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コミュ症ってものの正体〈雑談note〉

毎週月曜日は、好き放題書いて良しって
自分制御装置をおかずに書いてく〈雑談note〉の日です。
この前置きが私への制御解除装置ですので
決まり文句です。

こんばんは
昨日一昨日、ちょいと忙しい時間を過ごしていました。今週はかなりタイトな時間を過ごすことが多そうなので、日頃付けた体力を発揮してがんばります!

今回は、ちょっとした体験から。

私は職業柄、様々な年代の方とお話する機会があります。

学生の頃は、自分より10も20も下の年齢の人と話すことってあまりなかったです。
あったとしても身内と呼ばれる人?私の想像及ぶとこで言うと。
上の年齢の人なら
身内や先生、近所の人くらいですかね。

今は、年齢が下の子と話すことが多いのですが
自分から「人見知りです。」「コミュ症です。」
「〇〇なところがあるので、よろしくお願いします。」
という前置きをされることもあります。

とても理解はできます。
コミュニケーションが必要なことは分かっていて、努力もしようとしてるけど
上手くできなかったら申し訳ない…
そんな想いが込められてる場合も感じます。

そのことに関しては、
前置きしなくっても大丈夫だよーと毎回思っていたりします、心のなかでは。

気遣い屋さんが多いですよ、若い人たち。

SNSの影響はあるんだろぅなぁ
と、感じたりしますよ。


この週末、体験したことで
私が感じたことです。

学生さんで、知り合いもほとんどいない中、せっせと色んなお手伝いをしてくれている、女の子がいました。

始めは何気ない感じで話しかけたのですが
1時間ほど経った頃には、かなり打ち解けて色んな人と話していました。
その場にいる人たちはほぼ、その学生さんよりも20以上も年上の人たち。

始めは居づらかっただろうなぁと思うんだけど
こちらから話しやすいかな?って雰囲気と、
何よりその学生さんのことが色々知りたかったので質問したりしてたら、あちらからもお話を振ってくれたり。
コミュニケーションが非常にうまい!
って素直に思ったんですよねぇ。

きっと、めちゃめちゃ気は使ってくれてたと思うんだけど最後は一緒にご飯も食べて、何気ない会話もしてっていう5時間ほどを過ごすことができました。


その学生さんがとっても会話上手ってこともあったと思います。
だけど、ふと思ったんですよね。

“コミュ症”を生み出す原因は
その場の空気、なのでは?と。

大人が沢山集まって
気の置けない仲間同士で過ごすなら
何も考えることはないけど
その集まりが、どんな人がどれだけ来るのかは
大人であればあるほど年代が下の人たちを
しっかり認知したげると、いいのでは?と思うんです。

老若男女、全く気を使わないのも違うとは思うんですが
気を使いすぎて何も話せないのも、その人自身のせいではないと思うのですよね。
特に若い人がベテラン(重鎮、上司)と呼ばれる人たちの前で固まってしまって、その場の空気が重苦しくて仕方がなかったって経験、誰にでもあるんじゃないですかね。

会社とか仕事のみの話ではなく
身近なコミュニティの中でも、余計なプレッシャーはかからないほうが誰にとっても有り難い?のではって、思うんです。

経験談ですが、年齢を重ねた人の少し厄介だなと思うところは、
若い世代の人たちを『何も知らない』と縛り付けて自分の許容範囲でしか見ないところ。

もちろん皆が皆の話ではないけど
とても俯瞰でみたときには、そんな風潮が何処にでもある気はするんだよね。

どこまでがOKでどこからがNGか。
いいはみ出し方と悪いはみ出し方ってあるの?
それを若い世代に求めすぎると、
その一歩を止めかねない…
そうなると
はじめに「私〇〇なんでよろしくお願いします」
「コミュ症なんで」と、言わせてしまうことになるんじゃないのって、そう感じるって話。

子どもは親の背中を見て育つ

世代間も同じだよね、きっと。
若い世代は前の世代を見てるはずだし、前の世代が作った世界を生きてくしかないわけだからね始めは。

色んな人がいて
一人ひとりと話してみると、みんなそれぞれオモロイところを持ってるし、めっちゃ頑張ってることがある。
やっぱり、老いも若きも一歩
歩み寄ってみないと
相手のことを知ろうとしないと、何にも善い方向には転がっていかないよね。


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黒河奈美《福岡移住系声優》nami kurokawa
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