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オンライン授業の意味

 新型コロナウイルス禍をきっかけに、オンライン授業の是非が問われる様になってきた。休校で慌ただしかった教育現場は、休校が長引くことを視野に入れてオンライン授業を模索し始めている。
 そこで、既にオンライン授業を取り入れている私の目で見たオンライン授業に出来ること、その意味について書いてみたいと思う。アフターコロナで自分がガムシャラにしてきたことを振り返る時のための覚書として。

2月下旬〜私にとってのオンライン教室〜

 私がオンライン授業を始めたのは、新型コロナウイルスが言われ始め「外出を控えるべきか否か」と言われ出した2月末のことだ。教室の生徒やその送迎の保護者のことを考えた。いろいろな地域から子どもが集まる英語教室。ここがクラスターになってはいけない。そこで突き動かされるかの様に、オンラインレッスンに舵を切った。私が知る限り、ここがオンライン授業を始めた最初の人たちのラインだったと思う。私の知る英語教室やピアノ、ダンス、あらゆる教室が一旦休校を選んでいた。
 そして間も無く学校も休校になった。

 私がオンラインにすぐに踏み切ることが出来たのは、昨夏大人向けのセミナーをオンラインでしたことがあったから。そこで何となく方法も手応えも感じていたので、教室のオンライン化のイメージも描くことが出来たのだった。ただ、相手が子どもで通常のクラスは最大8名。画面越しに一人ひとりのサポートが出来るだろうか。私自身画面を隔てて授業を受けることが苦手なので、オンラインレッスンに抵抗がある子のことも考えた。どうやっていつものリラックスしたレッスンの雰囲気に誘うべきか、試行錯誤の毎日が始まった。

 オンラインレッスンに際し、家の方にお願いをした。決してお子さんの英語や授業態度にダメ出しをしないで欲しい、と。褒め言葉以外はグッと飲み込んで欲しいと。このことはまた後日別のコラムで詳細を書きたいのだが、ただでさえ不安で不安定なこの時期。初めての学習環境であるオンラインに勇気を出して飛び込んだのに、自分を否定されてまで家の人の前で英語を話したくないだろう(子どもだけでなく大人も)という発想。自分に置き換えて想像したら、すぐに理解出来るだろう。英語を話すこと、オンラインで話すこと、そのどれもが大きなチャレンジなのだ。
 大人は常に子どもをジャッジしたがるけれど、私は自分の教室を私の理想の教育現場にしている。子どもたちとの信頼関係が真ん中にある場所。「私はあなたをジャッジしない。ここは、あなたがあなたのままでいられる場所。」それをオンラインで作りたい、それが私の希望。

3月下旬〜日常の中で学ぶ困難〜

 そんなこんなで、3月いっぱいオンライン教室で突っ走った。今まで教室でしていたゲームをオンライン仕様に作り変えた。子どもたちには常に「声が聞こえにくいのは、あなたのせいじゃない。通信環境の問題もあるから、先生が聞き返しても心配しないで。先生の声が届かなかったら、教えてね。」そんな言葉がけをしながら、皆がリラックスした雰囲気で学び始めた。私自身オンラインで学ぶのが苦手だが、そんな私から見たら尊敬に値する程、子どもたちは大きな声で私の英語に反応し挙手し、教室にいる時と同じように笑っていた。

 そんな中、周りにいる家族をずっと気にかけている子どもたちが気になった。「英語を話す」こと自体非日常で、いつもは教室という「非日常の中の日常」で安心して英語を話すスペースを確保していた子どもたち。今、家という場所で、家族という超日常の中で自分を英語で表現することが難しいというのは当たり前のこと。英語を話す時のマインドに入ることを、私は「英語スイッチ」と呼んでいるが、日常に引っ張られ過ぎるとそのスイッチが入りきれずに途中で切れてしまう。それを見た保護者の方が心配をされる。
 そこで届けたアドバイスは以下の通りだ。例えば別室に子どもを一人で入れて英語空間を作ってあげたり、マイク付きイヤホンで没頭させてあげる、または家族や日常の風景が見えない壁向きに座る、などその子が「英語スイッチ」を入れやすい環境を整えてみること。
 多くの家庭から「ヘッドホンをしたら集中するようになった」「別室にしたら、英語を話す声が聞こえてきた」など嬉しい感想を得た。
 子どもたちは少しずつハードルを越える。教室という非日常で英語を話すことに慣れ、それが日常に繋がるように今じっくりと自信を育てている。その中でのこの突然のオンラインレッスン。大切に大切に子どもたちの心を柔らかく受け止めて、教室と同じ安心感を届けたいと試行錯誤している。

