しろいろの街の、その骨の体温の (読了)
いや、恐ろしくなった。「しろいろの街の、その骨の体温の」。
私が苦手だった"学校"を嫌というほど思い出させられて、ちょっと不快だった。不快になる程その描写がリアルで、「どこかで見てた?」というくらい見事だった。いわゆる"スクールカースト" 。クラスの中のイケてるグループとそうでもないグループ。全く輪から外れたグループ。
私はたいてい"輪から外れたグループ"にいた。そこから"いじめ”も見たし、差別も過度な誹謗中傷も見てきた。特定のグループから外された人が時々私の小さなグループに来ては一緒に過ごし、また去って行く。傷つく人を見るのは嫌だし、傷つける人を見るのも嫌。でも不思議と傷つける人は何を言ってもやってもうまくいっている様に見えるし、傷つけられる人は何を言っても聞き入れてくれる人がいない様にも見えた。
学校で働いている時に、崩壊学級を何度か見た。先生はかつて見たいじめられている人と同じ様に、何をやっても笑われるし、何を言っても誰も聞かない。どんな空気やどんなトリックがそうさせてしまうのか。今でも思い出したら胸が苦しくなる様な現実を、こうして目の前に綺麗に再現出来るこの作家さん、凄いな、と思った。
久しぶりに旧友に会って「学校嫌いだったんだよね」と言うと、決まって「え〜?めっちゃ楽しそうにしてたやん!」と言われる。きっと私は楽しそうだったと思う。だって、決められた場所にずっといなさい、って言われたら楽しむしかないもんな。そこにある価値観と、そこで受け入れられるための術を学んで、そこに馴染むしかないもんな。
学ぶことが好きだった私は、その「人が作る歪んだ価値観」に翻弄される場所が苦手だったのかも知れない。その内に人とうまくやることばかり考えて、自分の劣等感と向き合うのに疲れて、学び自体から遠ざかってしまったけれど。
そう思うと、GW明けて学校に恐る恐る行く子どもたちや、学校が学びの場として合わない子たちの気持ちもわかる。
私はショックが大き過ぎると、その物語を噛み砕くのに時間がかかる。故に、今は自分がずっと敢えて思い出さないできた「学校生活」を思い出させられたことに衝撃を受けているだけで、きっとこの本に関しては後々また思い出すことになると思う。今は苦い思いだけ残っているけれど。
不思議と後々何度も思い出す物語っていうのは、爽快感で終わるものではなくて、こうしてドロっとした気持ちで終わるものに多い。
きっと私は何度もまたこの物語を思い出す。
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心に残った言葉たち(順不動)
●...道徳の教科書に何度書かれても、私たちは教室を支配する大きな力に逆らえない。
●それを自ら演じて、用意された「型」の中に入り込んでいるみたいだった。
●ちゃんと自分の点数を理解して、分相応の振る舞いをしていようと思った。