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Don't stop thinking.
小学校英語、4年生の教室。今日のトピックは文具。Do you have ...?という表現がキーフレーズで、それに伴い文具の単語を学ぶ。
私は補助の英語講師だから、英語的指導を請け負っている体。日本語は極力話さず音声教材でいて欲しい、という立場ではあるが「英語教育専門」としてそこにいるならば、私にはもっと伝えておかなければいけないこともある。誤解されがちだが、語学は音声や表現、語彙だけではない。むしろその背景や考え方、文化を知らない限りその言語を通したコミュケーションは歪になってしまう。
その日も私は文具の名前を発音説明とともに繰り返し、おもむろに "What is a pen? What is a marker?"と両手に持ったペンとマーカーを見比べて見せた。担任の先生方が日本語でその違いってなんだろうね、とサポートしてくださる。
しばらく不思議そうな顔をしていた子どもたちから、声が上がる。「濃さ?」「油性か水性?」「キャップだ〜」「色?」「太さかな?」「名前が違うだけ〜」
「実は先生も知らないんだけど。でも教えてくれてありがとう。みんなのアイデア、どれもなるほど!って感じだ。知りたい人、おうちで調べてみてね。分かったら教えて欲しい。それにしてもみんなすごいアイデア持ってんね〜」
それでこの話はおしまい。
私が英語教育を通してしたいことは、これ。そのために毎回答えのない問いを用意している。言われた通りにリピートしてただ単語を覚えるだけなんて、つまらない。語学の楽しさは、実際それを使うことを想定して「じゃ、こういう時はなんて言えばいいんだろう」「そもそも同じ見た目なのに、どうして名前が違うんだろう?」
違和感を持ったり、不思議に思ったことを突き詰めてみたり。仮定したり言ってみたり人のアイデアを聞いたり。それが言葉を学ぶ面白さ。そのスタンダードが、他の教科にも広がっていくと学びはもっと面白いはず。
私がすることは、ただ「へぇ、なるほどなるほど」と膝を打ち、喜び、考えたこと、発したことに大いに感謝する。
小学1年生の時の校長先生が好きだった。全校の前での校長先生の話の中に、「雪はどうして降るんだろうね」と問いかけがあったけれど。校長先生はその答えを言われなかった。私は家に帰って図鑑を見たり親に尋ねたりして、雪が降る仕組みを調べた。そして後日校長先生に教えた…と記憶している。
大人がすることは学びの補助であって、邪魔ではない。
決まった答えだけをどんどん子どもたちに紹介して、それをただ無条件で覚えろと言うのは教育とは違う。
私にとっての基準は、子どもたちがワクワクするか。いかに子どもたちが「もっと知りたい」と思うか、そういう仕掛けを作るのが教育に携わる自分の仕事だと思っている。
ワクワクする子どもたちの顔を見て、自分自身もワクワクする。次はどんな楽しいことをしようか…そんな原動力を得る、教育に携わるってそういうことではないか。
長く続く「管理中心」の教育の中で、大人も子どもも決められたことをただこなす。そしていつしか考えることを止めてしまった。
私はその中で語学を通して「考える」こと、それを分かち合うことの面白さを子どもたちに伝えたいと思っている。
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