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自分が一番食べたいケーキ
昨日、私の記事には珍しく、スキを多めに頂いたので(と言っても9つ)、通知が来る度に読み返したりして、自分の記事を何度も読んだ。
そのうち、我ながら刺さる文章に感じ、良く書けたな…と他人事のようにも見えながら、自分自身が何度も読みたくなっていた。↓
何度も読んでいると、1か所が目の前に浮かんで来た。
「自分が一番食べたいケーキ」という言葉だ。
これを比喩的に捉え、私が今、一番食べたいケーキとは何だろう?と思い、考えた。
「一番欲しい」とは違い、「一番食べたい」だ。
この言葉の違いに、ビミョ〜にイメージが変わる。
私が今一番食べたいケーキは、愛だ。
クサい?笑
私、愛されたい。
真っ向から愛されたい。
男性に。(恥ずかしいね…)
なぜ、男性じゃなきゃいけないんだろう?と思うけど… 例えば、自分が生まれた家族にも愛されてるし、自分が生んだ子供達にも愛されてると思うし、親友からも愛されてる… でも、それじゃないんだ。
なんか、ガッツリ切り離されたものから愛されたいんだ、きっと。
もしくは、単純に、私は女だからだ。
創生主が、女と男を創ったからだ。
「愛されたい」なんて、恥ずかしくて言えない。
だけど私は、恥を曝したい。
人間の心を曝したい。
人間て、私って、こんな気持ちがあるんだよ、カッコ悪いでしょ?って。でもカワイイでしょ?って。それが、この世の私以外の全ての人が感じたことも聞いたことも無い知らない気持ちだとしても、こんな気持ちもあるんだよ、って知らせたい。
みんな、お互いに知らない気持ちが無限にあるかもしれないってことを、知つて欲しい。私もそういうことを知っていたい。
「愛されたい」なら、まず自分で自分を愛することだ …と、よく聞きませんか?
私もそう思って、自分を愛することを大切に磨いて来ました。それがどの程度できているのか分からないし、
そもそも、本当にそうなのかな?
自分を愛さなくちゃ、愛されることは叶わないのかな?
「自分を愛する」というのは、「本心で生きる」ことと同じな気がします。
または、
「愛されたい」なら、愛しなさい…と、聞きませんか?
私は、その都度、人(男性)を愛して来ました。
真っ向から愛して来たつもりです。それができていなかったのかもしれないけど、
私はまだ、真っ向から愛されたことがありません。
そもそも、本当にそうなのでしょうか?
自分を完全に愛せなくては、愛されないのでしょうか?
人を完全に愛せなくては、愛されないのでしょうか?
自分を完全に愛せてない私が、
「愛されたい!」と叫んではいけないのでしょうか?
人を愛せたかどうか分からない私が、
「愛されたい!」と願うのは、どこか違うのでしょうか?
いけなくても、違っても、これが今の私の素直な気持ちなんです。
素直な気持ちを私は表したいのです。
雨に打たれても、雷に打たれても、
私の気持ちは、私の気持ちなんです。
恥ずかしいけど、これが私です。
・
昨日も今日もその前もその前も……
noteを書くことが、
タイトルからこの文末へと
私を運んでくれました。
文頭にはいなかった私に
辿り着きました。
・
あなたにも、
叫びたい気持ちが
眠っていますか?
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最後まで読んでいただきありがとうございました🪷