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たとえ話
私はたとえ話が好きだ。
自分自身が考える時に、もっと噛み砕いて考えたいとたとえ話をよく作るから。だからかな。私はいつも自分の中に3歳児を抱えていて。
「どうして?」「なんで?」がいつも心の中を占領してる。
だからだろうね。
それが自分が育児をする時、そして今の仕事に大いに役立つなんて、誰が想像したでしょう?
本当に役立ってる。そして相変わらず私の中にいる3歳児にも、もちろん。
めちゃくちゃ厳しくて、ヒステリックな程に何かに怯えている大人の人を見た時に、私の頭にネジ式の蓋が浮かんだ。またはドアに見える引き戸。
開ける人の心が柔らかかったら、仮に引っ張って無理だったらその蓋やドアをじっくり眺めて観察して正しい開け方を考えるでしょう。でももしそれが、周りで人が見ていて「はい、すぐに開けて!」「一度で開けられないなんて、なんて悪い子なの!」「あの人はもっと上手に開けています」「あなたはダメですね」と口々に言っていたら…または、手に負えないくらいのたくさんの蓋やドアが並んでいて「今すぐ全部開けなさい」とタイムトライアルをさせられていたら?
その人がいくら心が柔らかい人だったとしても、手に汗が滲んで心臓がバクバク。その蓋を、その戸を力任せに開けるでしょう。同じ方法で何度も何度もガタガタと壊れるまで。そして壊れた蓋はそのままにして、次に進んでいくでしょう。だって、時間がないのだから。だって、自分の能力が足りないのだから。
子どもと向き合っていて、うまくいかないと思ったら、深呼吸出来ると良いけれど。それも許されない大きな波の中で私たちはもがいている。
「先生、どうしてうちの子をしっかり見てくれなかったんですか」と向かう目の前の先生の目はどこか違うところを見ている。あなたが向き合う相手はその人じゃない。その人がそうせざるを得ない状況。それを司る人。
学校教育は危機の中にある。保護者の立場では見えないものがある。
だから、本気で先生の働き方を変えていかないと。子どもを囲む同じチームのメンバーに学校が入っているならば、保護者もそこに目を向けてみると良い。学校の先生は基本、頑張ってるから「大丈夫です」っていう顔をしてる。だから聞こえない声を #教師のバトン で聞いてみると良い。
有権者の声が大きくなればなるほど、国は動くだろう。今や教育さえもビジネスやお金持ちのためのツールに成り下がった日本で、本当の意味で子どものための教育を守るのは、子どもたちを愛する人たちなのだから。
このたとえ話みたいな状況を一日も早く止めましょう。
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