
ことのね(6)自己責任(1)
自己責任とは何だったのか
「日本ではホームレスを相手にしたい人はあまりいないし、彼らのことを本や記事にする人も少ない。一般的な日本人は、彼らがホームレスになったのは自己責任だと考えていて、国の補助金で生活している人を軽蔑する態度を取っている」と、友人は教えてくれた(実際には、ホームレスの多くは生活保護を受けず、働いて自分を養っている)
時折見かける自己責任(論)について考えてみたい。ただ、長くなってしまったので1と2に分けて書くことにする。2の方で自己責任の言葉について追っていくことになるが、まず1では自己責任とは何だったのかについてまとめる。
2004年流行語大賞
自己責任とは何かについて簡単にふれておくと、2004年の「現代用語の基礎知識選/ユーキャン流行語大賞」のトップテンに「自己責任」が選ばれこの言葉が定着したようである。
自己責任
本来はリスクをとって行動した者が自ら「結果責任」をとることをいうが、最近では責任を転嫁する際にしばしば用いられている。
特に自己責任という言葉が頻繁に用いられたのは、2004(平成16)年4月、戦闘が続くイラクで発生した武装グループによる日本人人質事件のときだった。3人の日本人人質に対して自己責任という言葉が向けられたのだ。
政府の勧告を無視してイラクに向かったのだから、自業自得だという議論だった。彼らが果たそうとしたイラクの子供たちへの支援や真実の報道という尊い目的は無視され、政府に迷惑をかけたことだけがクローズアップされた。
全体主義の下で、自ら考え、独自の行動をした人を切り捨てるための言葉が自己責任となってしまった。
~『現代用語2005』くらしと経済用語より~
ここでは本来の意味から変わっていって責任を転嫁する際に用いられているとあり、2004年にイラクで発生した武装グループによる日本人人質事件の時に、日本人人質に対して自己責任という言葉が向けられたこととなどから流行語に選ばれたものである。
アテネ五輪の年で北島康介氏やプロ野球で楽天が新規参入、一方で負け犬が選ばれていて世相が感じられる。
14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか?
2018年10月にシリアで武装勢力に 3 年以上拘束され解放されたフリージャーナリストの安田純平氏に対して「自己責任論」による非難が向けられたことがあった。
その時に文春でプチ鹿島氏の記事があり2004年当時の振り返りがされていた。
それによると自己責任論のスタートは現・東京都知事の小池百合子氏だったようで、その後に他の政治家も発言が相次いだとある。
この頃の読売、朝日、毎日を読み直すと、政治家で「自己責任」を言って記事に載っているのは小池発言が最初だ。この11日後の4月20日に朝日新聞は「自己責任とは」という特集記事を書いているが、ここでも時系列の表で一番最初に載っているのが小池氏の発言である。
つまり新聞を見る限り、政治家として最初に被害者の「自己責任」に火をつけたのは小池氏だった可能性が高い。
ほかの政治家はどうか。
読売新聞・夕刊(4月16日)の一面トップは「3邦人 あすにも帰国」とある。しかしそのすぐ横は「閣僚から苦言続々」という記事だった。
「自己責任という言葉はきついかも知れないが、そういうことも考えて行動しないといけない。」(河村建夫文部科学相)
「どうぞご自由に行ってください。しかし万が一の時には自分で責任を負ってくださいということだ」(中川昭一経済産業相)
このほか《「損害賠償を三人に求めるくらいのことがあっていい」との声も》という記載もあった。
毎日新聞の「『身勝手』か『不屈の志か』」(2004年4月17日)も、解放直後の4月16日の政治家の発言をまとめている。
「帰国して、頭を冷やしてよく考えて判断されることだと思います」(福田康夫官房長官)
「自己責任をはっきり打ち出してもらいたい。なぜ(3人の出国のために)チャーター機を出したのか。1人は『イラクに残りたい』と言っている。こういう認識には問題がある」(山東昭子元科学技術庁長官)