4月下旬〜オンラインの目的は?〜

 4月下旬。私は教室のレッスンを2ヶ月毎日続け、おまけに毎朝教室生とその家族、また卒業生が参加出来る「オンライン学校」を始めた。平日の朝8時45分から10時。私がもし小さい子どもを抱えた母親なら何を必要とするだろう、と考えた結果「生活リズム」とこんな状況でも子どもたちに「可能性」を感じる機会を届けることを考えた。
 朝の会では理科や社会よろしく、私が日頃育てている植物の話やクイズ、そして私が若い頃に旅した世界の街の紹介をする。それに時事ニュースを易しく伝えるようにした。朝起きるモチベーションを一つ作るのだ。それから、後の1時間は私が気に入っている15分周期学習法。15分、私の号令と共に皆自分の好きなことに没頭し、15分経過したら3分の休憩を取る。その休憩時間にいろいろ話したり、私に見せたいものを子どもたちが見せてくれたり。画面を超えたやりとりをするまったりとした時間を過ごす。そしてまた15分。その3セット。オンライン学校が終わる頃には、朝の45分を何か自分のしたかったことやすべきことに集中したことになる。私は当然その内容に関しては何も言わない。オリジナリティ。自分のペースで、自分の好きなことを自分で選んでするんだよ、とだけ伝える。
 ある子は本を読み、ある子はピアノを弾き、ある子は宿題をする。そして誰かはぬりえをしたり絵を描いたりして、休憩時間に私に見せてくれる。そんなゆったりとした、朝の時間。

 オンライン学校のない週末は、ただの休みの延長である日に彩りを。オンライン写真展の作品募集をする。土日で私が出すお題に合う写真を撮って私に送ってもらう。次の週にはみんながそれを閲覧出来る様にする。ただそれだけなのだが、同じお題なのに皆の視点が違って面白い。その「みんな違ってみんないい」感じを共有出来る良い機会になったと思う。
 先週は「家の中にあるお気に入りのもの」そして今週は「something green(何かグリーンのもの)」ちょっとした週末お楽しみ。
 家の中にまだ自分が知らない楽しいことがたくさんあるかも知れない。そんなことを考えるきっかけになるといい。
 
 そんな一連の活動の中で、私が常に心に留めているのは「子どもたちの心を守りたい」ということ一点。ただでさえ不安で全てがいつもと違う日々。そんな中、心が不安に支配されてしまわないように。いつも希望を持っていられるように。希望の扉をいつもここで開けておこう。そう決めていた。

 4月になると、いろいろな塾や学校がオンライン授業に踏み切った。ある学校は動画を見せてレポート提出を課題にした。ある学校は先生の元気な顔を見せるために短い授業を提供した。ある塾は分厚い課題に沿ってオンライン授業を展開した。その中で見えてくるのは、大人の意気込みと覚悟、そして目的。
「成績を上げる」ことが目的の塾は、とにかく良質な授業を多くの子どもたちに届けたいと授業を作る。もちろん画面の前の子どもたちは「学ぶつもり」で参加している。
 学校の目的は今のところ「繋がる」ことの様だが、その点では子どもたちにその想いは通じている様に感じた。誰にも会えない子どもたちにとって、友達や先生が画面の向こうに見えることは日常がまだそこにあることを意味する。ある日ふと消えてしまった日常がまだそこにある、という安心感に繋がるだろう。今時点で、それぞれがそれぞれの目的を感じながら行うオンラインはうまく回り始めていると言えるのかも知れない。

幻のゴールデンウィーク
〜オンラインレッスンの行方〜

 そんな中、ゴールデンウィークが始まろうとしている。私は例年ゴールデンウィークは教室の準備期間としてレッスンは全面休講にするのだが、今年はオンラインレッスンに違和感のある子どもたちを相手に個別補講を行う期間にしようと思っている。ゆっくりとマンツーマンで対応して、ハードルを下げようというアイデア。
 そして名ばかりの連休、どこにも行けない毎日を過ごしているであろう子どもたちには、毎朝のオンラインスクールの提供を続けようと考えている。
 なぜそこまでするのか、それは私の今の目的「子どもたちの心を守る」ことに他ならない。この事態が収束したら、私もゆっくり休もうと考えている。でも今私に出来ることは、出来る限りする。きっと今だから必要なこともあるだろう。

 このままだと連休明けも学校は休校になるだろう。今、オンラインの第3波がやってきている。今まで休校してきた英語教室や塾、ダンス教室などが新たにオンラインを始めると聞いた。学校も少しオンラインレッスンを進めるところが出てくるだろう。その時に気をつけたいところは、常に「家庭の現状と本来の目的」を忘れないことだ。オンラインレッスンは私たち指導者にとっても大きなハードル。一生懸命やろうとすればする程、その「オンラインレッスンを作ること」が目的になってしまいがち。でもそれだと、画面の向こうの子どもたちには届かない。「学ぼう」と思う気持ちは「安心感」の上に始めて成立する。不安な子どもたちの心を温めて、それから「学び」に誘う工夫を私たち指導者は常に心がけたい。どんな日常を送っている子どもたちにも届く温もりを伝えたいもの。

 この土壇場のチャレンジを、私たち指導者も試行錯誤を重ねながら、自分の栄養としてアフターコロナに活かせる様に。今は今の与えられた状況を大切に、自分に出来る最大限で子どもに向かおう。そうすれば、アフターコロナの日本の教育が大きく変わるだろう。そんな期待を込めて。

 日本の指導者のみなさん、それぞれの場所で共に歩みましょう。トライアンドエラーは当たり前。試行錯誤しながら子どもたちと一緒に笑いながら過ごしましょう。きっとそんな先生方を見て、子どもたちはどんな状況でも前を向いて歩むこと、間違いや失敗を恐れずに飛び込む勇気を学ぶことでしょう。


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なみお
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