先入観というスパイスを最後にかけるか、かけないか。
おいしいカニやウニを食べながら、ときどき人は勇敢な先人たちを褒め称える。
「最初にこれを食べた人ってすごいよね。こんなグロテスクな見た目なのに」と。
本当に、とわたしは何度だって感心し、貪欲な先祖に感謝する。
赤く茹で上がったズワイガニを見て、「わぁ!おいしそう!」と思うのは、食べたことがあり、おいしいことを知っているから。
「おいしそう」という感覚は、自分の経験から立ち上るものなのだ。
だから逆もあり得る。
嫌いな食べ物は、見るからにおいしくなさそうだと感じる。
食事では視覚による知覚が8割だと言われているけれど、その視覚を閉ざしてみたらどうなるのだろう。
以前、真っ暗闇で食事をするという禅寺で開催されたイベントに参加したことがある。
御膳の四隅に置かれた包みを開け、その中身を口へ入れる。
もぐもぐもぐ。
ひんやり、寒天のような食感、出汁の味、卵の風味…。
「あ、煮こごりだ」
富山の郷土料理で、苦手な料理だった。
でも、暗闇で食べた煮こごりはおいしかった。煮こごりの食感や舌触り、風味を純粋に味わったのは、たぶん初めて食べて「まずい」と思ったとき以来。
住職が言う。「視覚を閉ざすと、それを補うために味覚や嗅覚、聴覚が鋭くなると想像していたかもしれません。でも、そうではなかったと思います。視覚情報という先入観がなくなっただけで、素直に感じられるんです」。
見えているから、かえって見えなくなるものがある。
料理研究家、有元葉子さんの名著「レシピを見ないで作れるようになりましょう。」(SBクリエイティブ)でも、レシピ通りに作ることにとらわれず、鍋の様子を観察して食材と対話することを勧めている。レシピを手放すからこそ、小さな変化が見えてくる。
料理は、目で見て味を想像してから楽しむのもいいし、目を閉じてまっさらな感覚で味わうのもいい。
先入観は料理にふりかける最後のスパイス。かけてもいいし、かけなくてもいい。選ぶことが贅沢な行為。だからどちらを選んでも、一口目の喜びは大きい。