9/26 僕がゲーム実況を始めた理由
友達とやってたモンハンの楽しさと同じくらい視聴者とやるスプラトゥーン3がめちゃくちゃ楽しかったです。またやりたいね。
どうも、ただのゲーム実況者/なみすけです。
今回は僕がなぜゲーム実況を始めたん?って話をしたいと思います。
家庭環境
まず軽く僕の家庭環境について話します。
この事に関しては詳しく他の日記で書こうと思っているので本当に軽く話します。
産まれてすぐくらいにお父様がお母様に子供の面倒なんて見てないで俺の世話をしろ。と訳のわからん口実で暴力を振るったらしく、物心つく前どころか1〜2ヶ月で離婚。
そこから一切父親の顔を見たことがなく、子供手当が支給される法律が出来たタイミングで俺を引き取りに家まで来たのを親が撃退。
俺はその時、通ってた小学校で夜8時まで待たされるハメに。その時も顔を見ていない。
そこから母親とおばあちゃんの二人に育てられて、母親は夜の仕事をしていたので学校に通っていた僕とは生活リズムが合わず、ほぼほぼおばあちゃんが親という形で育ててくれました。
小学6年生の卒業のタイミングで家賃を数ヶ月払っていなかったらしく追い出される。
そのまま母親は家があった地域に残って仕事をして、お金が貯まったらまた一緒に暮らそう。
という形で僕は母親の弟、叔父のところにおばあちゃんと居候する事になりました。
そして中学半ばくらいの時に母親から親権放棄されるという話を叔父伝えで聞き、僕の親が叔父に早変わり。
いきなり一人っ子から弟が4〜5人できるという珍事件に発展したのでした。
軽くでこんなに言うことあるの冷静に面白いな?
さて、軽く家庭環境の話をしましたがなぜ話したのか、それはここからがゲーム実況を始めるにあたっての最初の出来事だからです。
毎日が苦痛で病み期だった中高学生
先程話した中学で親が変わった件なんですが、ぶっちゃけ今となってはとんでもなくどうでもいいんです。
ですが当時の僕は"お母さん大好きっ子"だったので流石に落ち込みましたね。あ、捨てられたんだ。ってね。
今までもずっと邪魔だったのかな?今まで感じてた愛情は嘘だったのかな?
そんな事をずっと考えていました。
しんどかったぁ(迫真)
さらには居候した家庭がとんでもなく劣悪…いや、それは言い過ぎか。
もっと劣悪な人はね、世の中にはたくさんいるんでね。俺の中では結構しんどい家庭だったって言っておきます。たまにめんどくさい人いるんで。
・初めてできた4〜5人の弟の面倒を少しでも見れてないと怒鳴られ。
・家族で遊びにいった先では僕が全員見てないとダメで、少しでも目を逸らして変なところに行ってたらなんで見てねぇんだと怒鳴られ。
・それで後ろから弟たちを見るためにはしゃがず、静かに歩いていたら「お前なんでそんなに楽しくなさそうなんだ。二度とつれてこんわ。」と怒られる。
・毎日皿を洗っていて、手がボロボロになったから病院に連れて行ってと言ったら甘えるなと一蹴。
・部活のバレーで腰をやり、立つのも座るのも困難で病院に連れて行ってくれと言ったら俺たちの方が痛い。そんなんで痛いって言うならバレーやめろ。と言われる。
・何かしらで叔父夫婦が喧嘩してると「お前のせいだからな!!」と嫁の方にブチギレられる。
・これは弟たちだけだったが、ご飯中に少しでもテレビを見ると体が吹っ飛ぶくらい頭叩かれてた。
あかん書くの辛くなってきたやめるわ
まあこんな家庭で過ごしてたのでそりゃあメンタル終わるよねっていう。
どのくらい終わってたかと言うと、テンションの上下が激しすぎて1時間毎にめちゃくちゃ騒ぐ時と話しかけてきた友達に黙れ。と言ってしまうほど病む。を繰り返してましたね。
あれ躁鬱では???