「救出に大変なカネがかかったが、誰も把握していない。7日間徹夜の努力をしており、(額を)国民の前に明らかにすべきだ」(公明党・冬柴鉄三幹事長)
続いて当時の小泉首相の発言があった。
こうして読むと救出費用などおカネに言及する声や謝罪を求める声が多いことがわかる。これは今回SNSで言われている「自己責任論」にも通じる。このときの政治家の言葉がそのまま一般に「論」として残っていると考えてよい。もっと言えば国側の目線に立ったような意見が2018年の今、一般にも顕著になったと言える。
一方で野党の政治家の声も載っている。
「将来にわたってイラク(復興)にかかわりたいという気持ちは大事だ。厳しい状況に置かれながら志を曲げないことにむしろ敬意を表したい。その志に対する批判なら、まったくの筋違いだ」(民主党・岡田克也幹事長)
「金銭的負担を被害者に求めるのは一番弱い立場の人に『自己責任』を押しつけるものだ。政府の言うことを聞かない人は法律で規制するというのは、個人の尊厳や自由を定めた憲法の精神と反する」(社民党・阿部知子政審会長)
こちらの「論」は今の安田さんを擁護する声の元祖と言っていい。
小泉首相の「批判」、読売の「見解」
しかしこれらをまとめて吹き飛ばしたのが小泉首相の言葉だった。
4月16日の毎日新聞・夕刊一面は「3人、18日にも帰国」。その脇には「イラク人を嫌いになれない 高遠さん『活動続ける』」という小見出しがある。高遠菜穂子さんはイラクでボランティア活動をしていたのだが、その活動は今後も続けると答えたのである。
するとその言葉を聞いた小泉首相は、
《 「いかに善意でもこれだけの目に遭って、これだけ多くの政府の人が救出に努力してくれたのに、なおそういうことを言うのか。自覚を持っていただきたい」と批判した》
わざわざ首相が強い言葉で非難したのだからインパクトは強かった。人々の記憶に強烈に刻まれたのだ。
さらに読売新聞の社説などと続いたようである。
当時の社説も振り返ってみよう。読売の社説が厳しかった。
《自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である》(2004年4月13日)
《政府・与党内には、救出費用の一部の負担を本人に求めるべきだという議論もある。これは検討に値する。独善的なボランティアなどの無謀な行動に対する抑止効果はあるかもしれない》(2004年4月19日)
……「独善的なボランティアなどの無謀な行動」という言い方にはギョッとする。ハッキリと切って捨てるナベツネ、いや読売社説だった。「政府に迷惑をかけるな」というお叱りである。
14年前、安倍首相は何を言っていたか?
さらに社説だけでなく読売の一面コラム「編集手帳」もこう書いた。
《人質にされた三人は政府の「退避勧告」を無視してイラクに出かけている。悪いのは一にも二にも卑劣な犯罪者だが、世に与えた迷惑の数々を見つめればきっと、三人もひとつ利口になるに違いない》(2004年4月16日)
「自己責任問う声次々 政府・与党『費用の公開を』」(朝日新聞・夕刊 2004年4月16日)
この記事の中で安倍晋三・現首相の声が載っていた。当時は自民党幹事長であり、党の役員連絡会後の言葉である。
《安倍幹事長は「山の遭難では救助費用は遭難者・家族に請求することもあるとの意見もあった」と指摘した》
やはりと言うべきか、今につながる言説ではないか。
自業自得から正当化、集団同一視へ
自己責任とは自業自得という意味にも受け取れるが、当時の流れを踏まえると
政府に迷惑をかけるな、費用も負担しろという意味も含んでいたことが分かる。
自業自得
自ら行なった行為はその報いを自分の身に受けなければならないということ。また一般に、自分の行為の結果を自分の身が受けること。自業自縛。
自業自得だと単にこういう意味になるが、当時の発言などからは政府に迷惑をかけた責任を取れという流れになる
これを踏まえると今に続く冒頭のホームレスに対する自己責任もなんらかの責任転嫁であるとも読める。
自己責任
