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伝えたいことはあったのに伝える相手がいなかった

 伝えるべきことはあったのに、伝えられる相手はいなかった。思い出すのは、学校帰りにいつも見ていた、道路の反対側にある緑の鬱蒼とした公園と、一日感情を外に出さずに内に留めて、感覚が過度に内側に向いた感じ。伝えることに、飢えていた。

 人に何かを伝えることが好きになったのは、そういう中高時代を過ごしたこととも関係しているのだと思う。

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 中高一貫男子校に入学して、中一のときに、早くもクラスから浮いた。南米で過ごした3歳から8歳までの5年間で磨かれた、自己中心的な性格と、圧倒的な空気の読めなさは、決定的に学校に合わなかった(この時の体験から、どこまでも空気を読む能力を得たことは、また別の話だ)。二度、同級生の口から「おまえはクラスから浮いている」と言われ(一度は喧嘩して激昂した相手に、もう一度は隣のクラスの奴との世間話の中で「〇〇がそう言っていた」と又聞きの形で)、内にこもる6年間は始まった。

 ただ、その6年間で、特に後半の3年間で内に抱え続けた感情は、そういう直接的な周囲から浮いているつらさ、友達のいない寂しさではなくて、「高校生活」への憧れと、それが自分には二度と手に入らないという後悔、だった。

 本は、漫画は、アニメは、物語はずっと好きだった。『空色勾玉』。『春季限定いちごタルト事件』。『ARIA』。『ふたつのスピカ』。そこで描かれる高校生たち(もしくはその年頃の主人公たち)。彼、彼女たちの日々に、強く憧れて、そして、自分も過ごせたはずのその時間を失ったのだと思った。そのことに、酷い後悔と、どうしようもない喪失感とを、抱いていた。

 それが「後悔」だったのは、自分に選択肢がなくはなかった、と思っていたからだった。中高一貫校で、高校に上がるとき、ぼくは違う高校に進学したいとも考え、親にも相談した。そして、母に反対され、その反対を押し切る強い意志もなく、高校受験という選択肢を選ばなかった。

 自分の学校に対する嫌悪と、「高校生活」への憧れ。選びとらなかったことへの後悔。その強い感情に満たされ、でもそれを伝えられる相手は当然学校にはおらず、ぼくは一日、その内にある感情に沈んでいた。それがぼくの、高校生活。

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 高校生活の中で、その感情を唯一ぶつけた相手が、母だった。中学受験をさせたこと。高校受験をさせなかったこと。自分が選択をしなかったことは棚に上げ、そんな選択をした母に、ことあるごとに不満を吐露した。なんで自分が、楽しいはずの高校時代を、こんなふうに過ごさなければいけないのか。

 はじめは意に介さなかった母が、次第に沈んでいくぼくを見て、気に病むようになっていった。

 ある朝だった。その日も、学校に行くのが、憂鬱だった。楽しそうに友達と会話する男子高校生。制服姿の可愛い女子高生。駅でそんな彼らを見かける度に、ぼくの胸には苦い液体みたいなものが広がっていく。学校に着いたら着いたで、自分の高校生活を思い知らされる。ぼくは、せっかくの十代後半を無駄に過ごしている、こんな学校来なきゃよかった、と、母にぶつけた。母が泣いたのは、そんな、高二の秋の朝だった。

 それ以降母は、ぼくがぶつける不満に、言い返さなくなった。今からでも転校すればいいんじゃない。フリースクールって手もある。そうして、肯定的な言葉を言うようになった。ぼくも、母に強い不満をぶつけることはなくなった。

 母を、泣かせた。そのことに罪悪感を抱きながらも、そのときぼくは、自分のつらさが軽くなるのを感じたことを覚えている。自分が伝えたことが人の感情を動かして、相手の感情に、自分の感情が届いたと感じたからかもしれなかった。かなり歪だけれど、一つの、感情が伝わった形なのかもしれない。ただ、それ以降も、憧れと後悔の感情は消えるわけでもなく、母に漏らせなくなった分、内には溜まり続けていった。

 とにかく高校時代、母を泣かせる程度には、鬱屈した感情を溜め込んでいた。それは、母を泣かせてもなお足りないくらいには、容積のあるものだった。

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 6年間の男子校生活、そしてぼくの内にこもる中高生活は、ぼくからいろんなコミュニケーション能力を根こそぎ奪っていて、だから大学に入ったからといって、内に溜めた感情が簡単にカタルシスを得られるわけもなかった。

 中一でクラスから浮き、周囲の目を極端に気にするようにもなっていたぼくは、話すのは得意ではなくて、でも、ぼくは大学で、自分の内側を人に伝える手段を手にする。

 もはや発酵するほど内に溜め込み続けた感情を、そのままの形ではないけれども、外に出すきっかけになったのが、mixiの日記だ。兄からの招待で、初めてネット上でコミュニケーションを取るような場に登録したぼくは、他の登録者たちに倣って、日記を書いた。

 それは、誰かに押し付けるわけではなく、興味がある人だけが読むもので、自意識過剰だったぼくには、その形が合っていた。聞いて聞いて、ではなく、もし興味があれば読んでみて。そういう形であれば、内にある感情を、書き出すことができた。mixiの「足跡」機能で自分のページを訪れる人をチェックして、日記が読まれていることが分かると、嬉しかった。mixiの日記という形で、内に溜めたものを人に伝える文章を書いた。

 そして、そんな形で公開した日記の文章を、ほめてくれる大学の同級生がいた。初めてほめられたのは、好きなファンタジーについて書いた日記だった気がする。自分がおもしろいと思ったことについて書いて、その書いたことがおもしろいと言ってもらえて、それが何よりも嬉しかった。ずっと人に伝えられなかったものを、伝えることができた。その方法を手に入れた。伝えることが、伝わることが、楽しい、嬉しい、おもしろい、と思った。

 それ以来、文章はぼくの大事なものだし、伝わることは嬉しいことだし、伝えることはやりたいことだ。

 mixiを更新しなくなってからも、facebook、FC2ブログ、そしてnoteと、文章を書いてきた。テレビの制作会社で働いて、教員をして、今は編集者として働いて、自分のおもしろいと思ったことを人に伝えて、相手にそれをおもしろいと思ってもらうことを仕事にしてきた。(特に、ずっと物語が好きだったぼくは、素敵だと思う物語を誰かに伝えて、それをおもしろいと思ってもらうこの仕事は、とても好きだ。)

 伝えるべきことは、ずっと心に溜めてきた。伝えられる相手も、できてきた。だからこれから、試行錯誤しながら、自分の感情を伝えていきたいと思っている。

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なみきゆうき
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