ってな具合にね、散々な人生でした。
唯一の救いは本当におばあちゃんがいた事ですね。
おばあちゃんとするバカみたいな話が本当に唯一の救いでした。
ここら辺から少しずつね、今思えば心に思ってたことがあったんですね。
「あ、人を笑わせるのっていいな」って。
そこらへんからちょっとずつお喋りを練習したり周りに試してみたりをやってたんです。
これ今思えばの話ですけどね。当時は多分現実逃避でやってました笑
それが本当のキッカケってわけではないですが、多分そこらへんで僕の大体の今の性格が形成されていったんじゃないかなぁと思います。
やっぱり俺の今があるのはおばあちゃんのおかげ。おばあちゃん、大好きです。
転機
さて、暗ーい話ばかりになってしまったのでここら辺で僕の転機について話します。
18で社会人になったんですが、そこから1年後の20歳前後くらいにですね、職場でそこそこ人気になったんです。
上司にも先輩にも後輩からもめちゃくちゃ話しかけてもらえるようになったんですね。
理由は俺と喋るとなんか楽しいから。
そんな理由でした。
これね、マジでめちゃくちゃ嬉しかったんですよ。なんかやっと自分を見つけられたと言うか。
すごい大袈裟ですけどね笑
ここら辺で多分、僕の人を楽しませたい。笑わせたいって性格が完全に確立されたと思います。
マジで当時の職場の人には感謝。
ひたすら辞めたかったですが←
ここら辺の時はね、友達に会社の愚痴を言いながらも割と楽しみに職場にあってる自分がいましたね。今日はどうやって笑い取ろうか。そんなことばっかり考えてました。
ただただシンプルに楽しかったのかもしれません。
再びの暗転
そんな時期から一転、またちょっと暗い話になります。
あんなに調子良かった社会人生活ですが、ここで少し影が差し込みます。
職場が変わったんですね。もう急に変わりました。なんか中国とアメリカの冷戦だなんだかんだで大幅に台数が減りまして、異動と言われました。
その時にね、仲良かった人たちと離れて初めましての人たちとご対面。のタイミングで謎のメンタル不調。これマジで謎。
多分調子良かった反動で学生時代の自分が出てきちゃったんかなと思ってます。
そのせいで新しい職場で馴染めず孤立してしまってさらにメンタル悪化。ここで過去の悪癖、すぐそういう思考に走っちゃうんですね。
電車待ってる時にこのまま飛び降りたら…とか考えてしまうわけでますよ。アホですね。
また毎日がしんどくなってしまったんですね。
何やっても面白くないし楽しくない。
そんな鬱憤をゲームの課金で晴らす。そんな日々でした。
んでここ。ここのタイミングです。
2018年8月、ここです。
ここら辺で僕はこのままじゃいけないと。また人生が闇になってしまうと。だから色々な楽しい事をやってみようと。
趣味をしてみたりいろんなYouTubeの動画を見てみたり色々した訳です。ビリヤードのキューとボーリングの玉、ダーツの矢とか今でも残ってます笑
そんな中で友達に教えてもらったある人の動画を見たんです。それが…
レオモンという実況者の「金鯱の逆鱗」という作品でした。
もうね、びっくりしましたね。この世の中にこんな面白いものがあるのかと。
趣味とかYouTubeとかいろんな事をやっている時、全く楽しめず、本当に苦しかったですが
この動画を見た時は本当に心から笑ってたんですね。
あんなに毎日俯いて仕事行っていたのに通勤中にレオモン。休憩中にレオモン。帰りにレオモン。家についてからもレオモン。
まさに僕の「生きがい」になったわけです。
そうして8月初めに見つけて見始めたレオモンを8月末には全ての動画を見終わってしまいました。それで思った訳です。
俺もこうなりたい。と。
毎日の仕事や生きるストレスでしんどいと思っている人たちに僕がゲーム実況で生きがいを与えたいと。それは最高の人生じゃないかと。
そう思ったわけです。
これが僕がゲーム実況を始めた理由です。
割とまともな理由ですよね(自画自賛)
こんな理由で始めたんで最初はお金になるなんて全く知らないままやってました。
そんな僕がね、今や18000人の方にチャンネル登録していただいて。
どんな動画を出してもコメントが来たり高評価押してくれる視聴者の方がいて。
めちゃくちゃ楽しいなって素直に思います。
今までで一番嬉しかっだコメントは「なみすけの実況が生きがい」ですね。本当に嬉しかった…あのコメント…
もちろん、昔も今も夢は
「誰かの生きがいになること」
そんな理想のゲーム実況者になる事を夢見て
明日もがんばります。
なので、早くゲーム実況に復帰して生きがいを届けたいですね。
最後まで見てくれてありがとうございます。
できたら僕のゲーム実況の方もね、見てくれると喜びます。
チャンネル登録はお任せします。
てことで終わりです!
今回は3461文字でした!
また明日の日記でお会いしましょーう!