音楽で感情は蘇るのに、記憶が蘇らないこと。
感情が蘇る曲。
なぜかは言葉にできない。
けども、ずーっと好きな曲。
そんな曲、皆さんにはありませんか?
いつも聞いてるわけではない。
でも時折、ふとした瞬間に思い出して、聞いてみたくなる。
そして聞いて、やっぱり好きだなあと思う。
そんなこと。
私には、何曲かあります。
そんな曲の一つに大塚愛さんのプラネタリウムがあって、たまたまそのTHE FIRST TAKE版がYoutubeで数時間前に配信開始されました。
大塚愛さんといえば、平成時代にさくらんぼが一大ヒットしてから多くのヒット曲を生み出した方で、Youtubeによるとこの曲は花より男子の曲でもあったみたいです。(花より男子の、嵐のWISHも好きです笑)
とてもよかったので、良ければ聞いてみてください。
”最適解”ではない気持ちとリンクする芸術
私は本当に小説や音楽が好きで、高校時代には一日に話す人より一日に読む小説の数のほうが多い、なんて言われて実際そうだったこともありますが、当時はそれが心地よかった。
いや、今でも、多分、本当はそれが心地よい。
それは自分の感情の色や形に気付けるから。
前の投稿ともつながるのかもしれませんが、私は会話にとても頭を使っていて、多分、リラックスしているときがあまりないです。
どうやって言葉の、感情の”最適解”を出すか。
そんなことばかり会話のときは考えている。
でも
音楽を聞く。
小説を読む。
そのときは、そのときだけは。
決して最適解ではない、自分の感情が、言葉が、形として表れる。
そんな感情を浮き彫りにしてくれるものに惹かれるのでしょう。
でも蘇らない記憶。
書きながら大塚愛さんのプラネタリウムをずっとリピートしてると、いろんな感情が湧き上がっています。
願いたくなるほどの想いを、素直に言えるのは一人になったときで。
その切ない心残り。
記憶の残り香にすがりたくなるけど、
すがるほど無意味なことはないと気づいているけど、
それでも捨てきれない気持ちの深さ。
その感情に合わせて、自分の心臓の拍動も確かに、ドクドクと深くなる。
なのに、不思議なことに。
それに紐づいた記憶が何か出てくるわけではないんです。
思い出そうとしたら、わずかに像を結びそうな記憶がないわけではない。
だけど、それを思い出そうとしても曖昧なままで、霧に消えるよう。
歳を重ねて、もう記憶には残っていないけれど、わずかに感情だけが残ってしまっているのでしょうか。
それとも、これが深い共感というものなのでしょうか。
アーティストに敬意を込めて
共感、という言葉に対しては、もっと語りたいこともあるのですが、それはまた次回。
この数年間、こんなに自分の感情と向き合うことはなかったのですが、 noteにまとめてみることで自分の中にこんな気持ちと言葉があったんだなと思えて、嬉しいです。
今日はとりあえず、深く感情を揺さぶってくれるアーティストに敬意を込めて、素直な心の中を書きたかったので、ここまでとします。
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