about myself 「いまここ」を生きる
家族みんなで、あるドラマをみていると、なんだか見たことのあるような、その場所に行ったことのあるようなそんな建物が舞台となっていました。
わたしが「あれ?この場所…」と言いかけると、息子が「ここ行ったことあるよね?あの長い髪の女の子の話の…」と、はっきりと行ったことを覚えている様子。
「ええと、どこだっけ…。あ!そうだ。鎌倉文学館!!」とようやく思い出したのです。「なつかしい~。」と目を細めてしまうような懐かしい記憶。当時(いまから7.8年ほど前)、「まあちゃんのながいかみ」(作 たかどのほうこ/福音館書店)が大好きだった保育園に通う娘。その作者の展覧会があるというので「鎌倉文学館」へと足を運んだのでした。
よくよく息子に話を聞いてみると、そこへバスで行ったこと、記念写真をどんなポーズで撮ったのか、など、鮮明に覚えているようでした。これを聞いて、わたしはなんともいえない気持ちになっていました。
息子の記憶に残っていたことは心からうれしい。だけど、わたしはどうだったかな?
当時のわたしは、フルタイムでの教員を退職し、ゆるやかな働き方にシフトしたばかり。かなり時間的にもゆとりができたように見えていました。が、なにかしていないと落ち着かない性格。せっかくできた時間を有効に使おう!
と、保育園や小学校の保護者会の役員をかけもちしたり、今までにできなかったことをしたりして、結局はバタバタとした生活を送っていたのでした。
そんなこんなで、この展覧会もとても楽しかったのですが、「体」は子どもたちと一緒にいたのに、「心」はどこか違う場所にいたような気がするのです。「いまここ」というその瞬間を味わえていなかった。そんな気がします。どこか、頭の片隅に「ここではないこと」が常にぐるぐる…。わたしの当時の頭の中は、きっとこんなだったろうと思います。
これからどうやって帰ろうかな?
今日の夕飯どうしよう?
明日の書類がまだできてない…帰ったらやろう!
あ!あの手続きはどうなってたかな?・・・・エンドレスに続く(笑)
これじゃあ、一緒にいても、その場の雰囲気は覚えていても、心底その場を体感したことにはならないなあと。いま振り返ると、とほほです。
一方、息子の記憶は鮮明に残っている。彼は、このときどんな表情をしていた?どんな感情をもっていたのかな?このときには、もう戻れない。
けれども、「いま」その時の話を このドラマをきっかけに 中学生になった息子から聞けたことに、大きな意味があるのだと感じたのです。
「いまここ」をたいせつに思えるようになった「いま」だからこそ。
「いま」を楽しむことで、それが積み重なって未来を創っていく、それを体感しているから。
7年前のわたし、お疲れ様。
7年後の息子はちゃんとこの日のことを覚えているよ。
だから安心して、「いま」を楽しんでね。