ビートルジュース 感想
※ジェシー目当てで観劇した人間です。
※敬称略箇所あり
ジェシーのための舞台か???と思いました。
これをハマり役というんだ…と謎の感動を覚え続けています。
まず、彼の舞台を観劇するのは初めてで(スタンディングオベーションのときは私SixTONES自体知らない)、めちゃくちゃにミュージカル舞台の真ん中が似合う人だ……!と。次に役としてコミカルな側面、愛されたがりでめちゃくちゃかわいい側面、「何を考えているか分かりづらい」怖さを感じさせる側面すべてがうまくはまっているような気がして本当に好きです。声色の変え方もエグいし、身体の使い方もとんでもない。足が長い分可動域も大きく見えて(実際ダンスとかやっていると大きくなるんでしょうか?)所謂「キモさ」につながっている。(彼がこんなにキモいって言われること今後二度とないだろうな……。)
今回運良く何度か観劇できたので、色々思ったことを残しておこうと思います。
ビートルジュースとリディア
ビートルジュースのインタビューで一番好きだった一節である。かつ、ビートルジュースを観劇して一番「最高~!」と思った分かりやすい対比の関係性だ。死にたいリディアと生き返りたいビートルジュース、2人のペテン師の騙し合いを中心に物語は進む。
2人とも精神年齢が幼く(おそらくリディアは年相応に思春期)、情緒的・社会的に未発達の状態、そして世の中を皮肉っている節があり、孤独で透明。年齢も性別も、そして生死も違うのにこの二人には共通点が多く見つけられる。
勝負の中で彼らはお互いに成長し、リディアは死後の世界を見て、チャールズに歩み寄り家族として生きることを決めた。デリアに関しては、今後彼女が「ママ」になれるかどうかはわからないが、私は彼女が無理に母親役割を果たさなくても“ただのデリアとリディア”としてうまくやっていけるような気がしている。(デリア、めちゃくちゃ面白くてかわいい女性なので、知り合いにいたら絶対楽しいよ~~!)
ビートルジュースに関しては、言うまでもなく「自分を殺したにも関わらず、ほんの僅かな時間生き返らせてくれたリディアに恩を感じ、ジュノーに見逃してほしいとお願いする」「リディア達の家から立ち去り、自分探しの旅にでる」という点にある程度の発達を見る。
後者は恐らく、感情のある人生の大変さを思い知ったことによる気持ちの変化も大きいとは思うが、前者は以前の冒頭のビートルジュースでは出てこなかった台詞であると感じている。
この2人の共通点と明確な思想の違いがあるからこそ、2幕2曲目「The beautiful world」がハチャメチャに好き。唯一のこの二人のみの(ガールスカウトの悲鳴その他被害者たちの会話が入るものの)デュエットソングなんです。腹の底を隠し、他人に迷惑をかけまくりながらも束の間の楽しい時間を共有していて、ミュージカル特有の多幸感を感じて劇場で聞くたびに毎回ちょっと泣いていた。(グレイテストヒューマンの「This is me」とか、ラ・ラ・ランド冒頭の「Another Day of Sun」で泣く人間です)
パンフレットにおいてキャスト陣は全員お気に入りのナンバーを挙げているけれど、この曲を挙げているのがジェシーと清水美依紗ちゃんだけって出来過ぎた話じゃないですか!?と思っています。やばい。
いつかこのふたりがもう1回出会って皮肉を言い合うような日が来ればいいな~!と思う。
SixTONESのオタクなのでジェシーの歌が上手いことを知っている。
加えて私は彼に対して適宜、覇者だ…と思ったり、王者だ…と思ったり、怖い…と思ったりしていて、要するにこの人の存在感はマジで圧倒的なのである(めちゃくちゃ主観)。
この作品においてはビートルジュースという役なわけだが、リディアはその存在感に張る必要があるのかな~、と私は下調べ時点で思っていた。それってとんでもないことなのでは、とか考えていたら清水美依紗ちゃん余裕で想像を超えてきて大好きになった。
映画版とは違いパワフルだけれど、ビートルジュース自身もミュージカル版は冷笑的な感じが無いかな?と思っているのでつり合いが取れていて、素晴らしい双璧を為していた。何より歌が上手すぎる。ピッチを外さなければビブラートも綺麗で音圧もすごい。
身長感もかわいいのに、というかだからこそ存在感が彼女もとんでもない。次ミュージカルに出演するのなら見に行ってしまうと思う。(ハマダ歌謡祭に割と出演されているらしいですね…録画をためていて申し訳なさ)
主役 ビートルジュース
かといって舞台名は「ビートルジュース」なわけなので、ビートルジュースというキャラクターは他との差別化が必要となってくる。映画版の話をすると、ビートルジュースの出演時間が実は計15分のみという主役とは思えない驚異の短さになっている。それに加え、
だとか
などと言われるキャラクターであり、要するにほかの登場人物とは一線を画しているのが映画版のビートルジュースだ。