本来はリスクをとって行動した者が自ら「結果責任」をとることをいうが、最近では責任を転嫁する際にしばしば用いられている。
自己責任からは自業自得の意味が感じられ、責任転嫁する際に用いられるというのが個人的には感じていたことだった。
責任転嫁するということは自分を正当化することであり、正当化については自分の小さな「箱」から脱出する方法の本の感想でも触れたが、日本だけではなく誰しも持つような普遍的な心理でもあると思う。
簡単に解決できない問題は自分で抱えていたくはないので責任を押し付けて自分を正当化するということがある。
ただここでもう少し踏み込んでいくと、自己責任と言うときに政府に迷惑をかけたのだから責任をとれというのは、引用にあるように国側の目線に立った言説である。
これは全体主義というより心理学的には集団同一視や自己拡張ということができて、その対象が国や政府になった、自分=国という視点からの言説であると言える。
さらに遡って1995年
ではさらに2004年より前ではどうだったのか調べてみる
松林氏の記事によると「自己責任」を含む新聞記事が増えたのが1995年だったようだ。
筆者によると阪神淡路大震災の復興をめぐり議論になっていたという。
神戸育ちの私はまだその頃は子供だったが、仮設住宅や住宅復興、給水や食糧支援など色々行われている中で
助けられるものと助けられないものがあったり、支援のあるなしなどをなんとなく感じていた気がする。
そして1990年頃から始まったバブル崩壊で不良債権問題があった時期でもある。
このころ世間を騒がしていたのは、銀行やノンバンクの不良債権問題でした。その経営責任を問う文脈で「自己責任」「自助努力」という言葉が多用され、それが被災者の生活再建をめぐる議論の中でも使われたのです。生活保護や健康保険の受給者を批判するタイプの自己責任論の源流をたどれば、この時期にたどり着くのではないでしょうか。端的に言えば、このころから本格化した新自由主義的な改革が「自己責任論」を社会全体に浸透させていったのです。
バブル崩壊に伴って金融機関の不良債権問題がはじまったのも1995年頃からであった。さらにその前の1980年代ではイギリスでサッチャー政権、アメリカではレーガン政権で日本では中曽根政権で強い政府権力のもとで市場原理における自由競争が進められていく時代でもあった。1980年代ではまだ今のような自己責任の言葉は原義に近い用例であったようだ。
実際、昭和時代まで遡ると、自己責任を個人と結びつける記事はそれほど多くありません。
“金利自由化は、金融機関にも一般企業にも、経営の自己責任の厳しさをこれまでとは格段の違いで求めることになる。”
(『金利自由化と今後の産業資金調達(社説)』1981年11月11日付 朝刊)
“世界同時不況を回避するための国際協調を米欧に呼びかけるにしても、まず日本が国内の経済運営を自己責任できちんと実行しておくことが必要だろう。”
(日経新聞『景気の冷え込みと政策対応の基本(社説)』1982年8月14日付 朝刊)
このように、基本的には金融機関や大企業、政府に対して使う言葉だったからです。個人に関して使う場合も対象が限られていました。
“「自分で判断し、その結果についても自分で責任を負うという原則を忘れないことです」と株式投資の心構えを強調するのは東京の金属加工品会社に勤めるIさん(55)。”
(『無手勝流だが自己責任の原則貫く』1981年10月26日付 夕刊)
“日本ではそれなりの規模にまで成長していない企業に一般投資家が投資するのは危険という判断が行政側にも証券会社にもあるのに対し、米国では「投資は自己責任」の考え方が徹底している。”
(『株式の店頭市場――米国・めざましい隆盛続く 日本・魅力ある市場へ始動』1981年11月04日付 朝刊)
これらの記事から分かるのは、本来「自己責任」は市場用語だったということです。株式や債券などに投資すると、高い収益を得られる可能性がある反面、損失が発生する危険も高まります。こうしたハイリスク・ハイリターンの取引を「あえて」する以上、仮に損をしたとしてもその責任は自ら引き受け、助言者や当局のせいにはしない、という原則論を指す言葉だったわけです。「自覚のある強者にだけ適用される論理」と言ってもいいでしょう。
