物語の、楽しい読み方
1. 好きなものについて語る人々
『マツコの知らない世界』というテレビ番組があって、その番組のゲストに、ぼくは毎回惹きつけられる。
ゲストは、たとえば「やわうどん」とか雑誌の『ムー』とか、「滝」とか「バウムクーヘン」とか、何か大好きなものがあって、それについてマツコさんにプレゼンしにくる。その、好きなものを推す圧倒的な熱量と、掛け値のない無邪気さが、すごく魅力的だ。
そういう人が好きで、そういう話が好きで、自分もそういうふうになりたいと思って、ふと考えたときに、ぼくが話してるときに彼ら彼女らみたいになっているときがあるとすれば、それは、「物語分析」について話すときかも、と思った。
2. ぼくの好きなもの ~物語の楽しい読み方~
物語を、ストーリーラインだけじゃなくて、構造とか他の物語との関わりとかまで考えて、ミステリーの謎を説くみたいに深く深く物語に潜っていくのが、それはもう楽しい。
小さな引っかかり、疑問点。もしかして、という思いつき。それらを掘り下げていくと、物語が複層的になっていき、ときには全く違う顔を見せたり、表のストーリーラインをひっくり返したりする。その、見えていた物語の中に、深く、広く、新しい世界が広がる感じに、たまらなく興奮する。
たとえば『紅の豚』の中に、青春を終わらせられない大人と、学生運動の物語が見えたり。『進撃の巨人』の中に、自分と、自分と似ている他人の間の壁が崩れていく不気味な物語が見えたり。物語世界の広さに、ぞくぞくする。
こういう話をするとき、ぼくは、そういう物語の読み方を、おもしろいと思ってもらいたい! と、少し興奮気味に話している、んじゃないかと思う。「やわうどん」をマツコさんに美味しいと思ってもらいたいと、強く推す彼女みたいに。
誰かとそれを共有できるよう、できるだけ論理的に、分かるように、納得してもらえるように、説明する。
3. 好きなものの語り方
自分の好きなものについて話すときには、たぶん、それをどうやるのか、それがどうすごいのかよりも、まず、自分がそれをどれだけ好きなのか、その感情が伝わる。『マツコの知らない世界』のゲストの、好きなものを推す純粋さ。圧倒的な知識を見せながらの嫌味のなさ。それは、その「何か」が好きで好きで、好きなものを素敵と言ってもらいたい! という熱量。
ぼくが「物語分析」について話すとき、それが、知識のひけらかしではないのか、いつも怖い。それは、ぼくのこれまでの経験や今の職と結びついて、偉そうに、教えてやるみたいな感じになってないか、という心配で。でも、自分がおもしろいと思うことを、おもしろいと思ってほしいから、好き、を前面に出して、話したい。ぼくはプロの研究者ではない。小説編集者として、物語創りのアドバイスとして語っているわけでも、元国語教員として教えるために語っているわけでもない。ただ、物語を構造的に読み解くのが好きで、それについて語りたくて、語れる人と出会いたいのです。
少し嘘つきました。自分の読解を、おもしろいって言ってもらえるのも、至福の喜びです。