、9月に参加したChageさんのライブに大変感動していた。
かっこいい!現役感がすごい!めちゃめちゃ楽しい!お客さんとの関係性が温かすぎ!

激しく同意。ライブの醍醐味が沢山詰まった2時間は、余韻が長く残った。

Chageさんのように、いきいきと楽しいことに情熱を注げるなら、歳を重ねるのが怖くなくなるかもしれない、と希望も頂いた。


既知曲もレア曲も公平に並ぶのは、ライブ同様、サブスクの良いところかもしれない。

フォーク調、デジタル、ロックテイストとカメレオンのように姿を大きくを変え続け、J-POPの世界においてポジションを確立させたミュージシャンは、なかなか他に見当たらない。

余談だが、若かりし頃の声があまりに別人に聞こえて、当時小学生だった私はCDを間違えて購入してしまったのかと、ひとりでオタオタした。

更に余談。デビュー後12年程で大ヒット大ブレイク大ブームの時期が到来したわけだが、あの竜巻のような数年があったのとなかったのとでは、その後の運命はかなり変わっていたのではと思う。

CHAGE and ASKAとしての寿命は長くなっていただろうかと、時折考えてしまう。


そんなタラレバはさて置き、「チャゲアス」というひとつのジャンルが残してくれた、多くの素晴らしいメロディやサウンド、言葉たちに感謝が尽きない。
若い世代の方々や、昔々に彼らの音楽を通ってきた方々の耳に、いつまでも新鮮に届くことを願っている。

だって、同じ曲を何度聴いても発見や感動があるくらい、CHAGE and ASKAって面白いんだもの。ふたりともメインもハモリも絶品で、アレンジだって令和の時代に古さを感じさせない音像だし、とにかく、ひと粒で2度も3度も美味しいんだもの。

そして今日も染み付いた習慣から離れられず、CDプレーヤーへディスクを入れるのである。

あ、サブスク解禁を待ち望んでいたのは間違いないです。








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