リスクを負ってリターンを得る。結果の責任が自己責任という市場での意味だった。
規制緩和
それからバブルが進み崩壊していく中で今度は規制緩和の話が出てくるようになった。1993年に首相の諮問機関「経済改革研究会」(座長・平岩外四経団連会長)
がまとめた中間報告「規制緩和について」というものがある。
https://www.esri.cao.go.jp/jp/esri/prj/sbubble/data_history/5/makuro_kei04_1.pdf
これまで産業の発展と国民生活の安定にそれなりの寄与をしてきた。しかし、いまでは、かえって経済社会の硬直性を強め、今後の経済社会構造の変革を妨げている面が強まっている。
したがって、これら公的規制は従来の経緯にとらわれず、廃止を含め抜本的に見直されるべきである
これまでも規制緩和が言われてきたが、民間の行政への依存体質が残るなか、既得権益にとらわれたり、確たる緩和の必要性が十分に理解されないために、十分実行に移されてこなかった。
抜本的な見直しは、短期的には経済社会の一部に苦痛を与えるが、中長期的には自己責任原則と市場原理に立つ自由な経済社会の建設のために不可避なものである。勤に実行すべきである。
これは規制緩和の必要性を訴えたもので、経済的自由主義を促したものとなっていて競争原理による市場経済の重視をしたものである。
この中では経済的規制と社会的規制の二つに分け、経済的規制については原則廃止とし社会的規制は必要最小限とした。
そして社会的規制は次のような内容であった
「社会的規制は「自己責任」を原則に最小限に
安全・健康の確保、環境の保全、災害の防除などの社会的見地から行われる規制は、不断に見直しを進め、本来の政策目的に沿った必要最小限な規制内容とし、その透明な運用を行う。」
(1)参入・設備等に関する規制については、既得権益の保護や参入抑制にならないよう、事業者の資格・設備要件を規制する最小限の規制とする。
(2)消費者保護のために行われる規制は、自己責任原則を重視し、技術の進歩、消費者知識の普及などを踏まえ、必要最小限の範囲、内容にとどめる。
(3)安全・環境保全の見地から行われる規制も、(2)と同様最小限にとどめる
今まで,これほどまで明確に,消費者の自己責任を強調した公文書はなかったといってよい。それだけに,この中間報告はセンセーショナルであった。
つまり規制緩和とあいまって消費者に自己責任を負わせるようになるのがこの頃だったようである
投資などの自己責任と同様に消費者も購入する商品は自己責任としていくようになった。
また1995年には当時の大蔵大臣武村正義氏が「金融行政の転換について」を発した。
「次の2つの原則,すなわち,第1に,金融機関において自己責任原則を徹底すること,第2に,行政当局において市場規律を機軸として透明性の高い行政を行なうことが肝要である。
……・金融機関経営の安定のためには,金融機関自らがリスク管理能力を高めていかなければならない。また,監督当局としても, 自己責任原則を徹底し,市場規律が十分に発揮される透明性の高い,新しい金融システムを構築していく必要がある。」
このようにバブルの崩壊と規制緩和、金融ビッグバン、不良債権問題に消費者への自己責任、そして阪神淡路大震災とその年から始まる金融機関の破綻問題が押し寄せたのが1995年頃であった
しかし、規制緩和等を行うに際し重要なことは、自由競争原理の貫徹とその反面生じる自己責任のあり方を徹底して議論することであります。行政改革委員会において活発な議論をいただき、その意見を最大限尊重し、今年度内には規制緩和推進計画をより充実した内容に改定する決意でございます。
(中略)
