何にでも価値がある
音声SNS "Clubhouse" 。誰かがただ琴の練習をしている部屋で、琴の音を聴きながら過ごす日曜の午後。練習だからコンサートのクオリティは求めていないし、窓を開け放っていたら近所から何か楽器の練習が聴こえてくる、そんな懐かしい心地よさを求めているから丁度良い。
この私のニーズをここまで忠実に満たしてくれるものがあっただろうか。ネットの世界はすごい。
昔は「テレビばかり観ていないで」「漫画ばっかり読んで!」「長電話やめなさい」と言われていたのが、今は「ずっとスマホ見てる」とか「知らない人と繋がるのは怖い」になって、結局新しいことってなにかと受け入れるまでに時間がかかるものだけれど。
この新型コロナウイルス感染症の中で、私たちは「ちゃんとリアルで出会わなくちゃ」とか「やっぱり面と向かってが大事」とか言えなくなった。
物理的に。
さ、人と会うことが出来ないステイホームの私たち。どうする。テレビやSNSを否定したままだときっと、一人でいるしかなくなる。
でもいくら一人が好きな人だって、人恋しくなることもある。今までは「人と集まるのが苦手で」って言ってた人が、実は「人が苦手なんじゃなくて、距離感が苦手だった」ってことに気付いた、ってよく聞く話。増してや、人と繋がる毎日を楽しんでいた人にとって、このステイホームは100%苦痛でしかないだろうし。
そんな今だから0から100までどんな距離感でも人と繋がることが出来るSNSって、使い方によっては実はほぼ全部のニーズに対応出来る力を持っていると思う。
こうして楽器の練習を流していると誰が足を止めて聴いてくれる現実がここにある。ただ一人部屋にいてClubhouseで見つけた部屋に入ってみたら、昔窓から流れてきていたご近所のピアノ練習の音を思い出して懐かしくなったり、初めて聴く楽器に心躍ったり。遠い国の誰かの歌声に涙を流したり。そんな時も場所も超えた出会いが、すぐそこにあったりする。
そして再び私のある日曜の午後の話。
しばらくして琴の練習を終えたその人がおもむろに話し始める。
「ありがとうございました。お話ししませんか」
私は思わず手を挙げて一言お礼を言った。素敵な時間をありがとうございました。するとその演者の方が「いつかリアルの演奏も聴いてみてくださいね。こんな場所で演奏していますから。」と言われたから、アフターコロナでは絶対そこに行ってみようと希望も湧いた。
こうしてSNSと現実もまた、繋がっていく。時と場所を超えて。
ある時誰かがメルカリで子どもが拾ってきたヘビの抜け殻が売れた、と言っていた。そう言えば私が本屋さんでジャケ買いならぬカバー買いをしたけど全くしっくりこなかった本も、メルカリで新しい出会いをした。
新型コロナウイルス感染症で足を止めざるを得なくなった私たちは、SNSで「価値のないものなんてない」「どんなものだって誰かが必要としてくれているかも」ということを見つけた。
この時代を乗り越えてたどり着く未来は、もっともっと明るい気がしてきた。