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比嘉幹貴選手(オリックス・バファローズ)のスポーツセンシング 【前編:プロになるまで】

皆様こんにちは。日本才能学研究所の所長をしております七條正(しちじょう・ただし)です。今回はオリックスバファローズの現役ピッチャーである比嘉幹貴選手のお話を伺う機会があり、伺ったお話を才能学視座で解説していこうという企画で執筆させていただきました。どうすればプロ野球の選手になれるのか、どうすればプロで活躍し続けられるのかについての考察です。

出会い

NPB千葉ロッテマリーンズのクローザーとして活躍された荻野忠寛(おぎの・ただひろ)さんと出会ったのはあるトップアスリートと元トップアスリートのためのビジネス勉強会だった。同じ時期に入会して自宅の方向が同じで懇親会後に特に「教育論」について熱く語りながらよく一緒に帰ったものだった。

そんな荻野さんが2021年4月に「スポーツセンシング」を学べるオンラインサロンを始められるということで僕も一緒に勉強させていただくことになった。

スポーツセンシングとは

荻野さんは高校→大学→社会人→プロ→社会人というキャリアで野球生活を過ごしてきた方だが、特にプロから社会人に戻った時に「プロの当たり前が社会人の選手に伝わらない」ことにショックを受けて、「どうすれば社会人野球の選手がプロに行けるようになるのか?」について研究を始められて、その集大成になったものが「スポーツセンシング」と名付けられた理論だ。「スポーツセンシング」の定義は「人間が成長するための本質的な能力」であり、「人間が成長するための本質的な能力を高めていくこと」を荻野さんは「センスを磨く」と表現している、と言っていいと思う。

ゲストトークショーに比嘉幹貴選手(現オリックス)が登壇

「スポーツセンシング」の詳しい内容については割愛するが、今回はオンラインサロンのイベントのひとつである「ゲストトークショー」に登壇された現オリックスバファローズの比嘉幹貴(ひが・もとき)選手が話してくださったことから比嘉選手の「センス」について才能学視座で紐解いてみたい。荻野さんと比嘉選手は社会人野球日立製作所で2年間一緒にプレーをされた戦友のような仲。荻野さんが「センスの塊」と称する比嘉選手の(前編)プロになるまで、と(後編)プロになって長く一線で活躍するためにやってきたことの2つについて荻野さんの許可を得た上で書いていく。

ゲストトークショーの様子の一部

尚、比嘉幹貴選手のトークライブは荻野忠寛さんのスポーツセンシングアカデミーに入会すればいつでもアーカイブを視聴することができます。


比嘉幹貴選手のキャリア

小1〜小3---毎日ボールで壁当てをする。学校から帰って1日3時間以上。
小3〜中3---少年野球チーム〜中学野球部。内野手(ショート)でメキメキ上達して野球推薦(内野手ショート)で高校へ入学。
高校---ピッチャーに転向する。
大学---ピッチャーとして才能が開花して大活躍。
社会人---荻野さんと2年間同じチームでプレー。荻野さんがプロに行った後大黒柱に成長。
2009年ドラフト2位でオリックスへ入団。
2021年日本シリーズでは救援投手として最年長勝利投手に。
2022年も1軍で活躍中。4/26には初白星。