同時に、忘れてならないのは、国と民間、国と地方との関係において相互のもたれ合いや甘えがなかったか、また、国民、住民への説明や情報開示は十分に行われていたかという点を検証することであります。このような真剣な議論やそれを通じた各界の自覚をもって初めて、国民の間において、いかなる分野において自己責任原則を徹底させ、いかなる分野において政策的措置が必要であるかについての合意が形成され、真の意味での行政改革がなし遂げられるものと信じております。
同じく1995年の臨時国会の所信表明演説でも自己責任の言葉が出てくる。この時は村山内閣だった。規制緩和に際し自由競争と生じる自己責任、説明や情報開示があっての自己責任という言葉が出てくる。
生活と自己責任
また、阪神淡路大震災で被災して家を失ってローンだけが残った被災者についても議論があった。
平成7年10月,参議院本会議で当時の村山総理大臣が,「私有財産制のもとでは,個人の財産が自由かつ排他的に処分し得るかわりに,個人の財産は個人の責任のもとに維持することが原則になっている点についてご理解いただきたいと思います。」と答弁しているように,私有財産制度のもとで,財産の自由処分に政府が関与しないことと,政府が財産形成に関与しないことが大原則とされている。
コラム 居住安定支援制度をめぐる議論
ノンフィクションライターの島本滋子氏の『倒壊 大震災で住宅ローンはどうなったのか』(ちくま文庫)では、阪神淡路大震災後、家を失いながら住宅ローンが残ってしまった人の数を「およそ15,000人」と計算している。当時、国は震災の直後から「家が壊れてローンだけが残った人に対してどうするか」という議論を重ねた。
一部からはチャラにして、少なくともゼロからスタートできるようにすべきであるという提案もされたが、最終的に国は「自然災害に国の責任はない。自然災害からの再建は自己責任である」という姿勢を崩さなかった。
答弁にもあるように家などの財産は個人の自由のため、その個人の責任のもとに維持されるものとなっている。
とはいえ現実として自立した生活の再建が困難なものが存在する。そこで1998年に被災者生活再建支援法が成立された。
阪神・淡路大震災において見られたように,住宅が全壊する等,生活基盤に著しい被害を受けた被災者の中には,経済的理由等により,従来の低利融資や税の減免等の措置だけでは,自立した生活の再建をすることが困難な者が存在する。
こうした実情,教訓を踏まえ,平成7年9月,全国知事会が「地震等災害による被災者の自立再建を支援する災害相互支援基金の創設に関する決議」を行った。その後,関係機関等により様々な検討が進められ,最終的に自民,さきがけ,民主,公明,自由,社民の6党共同提案で「被災者生活再建支援法」が提出され,平成10年5月に成立した。
この間の議論についてもコラムが掲載されているが、直接支援すべきという意見から国は個人の財産には一切責任を負わない、税制支援までなどとあったようである。救済を行うにしても自主的に事前に耐震補強を行ったものとそうでないものとの間で不公平感が伴ったりする意見などもあった。
規制緩和と自己規制
物事がうまくいってるときや勝ってるときは問題が問題にならないが、それが負けに転じたり失敗し始めると問題が表面化する。犯人探しが始まる。それまで築いたものをどうするのか誰が維持するのか壊すのか。
それまで一億総中流と呼ばれていた時代があって、大半の人がうまくいってたとするならば、それが逆流し始めた時の勢いも相当なものであったと考えられる。
余談だが、硬直性の打破のために規制を緩和し自己責任とする場合、負う責任によっては逆に自己規制が始まるとも考えられる。
これは昨今の報道機関やエンタメ制作などによる自己規制もそうだし、個人でもサラリーマンがいいとか昇進したくないというのも同じ自己規制とも言えるわけで
規制があるから硬直性とした自由経済主義の見落としの部分もあるような気がする。
この事実を知ると、自己責任の意味がどのように変質したのかが見えてきます。投資に失敗して財産を失った人と、大地震で家を失った人を同列に論じることはできないでしょう。「地震の巣と言われる国に好んで住んでいるのだから」という理屈も成り立たないわけではないでしょうが、明らかに無理があります。生まれる場所は本人が選べるものではないからです。同じことは生活保護や医療保険についてもある程度当てはまるでしょう。
