インクルーシブって、なぁに?
SNS散歩を楽しんでいる時に出会ってハートがギュンと吸い込まれたこの本、書店には並んでいないということで紹介されているサイトから申し込んで読了。
「子どもを分けない場」って、魅力的なワード。人々はこれを見て古いって思うんだろうか、新しいって思うんだろうか。
今時代の最先端は「人を分けること」で、自分や我が子がいかに「勝ち組」の方にいるか、そればかりに心奪われている人も多いかも知れない。
私に寄せられる質問の中には「英語のクラスは出来る子と出来ない子を分けるのですか」という言葉。「クラスの中にうるさい子がいるって言ってるので、退会します」って初日のレッスンの後に言われた方もいる。きっとこういう考え方が今まで主流だった。みんな大声で「そうだよね」と賛同はしないとは思うけど、これがリアル。勝手に分けて勝手に勝ち組を作ることで、どんどん視野を狭くしてきた。
だからこそ、このインクルーシブこそ最新。
この本の中の言葉は、最近私が多くの保護者や生徒に話している言葉そのものだった。「機能不全の問題」も含めて、誰しも助けが必要なことがあり、困ることがある、ということ。だから特定の誰かのために社会を変えるのではなく、それぞれの人がそこに居やすいように変えるのだ、ということ。あなたも、あなたも、私も。
最近教室や小学校で子どもたちに話すこと。
発表時に「声が小さいから聞こえませーん」とかペアワークで「どうせ(ペアの相手が)英語わからんから、話しても意味ない」と声が聞こえてきたら、尋ねてみる。
「それは相手のせいなのかな。」
そして一緒に考える(フリをする)。
「自分で聞く工夫、伝える工夫、ひょっとしたら何か出来ること、あるかいな?ないかなぁ。。。」
するとハッとした様に相手の声に注意深く耳を傾ける生徒、ジェスチャーやテキストを指差して伝える生徒、出るわ出るわ…素晴らしいアイデアが。こうやってちょっと発想を広げるお手伝い、それが私の様な人間が出来る仕事なんじゃないかと思っている。子どもと一緒に「声が小さいから聞こえない」とか、「そんなに英語わからなくて、大丈夫なの?」とか、そんな言葉がけは全く逆効果を含んでいることも知って心に留めておきたい。
さて、そんな私も幼い頃は自分は困りごとを抱える友達を助けなくちゃ、と変な正義感でいろんなお節介をしてきたと思う。今思うと周りがする様に、特別支援学級の友達と自分を無意識で分けていたのだと思う。私は助ける人、彼は助けられる人、今思うととんでもない勘違いだが、その思い違いも含めて今の自分に続くプロセスだと思っている。
そんな「自分は普通」と信じてきた自分が、そうでもないということに気付いたのは、生まれて実に四十数年経ってからのことだった。自分が敏感な性質を持っていると気付いたのだ。
幼い頃から今まで、違和感や拒否したい感情など言葉に出来ない気持ちは全て自分のそういう性質からきているものなのだ、とストンと腑に落ちた。そして今までそういう生き辛さを抱えながら生きてきた自分をとても尊く愛しく感じたし、そんな私に無条件の優しさを差し出してくれた人たちに改めて感謝をした。
今まで「普通」だと思っていた自分も、「私らしさ」という特性を持っていたのだ。でも衝撃よりもむしろ、ホッとした気がした。
敏感な人は5人に1人いると言われている。自覚をして知ったのだけれど、今私が関わっている子どもたちや生徒の方々、同業者の中にもかなりいる。私は自分を愛しく感じると同時にその人たちのことも抱きしめたい様な気持ちになった。そして私たちはこうしてそれぞれが「困りごと」を抱えている、ということを再認識する。
「あの子はしっかりしてるから大丈夫」と言われる子の心の闇、「あの子は図太いから何を言っても大丈夫なんです」と言われる子の中に積もるストレス。それに心を向けることが第一歩。
私たちはそれぞれがそれぞれの「されたら嫌なこと」「言われたら辛い言葉」「助けて欲しいこと」を持っている。
「授業の中でゲームをする時に、ゲームの邪魔ばかりをする子がいるとする。その子をルールに従わせたいが、それが出来なかったらどうしたら良いか」という誰かの問いに、アメリカ人の教育者が「そのゲームをその子も楽しめる様にルールを変えるんだ。それが指導者の仕事でしょう」と言われた。本当にその通りだと思った。でも悲しいことに目から鱗だった。そんな発想は日本生まれ日本育ちの私にはなかったから。
日本ではまだ「従わせる」「管理する」ことで問題を回避しよう、という考え方が主流だ。「言うことを聞かせてまとめる」という方法。
もちろん一クラスの人数や教師の仕事量など子どもたちとは全く関係のない大人の采配で実現出来ないこともある。でも、少なくとも一人一人がそれぞれのニーズを持っているということを心に留めて子どもたちと接したいと思う。
ある生徒の「そもそも全員同じだと思うからうまくいかないんだ。みんな違う、って思ったらいいんだよ」が衝撃だった。本当に真理だ。
「みんな違ってみんな良い」の言葉ばかりが実現しない夢の様に漂っているが、その真理を知っているのは子どもたち。日本の教育の中でも、本当の意味で「みんな違う」ベースが浸透すれば良い。だからこそ、伝え合う。だからこそ、支え合う。そのための学びとしての言葉、道徳、社会、だとしたら自然に主体的な学びに繋がっていくだろう。
子どもたちに「学ばせる」前に、大人が自分の中にそれを染み込ませておかないと、またただの言葉になってしまうから慎重に。
この本、かなりお勧め。読みやすくわかりやすかった。私たちが育ってくる中でなかった感覚は、こうして何度も本を開いて自分にしみこませるしかない。いつも手元に置いて、度々開きたい。
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私がこの本に出会うきっかけをくれたnote