【前編】 比嘉幹貴選手がプロになるまで

比嘉選手は小学生時代からとにかく野球が大好きで家の外でひたすらボールを投げていたそうだ。家の外に壁があり、壁にボールを投げては取ってということを延々と繰り返していた。特に小学生1年〜3年はまだ地元の少年野球チームに入っていなかったので、学校から帰ってきて暗くなるまで(または「ご飯よ〜」と呼ばれるまで)ずっとボールの壁当てをやっていた。時間にするとおそらく1日3時間はやっている計算になる。学校が休みの時は多分一日中やっていた?のかもしれない。テレビも野球中継やスポーツニュースを見るのが好きで、特に好きだった巨人の内野手(篠塚選手など)のプレーをニュースで見て、それを翌日のボールの壁当てで再現する「ひとりハイライト」みたいなことをしていた。そう、比嘉少年は中学まではショートなどの内野手であり内野手として高校に推薦で入学したのだ。ボールを壁に投げては跳ね返ってきたボールを捕る、ということを繰り返し近所からは「変わった子やな」と思われるくらいに夢中になっていたので、「ボールを投げること」「ボールを捕ること」に関しては桁違いの練習量によってセンスを身につけたのだと思うし、現在オリックスでピッチャーでありながら、フィールディングや牽制球が他の投手に比べてズバ抜けて上手いのは小中学生の頃の内野手としてのキャリアが活きていると思われる。

突出しているのは「飽きない」ということ

荻野さんがよくおっしゃっていることだが「プロになった選手はみんな子供時代に誰よりもボールを投げていた」ということらしい。これはボールを投げて遊ぶことが楽しくて仕方がない、夢中になっている、全く飽きない、ということだ。多くの子供たちは野球が好きで野球をするかもしれないがここまでずっと野球はやらない。別のことをしたくなるのだ。しかし比嘉選手はテレビでアニメを見る時間があれば野球、ゲームをする時間があれば野球、テレビを見るなら野球中継、スポーツニュースで野球を見る、というくらい野球が好きで友達と学校でテレビアニメやゲームの話が全くできなかったという。だからある意味での孤独感はあったのだろうと思うが「野球がすごく好き」とおっしゃる比嘉選手は、野球の世界観も含めて野球選手であることや野球をする感触や雰囲気などそのうちのどこかがものすごく好きすぎて小4で少年野球チームに入っても中学で野球部に入ってもずっと好きな野球に夢中でいられて、どんどん上達していったのだと思う。ちなみに小学生の頃はもとより大学でプレーしていた頃もプロ野球選手になりたいという夢は全くなかったという。

あと荻野さんの証言によると比嘉選手はバスケットボールやサッカーも上手だったということだが、これについては少年時代に野球も大好きだったけどスポーツ全般もやるのも見るのも大好きだったと比嘉選手は話している。純粋に身体を動かすことに快感を得られて、テレビなどでスポーツを見てそのイメージを作っていたのであろうと言うことができる。

比嘉少年を才能学で解説

才能学の公式では「好き」で始めたことで「才能」があれば「エクスタシーポイント」に入る。エクスタシーポイントに入るとは(1)至福、(2)無尽蔵エネルギー、(3)他の才能の人の100倍〜1万倍普通に上手にできる、の3つが手に入る状態になるということ。(1)の至福は「これをするために生まれてきたのだ」「これがあれば他に何もいらない」と思えるほど魂が充足される状態。だから人生かけてこの至福をなるべく多く感じたいと思うようになり、必然的にそればかりやるようになる。(2)の無尽蔵エネルギーゾーンに穴が開くと「やってもやっても全く疲れない」「それどころかやればやるほどエネルギーがどんどん湧いてくる」「寝るのが勿体無い」「早く明日にならないかな」という状態のこと。先ほどの「至福」を継続させるエンジンなのである。(3)には3つあって、①ただでさえ才能があるので人より「飲み込み」が早かったり、コツをつかむのが上手かったり、勘が良かったりするのでそれだけでも他の人よりうまくなる。②加えて、至福と無尽蔵エネルギーがあるので「毎日ずっと野球をする」ことができる。毎日練習すればするほど上達するのは当たり前。③さらに才能があるとその才能を活かすために必要な「身体の強さ」を神様が与えてくれていることが多い。小学生の頃に「好き」×「才能」を全力でぶつけられるコンテンツ「野球」に出会ったのはラッキーなのか運命だったのか、それはわからないが、何かに導かれるように野球の世界に入っていって小学生時代にエクスタシーポイントに出会ったことはとても羨ましい。この時点で「選ばれた存在」、別の言い方をすると「野球の神様に微笑まれた存在」と言っても過言ではない。