投資は自己責任といった、リスクを承知で行うことという市場用語としての自己責任から、消費行動への自己責任、金融機関の自己責任や、災害で不運に見舞われた人も自己責任としてしまうのかどうなのかと変わり始めた時期であった。もっともバブル経済とともに証券会社や金融機関の反社会的行為や不正行為も明るみになったことも金融機関への追及へとつながり監督官庁への圧力へと作用したこともあるだろう。
文化的背景
そういう変遷にすすんでいった文化的背景にはいくつか理由が考えられる。
もう一つの変質は、自己責任論の背後にある「自主独立」の捉え方を巡って起きたように感じます。福沢諭吉の国家論を見ても分かるように、他人に依存せず主体的に生きようとする精神は健全な社会を築く上で欠かせないものです。その意味で「なるべく国や他人の世話になりたくない」「迷惑はかけたくない」という態度自体は好ましいと言えるでしょう。ただ、それが転じて「国や他人の世話になるとはけしからん」「世話になる以上はいうことを聞け」という理屈になると話は違ってきます。
本来、自主独立の精神とは「支配されない」「従属しない」という気概です。もし自分を支配しようとする者があれば、闘わなければなりません。自分が非力な場合、その方法には面従腹背やサボタージュ、他者との連帯も含まれます。そうした精神を尊ぶのなら、誰かを支配したり、従属させたりする勢力には手を取り合って抵抗すべきでしょう。
しかし、自己責任論を振りかざして他人を批判する人の多くは、そうした支配・従属関係に鈍感です。生活保護の受給者に「国から金をもらっているのだから自由が制限されて当然だ」という態度をとるなら、自主独立の精神を尊重しているとは言えないはずです。そもそもセーフティーネットの多くは、不公正な支配・従属関係を生まないために作られました。生活保護や健康保険の仕組みがなければ、生活に行き詰まった人は誰かに隷属するしかなくなるからです。近代国家自体も、理想的には個人の自由と独立を保障する仕組みです。
平成を通じて続いた新自由主義的な改革は、国家による「過保護」への反省から始まりました。その意味では明治の近代化を支えた「自主独立の精神」を取り戻そうとする試みだったのかもしれません。しかし、国家の役割を軍事などに限定する「小さな政府」へと舵を切った結果、皮肉にも真の自主独立精神は失われ、支配や従属を当然のものとして受け入れる風潮を生んでしまったように見えます。沖縄の基地問題への冷淡な態度や、米国への追従を当然とみなす風潮も、根っこには歪んだ自己責任論があるのではないでしょうか。
これに対して、日本人や韓国人の考え方の基礎である儒教は「自己責任論」の色が強い"宗教"であると私は認識しています。ただし、この点については私の勉強不足な点があるので触れません。
(中略)
見せかけの平等を謳っているからこそ、受験戦争は自己責任論をかなり強化していると思います。
というような見方もある
それに加えて「公正世界仮説」やいわゆる「通俗道徳」的な見方でも納得はしやすいだろう。
公正世界信念の保持者は、「こんなことをすれば罰が当たる」「正義は勝つ」など公正世界仮説に基づいて未来が予測できる、あるいは「努力すれば(自分は)報われる」「信じる者(自分)は救われる」など未来を自らコントロールできると考え、未来に対してポジティブなイメージを持つ。
一方、公正世界信念の保持者が「自らの公正世界信念に反して、一見何の罪もない人々が苦しむ」という不合理な現実に出会った場合、「現実は非情である」とは考えず、自らの公正世界信念に即して現実を合理的に解釈して「実は犠牲者本人に何らかの苦しむだけの理由があるのだ」という結論に達する非形式的誤謬をおこし、「暴漢に襲われたのは夜中に出歩いていた自分が悪い」「我欲に天罰が下った」「ハンセン病に罹患するのは宿業を負ったものが輪廻転生したからだ」「カーストが低いのは前世でカルマが悪かったからだ」など、加害者や天災よりも被害者や犠牲者の「罪」を非難する犠牲者非難をしがちである。
