
〇〇 HIGHTを何回味わえるのだろうか それが、楽しみじゃない
毎週月曜日は〈雑談note〉
この一週間で、どんな人に出会ってどんなことを感じて
何ができて何ができなかったのか
それで、どれだけ笑えて泣けて怒れたか。。。
ある意味何にも先のことを考えずに毎日過ごしてた20代のころは、
今がこんな、ある意味人生を考える人間になるとは思っていなかったよ。
どんな仕事をしたいとか、こんな夢を叶えたいとか
自分自身のことより、したい事とか行きたい所とかそういった願望が先にある人でした。
今でも、願望は大いにあります。
この通り。叶えたい夢や願望は尽きない。
その先の何かの為に叶えたいわけではなく、それをすることが目的。
何かに繋がる道にはなるかもしれないけど
私にとっては、チャレンジすることに意義がある、
自分を成長させるための何かがそこにあると信じてる。
人それぞれ考え方も捉え方も違うけど
私は、楽しむためにそれをするわけじゃない。
仕事=人生って思ってる私は、
自分を形作る大切なものではあるけど、突き詰めると楽しさとかそんなことより、成長させてくれる、今の自分じゃない次の形態へ……
そんなイメージ。
そこに、楽しさとかなくたって
イイ。
そう思ってます。
自分を作る大きな部分が、仕事であるなら、そこが充実してこそ、
成功と感じられる瞬間を得ることこそ、
幸せなんだ・・・
と、今までは考えていたんです。
ここでも書いたけど、
昨年からnoteを書くようになって
色んなタイミングで自分の生活や仕事を見返したり、向き合ったり考えたりする中で、ちょっとずつ腑に落ちるような感覚が訪れるようになりました。
仕事がきたり、仕事がうまくいったり、人からいい言葉をかけられたり
何となく気分がいいことで
「気持ちがアガル⤴」と感じてたものが
気持ちのいいことばかりに意識が向くことが違和感として
感じる自分がいることに、気が付きました。
大体、年中
困りごとや些細な悩み、嫌悪感とか面倒くささのようなものはある。
それを吹き消すくらいの良い事とかアゲ状況がなければその日は、悪い日。
気分良いことがあれば、些細な悩みなんてその日は帳消し。
そこには自分が本当に向き合ったことなんて大概一つも組み込まれていない。
外的要因?っていうのかな。
いいこと、わるいこと。
自分が気持ちが良いと思うことはいいこと
機嫌を損ねるようなことはわるいこと。
それだと、自分を取り囲む要因がどうであるかが重要になってくる。
自分が本当にしたいことって、調子のいい気持のいい部分だけを味わいたいだけなの?
人生ってそんないいことばかりじゃないってもう分かっているのに
可能性にばかり期待している自分。
それは、なかなか味わうことができないよな・・幸せに。
毎日同じことを繰り返す人のことを
ストイックだとか
修行僧みたいだとか
普通の人にはできないとか
そんな風に言ったりするけど
もしかしてそういう人たちは
幸せの感じ方を、知っている人たちなんじゃないかなぁ。
自分の想像を超えたところに幸せがあるんじゃなくて
自分が幸せだと思えることが分かっていて、その瞬間をしっかり味わい尽くせる人が幸せを手にしているんじゃないのかなぁって。
同じことを繰り返せる幸せの中に、少しの変化を見出せた時の幸せが
想像超えた先の、幸せ。
そんな風に感じはじめたきっかけはやはり
☆noteを何が何でも続けていること
☆毎日続けられてる、身体を動かす習慣
☆自分の仕事を自分を助けてくれてる人との繋がりだと感じられたこと
この、3つなんです。
全て、≪続けてる≫ってところが共通点。
続けてきたからこそ、気が付いたそれ自体の幸せ。
そしたらちょっと面白い事も起こり始めたのね。
○○HIGHTのような瞬間を、感じられるようになって、それが気持ちいいと思えるように。
noteを書き始める時は、腰が重いこともある。
やらなきゃ感に襲われたことも何度もあった。
今は、やれるときにまんべんなく時間を分散させて書いたり、
書きたいと思った時に「だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」と書いたり
またそんな自分を咎めたり反省したりもしない。
noteHIGHTが、こんな私にもやって来て、そんな瞬間が味わえた。
また、身体を動かす習慣っていって
とにかく気がついたらストレッチから始めたことが習慣化して、
軽く家族に「何が何でも走る」と宣言して今、少ない距離だけど日課になりつつあります。
無理は絶対しないと決めている。だから、人に大々的に言えるほどはやれてはいない。ただ、無心になって続けている。
そうすると一瞬、ランナーズHIGHTがくるようになった。
「もう今日は足が前に出ない~(´;ω;`)」となった時流れた[ZARDの負けないで]に助けられながら。
ただ、走る走る走る。
何にも考えてない。
仕事を通しての出会いは、私の人生で本当に宝です。
我が子と同じです。
宝物すぎて、有難すぎる存在。
現場だけではなく、家ですることだって私を表現する大切な仕事の一つで、時間の割に・・・と思ったこともあるけど
今はそんなの関係ない。
まだまだ、考えなくちゃならないことは山積みだけど
自分の仕事に関わることを考えている時間は、集中も増すし大事な時間だなって最近はとみに感じる。
そんな時間がどれも、私にとって幸せだと感じられる。
もっと早く気が付きたかった、っていうのはいつもの感覚。
だから、これも私の人生なんだなと思えるのです。
自分がすることが、夢中でできる瞬間。
そんな〇〇HIGHT、何度も味わうために私は、何がなんでも続ける。
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