ボールを使う練習は好きだが、地道な練習は嫌い

中学、高校、大学、社会人と一貫して言われているのが「ボールを使う練習は好きだが、地道な練習は嫌い」ということ。ここでの「地道な練習」が指していることは、ランニング、ウエイト、アジリティなどのコンディショニングのことで、中学〜社会人は自ら進んでは全くやらなかったそうだ(与えられたメニューは真面目にやっていた)。ではどうして試合に出続けられたのかというと「強豪チームにいなかったから」と分析されている。そして、僕が名言だと思うセリフが「ピッチャーは投げて抑えることが仕事。」何をしてもそこに繋がらないと意味がない、という究極の一点を見つけだした物事の捉え方にはすごいセンスを感じる。そしていわゆる意味のある練習の中でも「20分のキャッチボール」を最も大切にされたという。キャッチボール?と思うかもしれないが、これは荻野さんも同じことをおっしゃっていて、一般人が想像する普通のだらだらしたキャッチボールのことではない。身体の足先から指先まで全身に神経を張り巡らせて投げる感覚を微調整して一球一球フォームを作っていくのだ。試合本番でバッターに投球する時と同じテンションで投げるキャッチボールのことだ。投手としての根幹となるとても大切なトレーニングなのだそうだ。

想定力(=メンタルトレーニング)

中学の時はショートで活躍して、野球推薦で高校(コザ高校)に入り、そこで投手に抜擢されてから投手人生が始まる。高校も地道なトレーニングは自ら進んですることはなく、ボールを使う練習だけは集中してやって、ずっと公式戦でホームランを打たれたことがなかったが、高3の夏の沖縄予選で初めてホームランを打たれた時に「パニック」になった経験から、何をするときも事前に「あらゆるシーンを想定する」ことで焦らないようになったという。「想定」はプロになった現在も続けているし、野球のことだけではなく、人生のあらゆることを想定しているのだそうだ。

これは才能学的に表現すると、脳波を常にアルファ波にしてベストパフォーマンスが出せるメンタルトレーニング(=メンタルコントロール)が完璧にできていることを表している。高校3年生の時に自分の体験から気づき、自分に一番合うメンタルトレーニング(想定)を自ら編み出したというあたりはとてつもないセンスを感じる。多くの選手が不安や緊張からベストパフォーマンスが出せない問題を高3の時点で完璧に克服しているのである。このことが大学での才能開花に繋がったのではないかと推測される。

高校〜大学〜社会人

全国レベルでは無名だったにもかかわらず、高3の時に大学から推薦入学の話を受け「まだ野球ができるのなら」という理由で進学。ご両親が教師なので、自分も大学を卒業して沖縄に戻って教師になろうと思って関東の大学(国際武道大学)に入学する。ところが大学に入ると「どうすれば勝てるか」という世界になり「野球が仕事になった」感覚になり昔のように野球が大好きでなくなった。地道な練習も相変わらず嫌いで自ら進んではやらなかったが、それとは裏腹に大学リーグでMVP2回、最多勝2回、ベストナイン2回、奪三振王1回など投手としての才能が開花して、卒業後は社会人野球(日立製作所)に行き、ここで荻野さんと出会い2年間一緒にプレーすることになる。荻野さんは「(比嘉)幹貴ほど練習しない選手は見たことがなかった」とよくおっしゃるが、比嘉選手は「社会人野球はそれまでで一番練習した」「社会人野球でこんなに走らされてびっくりした」と証言されている。社会人野球の世界に入って「プロ野球選手になれるかも」という気持ちに初めてなったという。

ドラフト指名された理由

荻野さんが2年でプロに行った後に、日立の大黒柱に成長して成績を残し、27歳の時にオリックスからドラフト2位で指名されてNPB入りする。怪我のせいでドラフト指名が遅れたとのことだが、なぜドラフト指名されたか?の理由については「腕を振る変化球でいつでもストライクが取れるからかな?」と自己分析されている。この凄さに僕は驚愕した。バスケットで言えばフリーになって右斜め45度からのミドルシュートが100%入る、と言っているのと同じなのだから。(バスケをよく知らない方はごめんなさい)

