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【俺ガイル考察】本物とは何だったのか?

「俺は、 本物が欲しい」

©渡航. やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。9 (ガガガ文庫)
(Kindle の位置No.3092)株式会社小学館

俺ガイルの中盤を代表するシーンだろう。
俺ガイルという作品を通じて、「本物」というのは一つの大きなテーマだと言える。彼らはまちがいながら「本物」を探し求める。

しかしながら、八幡の言う「本物」とは結局のところ何だったのだろうか?
そして「本物」を最終的に見つけることはできたのだろうか?
今回は、それについて考えていきたい。

なお今回の考察は、以前私がTwitterで連分投下した下記のツイートから多少増補しているが、概ねの論旨は同じものである。


私は、「本物」を考える上では5つの構成要素があり、それらは原作内で2度変化していると考えている。
それについて詳しく見ていきたい。

本物を構成する要素

まず、本物は明らかに人間関係に関するものであると言えるだろう。
そのうえで、「自分」と「相手」の関係性について、及び関係の強度
という要素に区分できるのではないか。

すなわち、本物における5つの構成要素とは
・自分のことを自分はどうしたいのか
・自分のことを相手にどうして欲しいのか
・相手のことを自分はどうしたいのか
・相手のことを相手にどうして欲しいのか
・関係の強度

であると考えている。

その前提で、作品を通して「本物」の描写を見ていくと、
「本物」は作品内で2度変化して、計3段階のフェーズがあったのではないかということが見えてくる。
一つずつ、そのフェーズを追っていこう。

備考:
「本物に結衣は含まれるのか?」に関しては、議論の余地のあるポイントだと言えるだろう。個人的には(結衣推しとしては残念だが)含まれないのではないか、という立場であるが、今回の考察においては議論の対象でないため、おそらく議論の余地がより少ないであろう八幡と雪乃の関係に絞って述べていく。

本物・第1フェーズ(1巻~9巻5章)

まず、原作開始時~クリスマスイベント準備中(原作9巻5章)までにおいて、八幡の考えていた「本物」は以下の図のように表せる。

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本物・フェーズ1
(画像:©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。
引用文:©渡航. やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫))

図では八幡(自分)と雪乃(相手)の関係性において、5つの要素を赤線で示すとともに、それについての言及を引用している。
(なお、図内の引用文にある括弧内の数字は(原作巻数/行数)を示している。)

このフェーズにおける八幡の考え方が最も如実に示されているのは、以下のモノローグだ。

俺が欲したのは、馴れ合いなんかじゃない。 
きっと本物が欲しくて、それ以外はいらなかった。 
何も言わなくても通じて、何もしなくても理解できて、何があっても壊れない。 
そんな現実とかけ離れた、愚かしくも綺麗な幻想を。 
そんな本物を、俺も彼女も求めていた。

©渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。8(ガガガ文庫)
(Kindleの位置No.4168-4172) 株式会社小学館

八幡は、本物とは「特に努力をしなくても理解できるし理解してもらえる関係」であると考えていると言えるだろう。
また、中学時代の折本との関係に関して以下のようにも言及している

「ただ一方的に願望押しつけてたというか、勘違いしてただけで、それを本物とは呼ばない」

渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。8(ガガガ文庫)
(Kindleの位置No.1736-1737) 株式会社小学館

ここから逆説的に、本物と呼ぶためには自分だけでなく相手も同じように考えていなければいけないと言えるだろう。

しかし、そのような関係など本当にあるのだろうか?
八幡自身も最初の引用にあるように「現実とかけ離れた、愚かしくも綺麗な幻想」であると考えており、手に入るはずのないものを求めてしまっていたのであった。


本物・第2フェーズ(9巻5章~14巻5章)

そんな彼らは修学旅行を期に互いにすれ違い続け、奉仕部は瓦解寸前となってしまう。そんな中、八幡に一度目の転機が訪れる。
原作9巻5章、アニメ続8話の平塚先生との橋のシーンだ。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。続

「考えてもがき苦しみ、あがいて悩め。─そうでなくては、本物じゃない」

©渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。9(ガガガ文庫)
(Kindleの位置No.2831-2832)

ここから八幡の中の本物の定義は変化し始め、第2フェーズに入ると考えている。

このフェーズにおける考え方を最も端的に示しているのは「本物がほしい」のセリフに先立つ以下のモノローグだ。

俺はわかってもらいたいんじゃない。自分が理解されないことは知っているし、理解してほしいとも思わない。
俺が求めているのはもっと過酷で残酷なものだ。俺はわかりたいのだ。わかりたい。知っていたい。知って安心したい。安らぎを得ていたい。わからないことはひどく怖いことだから。完全に理解したいだなんて、ひどく独善的で、独裁的で、傲慢な願いだ。本当に浅ましくておぞましい。そんな願望を抱いている自分が気持ち悪くて仕方がない。 
けれど、もしも、もしもお互いがそう思えるのなら。

©渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。9(ガガガ文庫)
(Kindleの位置No.3073-3080) 株式会社小学館

相手のことを理解したい。理解するという努力が必要なことを八幡は認識したといえる。
これを踏まえて第1フェーズと同じく、図で見てみよう。

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本物・フェーズ2
(画像:©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。続
引用文:©渡航. やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫))