舞台版は、ビートルジュースの魅力だけで2時間余り引っ張っていくのは難しい、と脚本担当が考えたことにより、前述の通りリディアとビートルジュースの関係が主軸となっている。
それでも、恐らくこの舞台を見た人に聞けば彼が中心で、彼こそが間違いなく主役だったと口をそろえて言うと思う。この舞台においても彼の出演時間、印象としてそこまで多くはないのだけど、ほかのキャラクターとは明らかに手数が違う。アドリブ量も違う。無茶ぶりもする。ジェシーによるビートルジュースの凄さは冒頭に記載した通りである。
わかりやすい唯一性としては、彼は狂言回しであり、観客を認識してコミュニケーションをとろうとすることである。この物語においては、登場人物に昇華されながらも舞台の外にいるキャラクターだ。一種の映画版のビートルジュースの特異性の取入れ方なのかな~と思ったり。
現実世界からも山ほどネタを引っ張ってくる。ヒロミさんとのDIY、ビートたけしさん、志村けんさん、木村拓哉さん、FNS歌謡祭、SixTONES、笑っていいとも、etc……本当に面白くて大好きだ~!と感情が爆発しそうになった。アドリブぽいけれど、きちんと決まった台詞があって、その上にアドリブが重ねてくるので常に笑っていられる。
愛加あゆさん(バーバラ役)がパンフレットで言うように、生と死という重めのテーマが根底にあるにも関わらず常にポップで重苦しいシーンがほぼ無い。悪人らしい悪人も存在しない物語だ。
テーマについて
ビートルジュースは勿論はた迷惑なキモいおじさん役であるが、憎めない印象が強く、図体だけ大きくなった子どものような節がある。長い長い死後の世界で常に孤独であり、他者からの愛を渇望している。(この印象を抱いた時点でパンフレットにもある憎めないキャラにしたい、という演出家とジェシーの意図は見事に表現されていると思う)
彼が終盤、リディアと結婚して現実世界に生き返ったとき、感情のジェットコースターでぐちゃぐちゃになっているところ正直めちゃくちゃ愛おし~!ってなりましたよね。いままで明らかに人外だったのに、いきなり未発達な情緒と人間くささをお出しされてしまった。
人生は感情のジェットコースターで、当たり前に他人に囲まれて作用し合って生きているが、死んでしまえば忘れられて孤独になる、というのがこれを言い換えた私解釈のテーマなんですが、前述のシーンにすごくよく表れていたように思う。
リディアは死後の世界まで見て、このテーマを正しく理解し、生きることを決めたのである。対してビートルジュースは実はどうしようもない。すでに死んでいるから。死んでいた時間が長すぎて、彼は、感情に、そして”人生”に、もう耐えられる存在ではなくなっていた。
この物語は割と一貫して、死んだ後への救いがそんなに無いな~と思う。だからこそ、めちゃくちゃ楽しんで生きなければいけないのである、という教訓。
アダムとバーバラはあの家で少しでも楽しくリディアとチャールズ、デリアと過ごせていたらと願いつつ、その後は永久の時間に気付き、ネザーワールドに行くことになるかもしれない。同じようにビートルジュースの自分探しが楽しいものになるよう願っている。
※これは蛇足ですが、感情を取り戻したときのビートルジュースを見てから、彼の様々言動・行動を思い返すと、感情がないままあのテンションで動いていたのは、割と無理矢理感も擬態感も強くないですか?やりたいようにやっているんだろうけど、愛されたがりがここにも表れているのかなという妄想です
キャラクター:ビートルジュース関連でもう一つ。
2回目観劇後にツイッターで
みたいなことを言った。よく考えたら映画版にも同じような看板が使用されているので、オマージュのような作りというだけである。ヨーロッパ説は若干あるかも?パンフレットの解説では、ベテルギウスがオリオン座の一等星であることに加えて、年老いた星で爆発の可能性があることを提示しており、トラブルメーカーの名前としてティムバートンが使用したのかもという考察がされていて大変面白かった。ビックバンが似合うキャラクターです。
それはそれとして自分のミドルネームで一等星を提示してくるビートルジュース、それはそれとしてかわいい。なんでファーストネームのローレンスを使わないのかわからないけれど。
総括:このキャラクターにエンターテイナーとして選出されたジェシー、本当に素晴らしい
新婚夫妻とリディア
ガラッと話は変わるんですが、もう一つ好きな関係性がバーバラとリディアである。子を産まずに亡くなった女性と、母親を亡くした娘。
「あなたを失いたくないの」、「(ネザーワールドに飛び込むのは)リスクが大きすぎる」とリディアを心配するバーバラと、「ママが生きていたらこの家好きだっただろうな」「私のせいで、バーバラが(バーバラが死者の死を迎えかけている場面)」と亡くなったママと重ねつつバーバラに親しみを覚えているリディア、生死の枠を超えた疑似的な母娘関係となっている。
リディアにいつも怖がっていることを指摘されて、「Barbara 2.0」で決意を固めるバーバラはデリアよりよほどリディアの母親に向いているような?