例えば「自業自得」「因果応報」「人を呪わば穴二つ」「自分で蒔いた種」など、あらゆる宗教にも日本のことわざにもこの公正世界仮説が反映された言葉がある。
単純に言えばいいことをすればいいことが起きる。悪いことをすれば悪いことが起きるということだが、
その認知が逆転していて、いいことが起きたのはいいことをしたからだとなり、悪いことが起きたのは悪いことをしたせいだと考える認知である。
内集団と外集団
もう一つは使い古されたワードだが「人付き合いの希薄化」といったものもあるような気がする。
この見方から自己責任の背後を考えるのは少ないようであるが、つまるところは知らない人に責任を押し付けるということがあるのではないかと思う。
いわゆる偏見というものでもあり、「内集団」「外集団」のバイアスでもあるが、自分が帰属していると認識している集団(内集団)に対してはひいきや擁護の意識が働き
帰属意識のない外集団に対しては非協力・差別的になることがある。
金融機関だったりジャーナリスト、または被災者だったり、ホームレスや生活保護の人、記事などをみていると自己責任対象となってあげられたのはそういった方々であるが、
自分の属している集団ではないと思う人だからこそ対象となっているとも考えられる。
バブルに向かっていく中で都会に人が集まっているにつれて、深く付き合う人などが減っていった。さらに現代はネットでのみの人が増える分だけリアルで人と交流する機会も減っていくので
より外集団に対する偏見は強まっていくだろう。細かいところは偏見の科学から別稿としたいが、
現代社会における内集団と外集団の広がりとそれに伴う偏見や自己責任もある程度関連しているのではないかと思う。
自己責任は自己正当化であり、自分と国や政府との同一視つまり自集団と外集団との認識をしたとも言えるからだ。
まとめ
自己責任とは何だったのかについてその経緯や背景について探ってみた
高度成長からバブル経済へ向かう中で日本全体が同じ方向へ進もうとし破綻した。そこでそれを縛っていたものを規制だったとして緩和しようする流れと、不良債権処理に関して金融機関の収益性と安定性の確保がうたわれた。
また同時期に起きた震災による復興とその費用負担、それらに向けられたものが自己責任と言う名の責任にすり替えていこうとするものだった。それはもう大きな日本丸に全員が乗組員として進んでいける時代ではなくなったことを表していて、個人(労働力)や金融、不動産も小舟となり責任を負うこととなった。
なぜならバブルの崩壊の責任をとるものがどこにもいなかったからではないだろうか。そして今度は自己責任が受け手と送り手の双方の自己規制を引き起こし、さらにその規制も外そうとするべくセーフティネットも無くしたいという主義も出てきているように思える。北風と太陽である。
ここで文春の記事に戻る。
「『自己責任』独り歩き懸念 ネットで安田さんへ批判次々 経済用語使い方すり替え」(毎日新聞 10月28日)
《「<自己責任>とは何か」の著書がある桜井哲夫・東京経済大名誉教授(社会学)によると、1980年代後半のバブル経済時代の規制緩和の中で、リスクのある金融商品に投資する消費者に対し「自己責任が求められる」といった使われ方をした言葉だという》
《「日本で『自己責任』というと、約束とは関係なく一方的に弱者が責任を負わされたり、怒られたりするようになった」と指摘する。/その上で「経済用語にとどまっていたものが、04年の人質事件で社会的・政治的な言葉へとすり替えられ、政治家らの論理で弱い立場の人を批判することに使われた。14年たった今の社会はさらに疲弊し、弱者をたたく傾向が強まっている。ソーシャルメディアで簡単に発信できることが拍車をかけているように思われる」と懸念する》
なるほど、「2004年の自己責任論」も対象とした冷静な分析だ。
自己責任と言う言葉が登場し、1995年2004年2018年と進んでいく中でメディアの伝え方も変わっていった。