・相手のことを自分はどうしたいのか
→(努力してでも)理解したい
・自分のことを相手にどうして欲しいのか
→お互いにそう(=理解したいと)思っていてほしい

と考えが変化している。
努力の必要性を認識したという意味で、点線から実線に変化させている。
一方この時点では、「言われてもわからない。言ったとしても伝わらない」と述べているように、残りの2つの線、自身のことを伝える努力は不要な(意味のない)ものだと考えている。言い換えるなら、「理解する側が努力をするべきだ」と考えているといえる。

この変化からクリスマスイベントを乗り切ったことで、奉仕部の関係にも改善の兆しが見えた。
しかし「言われてもわからない」ながらも、「完全に理解したい」という矛盾を含んだ考えが、再び彼らを望まない結末へと向かわせる。
共依存」という言葉に囚われたまま迎えるプロムである。


本物・第3フェーズ(14巻5章~)

プロムが終了し、完全に終わりかけてしまっていた奉仕部の関係に、再び平塚先生が転機を与える。
14巻5章及び完11話冒頭のバッティングセンターのシーンだ。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完

「一言で済まないならいくらでも言葉を尽くせ。言葉さえ信頼ならないなら、行動も合わせればいい」(中略)「どんな言葉でもどんな行動でもいいんだ。その一つ一つをドットみたいに集めて、君なりの答えを紡げばいい。キャンバスの全部を埋めて、残った空白が言葉の形をとるかもしれない」

©渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。14(ガガガ文庫)
(Kindleの位置No.3944-3948).株式会社小学館

しかし、この時点ではまだ完全ではない。
加えてもう1つ、このフェーズにおける重要な気付きがある。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完

「話すだけじゃ伝わらないって、そうだなって思う。……けど、その分、あたしがわかろうとするからいいの。ゆきのんもたぶんそうだよ」

©渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。14(ガガガ文庫)
(Kindleの位置No.4311-4313).株式会社小学館.

14巻6章及び完11話前半の公園での結衣とのシーンだ。
ここで八幡は「伝える努力」と「わかろうとする」という、相互の努力について本質的に理解する。

これを踏まえて再び図で見てみよう。

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(画像:©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完
引用文:©渡航. やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫))

すべてが実線になった。
・相手のことを相手にどうして欲しいのか
→伝えてほしい(そうすれば、自分が分かろうとする)
・自分のことを自分はどうしたいのか
→(分かってもらうために)言葉にして行動する努力をする

八幡は平塚先生の言う通り、行動し言葉を尽くす。
ダミープロムの復活により雪乃と強制的に関わりを持ち、言葉を尽くすことでついに雪乃を翻意させる。

伝わるわけがないとわかっていても、言わずにはいられない。
「諸々全部やるから、お前の人生に関わらせてくれ」

©渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。14(ガガガ文庫)
(Kindleの位置No.5077-5078).株式会社小学館
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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完


本物は見つかったのか?

本物のためには、互いに伝えようとし、理解しようとする姿勢が必要であるという解に八幡はたどり着いた。
では、そうすることで本物は手に入るのだろうか?
ダミープロムの後、平塚先生に「本物は見つかったか?」と尋ねられ、八幡はこう答えている。

「どうでしょうね。そうそう見つかるほど簡単なものじゃないでしょう」

©渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。14(ガガガ文庫)
(Kindleの位置No.6441-6442).株式会社小学館.

なぜだろうか?
この問いについて考えてみてほしい。
そもそも自分以外の人間を完全に理解することはできるのだろうか?
どうだろう。限りなく不可能に近いことのように思えないだろうか。

そもそも、完全に理解できたことを証明できない。
さらに、人間は時々刻々と変化をしていく。したがって、仮にどこかの時点で完全に理解できたとしても、その完全性はすぐに失われてしまう。
そう考えると本物を見つけることは実質的に不可能に近いと言えるだろう。

では、諦めてしまっているのだろうか?
八幡はこうも答えている。

「だから、ずっと、疑い続けます。たぶん、俺もあいつも、そう簡単には信じないから」

©渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。14(ガガガ文庫)
(Kindleの位置No.6454-6455).株式会社小学館

これこそが本物に近づき続けるための唯一の手段だといえる。
どういうことか。

本物を手に入れることは限りなく不可能に近い。
その上で「疑い続ける」ということは、
現状の理解が完全ではないことを認識し、理解しよう・されようという態度を持ち続けることであり、
これまで積み上げてきた前提(「この人はこういう人だ」という認識)を信じず疑い続け、時にはその前提を壊すこととも言える。

おそらく一般的には、ある程度互いのことを理解することが出来たら、どこかの時点で満足するものなのもしれない。
しかしそれを良しとせず、あくまで疑い続け、壊し続けること。
その求道者的な姿勢を持ち続けることで、
たとえ100%には届かなくとも、100%に近づき続けることができるのだ。

「正解には程遠いが、100点満点の答えだな。本当に可愛くない。……それでこそ、私の最高の生徒だ」

©渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。14(ガガガ文庫)
(Kindleの位置No.6455-6456).株式会社小学館.
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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完


おわりに

俺ガイルという作品における一つの大きなキーワードである「本物」について考えてみた。
八幡の本物に対する考えは作品内で2回変容し、最終的には本物へ近づき続ける方法にたどり着いた、と結論づけている。

現時点(2020年12月)で、BD/DVD特典であり正式な続編である「俺ガイル新」も続刊しており、少なくともしばらくは彼らの物語は続いていく。
これからも八幡が疑い続ける限り、時にはまちがいながらも本物に近づき続けていくだろう。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完


最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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