心を開く授業
英語指導を始めて十数年、自分自身が英語と触れ始めたのが幼少期の近所の英語教室なので、人生の大半を英語と共に歩んで来た。
その中で英語を実際に使いこなす様になってからは、まだ20年程。それまでの20年は何をしていたかというと、私はただ「自分は英語が得意だ」という根拠のない自信だけを持って生きていた。日本で暮らしていると英語を実際話せないことに気付かずにいられたのが幸いしたのかも知れない。
結局私が英語を話せる様になったのは、海外で暮らしたことがきっかけだったのだが。私は今英語教師として子どもたちに何を伝えたいのか。考えてみた。
「英語を話すと、世界が広がる」
とは、誰もが聞いたことのあろう使い古された言葉だが、それを実際体験した人は少ないだろう。英語が話せるが、視野が狭い人はもちろんいる。
しかし英語を話せて良かったと私が実感するのは、自分が今まで触れたことも感じたこともないような感覚を人の口から直に聞くことが出来た時だ。
例えば結婚せずに家族を作ったって良い、というフランスの方の言葉は、日本の雑誌の記事で見るよりも本人の口から聞いた方がよりリアル。
アメリカの方が真顔で「原爆は正義」と言うとショックも大きいがそれを真剣に信じている人の今までを通して、また別の平和へのアプローチも見えてくる。直接話す、ということは翻訳された雑誌やニュースとは違って日本人のフィルターは何も通していないので、直に自分の心に届くのだ。
それを拒否する人も、受け入れがたいと感じる人もいるだろうが、それもまた世界の一つの入口。日本という箱の中から出るための小さな入口だ。裸の心でそこを通り抜けてこそ、本当に英語がツールとして役立ったと言えると思う。そしてそれが英語を使うことの醍醐味なのだ。
「英語さえしていれば大丈夫」
では、英語さえ学ばせればそれで大丈夫なのか、大抵はそこで議論は終わってしまうのだが、より深く掘り下げないと先は見えない。
私の答えは "No." である。自分の経験と、更にそれを深めるために読んだ多くの本や記事。その中で「心を通わせることが出来ない言葉は意味を持たない」という結論に達した。
そこで、自分自身がまず我が子のために開いた教室で考えた。私はここで何を子どもたちと学ぼうとしているのか。英語の読み方?書き方?英検を早くから多く合格させたい?否。
その結果がハッキリと自分の前に出てくるには数年を要した。しかもその答えを私に見せてくれたのは、子どもたち。答えをくれるのは、いつも子どもたちなのだ。
「自由に発言すること」
子どもたちに英語の使えるフレーズを教えても表現を教えても、それを自分が必要な時使いたい時に使えなければ、道具としては意味がない。そこで、私は実際子どもたちの声を聞きたいと思った。自分のことを自分で語って欲しいと思った。そこでよぎる言葉はいつも、「日本の子どもたちが "Why?" に答えられるような教育を」。小学校の外国語指導者資格の講義を受けた時のある先生の言葉だ。
確かに、日本の教育現場の教育スタイルは一対多数。先生一人が投げかけるものを多数の生徒たちが受け取る、いわゆる受け身の授業。知識が先生から生徒に伝わっていく方式。私自身もそんな教育を受けて来たので、不思議はない。ところがある時、海外の人と話す時に驚いた。みんなそれぞれ自分の意見をポンポン出し、更に人の意見をしっかり聴くそのスタイル。それが授業の中やセミナーの中でも行われていた。なぜ私たちはこれを出来ないのか、考えた結果日本の教育現場には「自由に意見を言う」場が少ないということが思い当たった。
確かに学校のクラスでも意見を言い合う時間はある。ただ、よく見ていると子どもたちが「周りが同調してくれるような意見、先生が褒めてくれる様な意見」を選んで言っている様に見える。また、先生が必要な意見だけをとってそれをまとめて結論にしている場面も多く見た。議論に関係ない、と排除されている意見もあったが、実はそれは深く内容と関わっている、ということもあった。
日本の教育の素晴らしさもたくさんあり、私自身その恩恵を受けて来たことは今でも感謝している。が、英語を学ぶこと、また使うことを考えた時にこの受け身や周りの空気を読むスタイルは、合わないのではないかと考えた。
言いたいことをズバリ言うのが英語?
「英語ではもっと自分の意見を言う」と言うと、人が傷つくことを無神経に言ったり、誰からも支持されない様な言い方で持論をぶちまける人がいるが、それは大きな勘違い。英語は世界の共通言語なので、よりデリケート。様々な国から来た人や、様々な習慣や感覚、宗教を持つ人たちが意見を交換するのだから、相手にきちんと伝わる様に考えて話す。
自分の意見を言うことイコール、相手のことを考えずに話すことではないのだ。
私は海外で暮らしたりバックパッカーズとして旅をして、のんびりとした時間の中でゆっくりいろいろな国の人と話した。その中では誰も「あなたは間違っている」とは言わなかった。みんなそれぞれの感覚や価値観を「興味深い」と分かち合い、お互いが学び合う。決して相手の色に染まることはなくとも、その色を美しいとお互いが認め合う。そんな世界は本当に美しいと思った。その世界を、是非自分の教室で実現したいと思ったのだ。
だから、私の教室ではみんなが好きにレッスンを止める。気になることがあったら、レッスン中でも私に尋ねる。そこから授業がまた別の展開を見せることもある。私も含めてみんなで学び合う場が出来ている。
和製英語 アクティブラーニング
日本でしばらく言われていた(今は使われていない)アクティブラーニングとは正に生徒がレッスンの中で自発的に動く、という考え方。私は随分前からそれをしているが、そんなに簡単なものではない。教師と生徒、そして生徒と生徒の信頼感を築くための時間も必要だし、舵取りを間違えば大変なことになる。教師は目立つことなく、陰からそれをファシリテーターとして支える。言葉ばかり先走りして、民間の塾までが「アクティブラーニング 」の言葉を掲げて盛り上がりを見せたが、実際は指導者の深い学びが必須だ。
ということで、私の今後の目標の一つに「指導者に伝える」ことが加わった。私が今までの人生で得て来た経験、それを元にしたレッスンの作り方をゆっくりシェアしていきたい。
セミナーや動画など、いろいろ考えてみたけれど、短い間にそれを伝えるのは困難だと気付いたので、ゆっくりと。もちろん私の経験、知恵と試行錯誤によって出来たものなので、有料でシェアしていきたいと思っている。
「みんなで学ぶレッスン作り:Namioスタイル」として発行していくので、ゆるりとご期待ください。
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