「腕を振る変化球」については荻野さんは次のようにおっしゃっています。

先ず、ストレートと同じ腕の振りで変化球を投げることができる。
そしてその変化球でいつでもストライクが取れる。
分かりやすくいうとこういうことですね。これは簡単に言っていますけどかなりの高等技術です。プロでもできない選手がたくさんいます。


前編まとめ

比嘉選手がプロ野球選手になれた理由のポイントをまとめてみると次のようになる。

(1)子供時代は野球が大好きでとにかくボールを使った遊び(練習)を時間がある限りずっとやっていて技術、センス、体力などが磨かれた。(「好き」と「才能」が原動力)

(2)「投げて打者を抑えること」だけに焦点を当てた意味のある練習だけをして、無駄と思える練習は自ら進んでは一切やらなかった。(比嘉選手は「無駄と思えるトレーニングも若いうちからもっとやっておけばよかった」との後悔がある)

(3)先を見ないで、今いるステージで「投げて打者を抑える」ことに集中した結果、ある一定以上の実力と成績が残り、上のステージから呼ばれる形で中学→高校→大学→社会人野球→プロ野球選手になった。無欲だったが必要とされてプロ野球選手までになったパターン。

(4)具体的な武器は「腕を振る変化球でいつでもストライクが取れること」。

(5)高校3年以降は「想定力」を活用してどんな場面になっても焦らずに100%以上のパフォーマンスが出せるようになった。

(6)そしてもちろんご縁による出会いや運に恵まれていた。

スポーツセンシングの3大ポイント「物事の捉え方」「思考技術」「知識」の全てにおいてセンスが高いと言えるが詳しい解説はスポーツセンシングアカデミーまで!


負ける要素を潰す

NPBを目指す野球少年は多いかもしれないが、その門は想像を絶する狭さであるが故にほとんどがたどり着けない。にも関わらず、なぜ比嘉選手はその門を潜り抜けることができたのか?才能学的視座で話をすると「勝つ要素」は「好き」×「才能(他の人の100倍普通にセンスがある+やればやるほど楽しくなる至福+どれだけやっても疲れなくてエネルギーが湧き続ける)」による実力×運(ご縁)であると言える。運の要素は非常に大きいのだ。(実力と運の割合の話はまた別の機会に)

しかし「負ける要素」はハッキリしている。(1)情報力不足(2)慢心(3)思い込みの3つになるのだが、ここを比嘉選手は徹底的に潰してきたのではないかと推測される。野球のこと、自分のこと(マインドや身体のこと)や練習方法やバッターのことなどに対して徹底的に情報を得て、「多分これで大丈夫だろう」という感覚的な思い込みを捨て、常に学び続ける謙虚さを持ち続け、目の前のバッター一人一人に丁寧に対峙していったことがNPBまでたどりついた秘訣だったのではないだろうか。

多くの才能ある選手が特に「慢心」から成長が止まることは野球だけに限ったことではない。いかに慢心に陥りやすい時に謙虚さを保ち続けられるか。ここが一つの分岐点であることには間違いない。そして慢心との戦いは人生の終わりまで一生続くテーマ。慢心に負けない強い心を持つことはそれほど難しい。もし野球の中で慢心に勝つことができれば、野球を離れた後の人生でも慢心に勝ち続けることができるはずなのだ。

後編「比嘉幹貴選手がプロになって長く一線で活躍するためにやってきたこと」に続く。

*執筆にあたり、比嘉選手、比嘉選手からお話が聞ける機会を作ってくださった荻野さん、スポーツセンシングアカデミーのメンバーの皆様に感謝申し上げます。

Twitterで荻野さんからコメントをいただきました。


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