またパンフレットの好きなナンバーの話をするが、バーバラ役愛加あいさんが挙げている曲はリディアの母が好きだったとされるラストの「Jump in the Line」である。出来過ぎた物語だ……(二回目)
舞台装置
セットの豪華さ・派手さすごくなかったですか?
SixTONESのオタクはわかって下さる方も多いと思うんですが、前回観劇した舞台が髙地優吾の「星降る夜に出掛けよう」であるのも相まって、大きすぎる差異に目をひん剥いてしまった。すごい。私は星降る夜に出掛けようの静謐さ(この表現合ってる???歌と踊りの幕を除いて)を愛しているので、あのほぼ何もなし・照明と音で表現する・人間を使うセット、小道具はマジで本当に大好きなんですけど(星降る夜に出掛けようの感想で散々書いた)、それはそれとして今回の舞台のセットはすごく手が込んでいる、かつ大がかりでビートルジュースのびっくり箱じみた印象が伝わってきてすごく似合っていた。ぶっ飛んでるコメディにはあれぐらいの煌びやかさが必要なのかもしれない。
観劇経験は多くないからわからないのですが、ドリボもあんなセットなんでしょうか?(今回も前回も見られなかった)
そのほか箇条書き
ミス・アルジェンティーナ役の可知さんが好きなナンバーとして「What I Know Now」(死因がどんどん挙がってく曲)を挙げて、この作品の本質のような気がしてきたと仰っているんですが私もそう思いました。死んだら何も残らない!死んでみないと幸せに気付けない!ということを高らかに歌い上げていて、メインキャストは唯一誰一人歌っていない曲ながらこれはテーマそのものの曲なんじゃないかなと。
2回東京、1回大阪で観劇しましたが、どんどんボケとツッコミの量が増えてくる。これはジェシーさんだけじゃなくて、周りのキャストも積極的にぶっこんできているような印象を受けた。マクシー役高橋さん、あの一場面だけで個人的には一番初期よりツッコミ量が増えたような気がしてすごかったですね…!キャストだけじゃなくアンサンブルの方も割と好き勝手始めていませんでしたか?面白さが拡大して尚且つ乗算されていくような進化だった。
生オーケストラよかった~!ジェシーの行動に合わせて入るドラムロールと銅鑼(どうやってるんだろう…)とかその他は生だからこそできることだな!と思いましたし、ガールスカウトの心臓音がバスドラぽい?のとか聞きごたえがあって面白かったです。個人的にはチューニングのAを聞くだけで、これから始まる舞台への期待に胸が満ち満ちてしまうので積極的に生の音楽でやってほしい。
新人死者のハンドブックが結構アグレッシブ。2回目見たときはバーバラたちが死んでる穴に落ちちゃったし、3回目では客席側に開かれた状態で落ちてきた。ビートルジュース:「見ちゃダメ~」はかわいい。
ビートルジュースからバーバラ・アダム夫妻への日替わり無茶ぶりアドリブ。1回目はトムジェリ、2回目はピカチュウ、3回目は忍たま乱太郎だった。2回目のピカチュウの即興物まね、愛加あゆさんめちゃくちゃうまかったかつ臨機応変な対応だったのに負けちゃったの、ちょっと納得いかなかったけどそれ含めて面白かったですね…!memo: https://twitter.com/manaka_ayu/status/1693601722470666458
本当に本当に再演して欲しいしなんなら映像化して欲しい
映画版のビートルジュースは続編が決まっているのでそちらも楽しみにしています。
めちゃくちゃ楽しい舞台でした。
この感想の引用インタビューの出典場所は観劇前メモのこちらにまとめています。👇