改めて考えると元はリスクを負うこと、負うことを許諾することが自己責任という市場用語であった。
それがいつしか自然と負わされるものとなったことに気が付く。自然と負わされた自己責任によって自己規制を引き起こした一方で、
本来の市場用語に基づいてリスクをとって行動した人に向けられたのが自己責任と言うワードだった。
自由に冒険や新たな挑戦をしてもよいという前向きな言葉が自己責任であったと思えるが、バブルの失敗が遺産教訓となり前向きな行動と同時に発生する失敗や誤謬の自己責任と義務や任務を果たすという意味の責任と混同していったのではないだろうか。だから責任論と結びついてしまった、そう思える。
2004年のイラクで人質となったときのアメリカのパウエル国務長官の言葉がある
日本の政治家と全く違った、パウエル国務長官が言ったこと
しかしこの記事の読みどころは次だった。ワシントン発の「米国務長官は『誇りにして』」という部分である。抜粋する。
《パウエル米国務長官は15日、一部メディアとのインタビューで、イラクで人質になった市民の自己責任を問う声があることについて「誰も危険を冒さなければ私たちは前進しない」と強調。「より良い目的のため、みずから危険を冒した日本人たちがいたことを私はうれしく思う」と述べた》
なんと!
パウエル氏の言葉は続く。
《「日本では、人質になった人は自分の行動に責任を持つべきだと言う人がいるが」と聞かれたパウエル長官は、これに反論して「彼らや、危険を承知でイラクに派遣された兵士がいることを、日本の人々は誇りに思うべきだ」と語った》
パウエル氏の言葉は4日後の記事でも補完されている。
「私たちは『あなたは危険を冒した、あなたのせいだ』とは言えない。彼らを安全に取り戻すためにできる、あらゆることをする義務がある」(朝日新聞 2004年4月20日)
そして冒頭のルポではこう締めくくられていた。
ある意味でこれは、桂さんの優位性を際立たせられる話題かもしれない。同級生の中で、財産から見れば彼が最も貧しいのだろうが、こと健康や自由については、彼にかなう人はなかなかいないだろう。
誰かが危険を冒さなければ前進しないという自己責任。そして自己責任と言い放つ人と貧しくも自由を手に入れた人。
長くなってしまったので自己責任とは何だったかについてはここまでとして、2は自己責任に対してまとめていきたい。
minato 2024.11.30
参考サイトなど
趙海成.“日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対する中国人と日本人の反応が違う”. Newsweek. 2024/11/20. https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/11/525342_1.php, (2024/11/29)
“「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン 新語・流行語大賞”. 現代用語の基礎知識. 第21回 2004年 授賞語. https://www.jiyu.co.jp/singo/index.php?eid=00021, (2024/11/29)
プチ鹿島.“14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか?”. 文春オンライン. 2018/11/02. https://bunshun.jp/articles/-/9514, (2024/11/29)
濵田理央.“安田純平さん「自己責任であり、自業自得」帰国会見で語る”. HUFFPPOST. 2018/11/02. https://www.huffingtonpost.jp/entry/self-resposibility_jp_5c5d85b4e4b0974f75b3788a, (2024/11/29)
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