見出し画像

私を辿る②自分の道〜紹介と思いの機織り〜

小学生時代で書き忘れたことがあった。
児童会(生徒会)役員を4年生と6年生にやった。
4年生は、兄も姉もやったから、私もやるのが当然のように、母にやらされた。そんなに嫌でもなく、選挙の時は全児童の前で演説なんかもした。でも仕事が不甲斐なかったので、6年生の時はリベンジのつもりで自分の意思で立候補した。それでも仕事は何をやったのか、全く覚えていない。結局大して働かなかったんじゃないかな。口だけなんだよ、私は。

🌙中学生
入学時身長137cm。小さくて「こつぶ」と呼ばれる。当時流行ったオレンジ果肉入り缶ジュース名。
だが、3年間で人並みの倍の身長伸び率!!で、やっと、「小さすぎ」から普通の「小さい」になった😅

姉と同じくテニス部に入りバレエは止めるつもりが、なぜか叶わず、逆にバレエのために余裕のある部活へ…という理由で、入りたくもない美術部に入る。バレエ中心のような生活になる。バレエやめたいのに。なんでだー⁉未だに謎。

1年の担任は男性の新任。後に初恋の相手となる。
この先生への思いは、その後他の人を好きになっても結婚しても、仄かに灯り続けることとなる。極たまに、夢に登場し続けてくれている。
その先生が年賀状に書いていた「中二、それは人生で一番楽しい時」。中二は、その通りだったと思う。その頃バレエに電車で通いながら、電車で宿題をするようにしたら、成績が上がり始めた。

1年の夏休みに、習ってた英語劇の流れで、アメリカへホームステイに行った。これも行きたくて行ったわけじゃない。兄も姉も行って、私も当然という流れだった。姉の時は、姉は家に帰りたくないと泣き喚くほど楽しんで来た。なので私も期待していたが、人見知りの私にとっては辛さもあり、せっかくの貴重な体験だったのに、どうってことなかった。

中三、運命の親友mmに「親友になってください」と、手紙と手作りの誕生日プレゼントを渡す。自分がどんな心の流れでそうしようと思ったのかは覚えてないが(まぁ、好きだったことに間違いはない)…
ほんと、こんなことよくやった。これは私だったんだろうか?いや、間違いなく私だ、こんなことをするのは。褒めて使わす。褒めずにはいられない。よくやった👏👏👏勇気と、自分の気持ちを大切に行動したそのことを、、、讃える!!
応えてくれたmmさんには、花束を贈呈する💐💐💐
最近この話をmmにしたら「手紙もらう前から親友だと思ってたよ」と仰って…😭✨もう、やめて(笑)

成績が上がっていた私は、学級委員に推薦された。そんな優等生でも、夏休みの宿題は最後まで溜めて、挙句の果てには、先生が忘れるのを待ち、出さず終いのものもあったよ😅
この頃には初恋の切なさの真っ只中にいた。
国語の教科書の戯曲「夕鶴」を読んだ時、先生に「奈美、上手いな」と言われ、他の子が読むのを「あれ?下手だな…」と感じ、芝居へ疼くものが芽生えた。先生のこの一言は、列車がカクッと進路変更するように、私にとって大きかった。尾崎先生、ありがとう(初恋の先生ではない)。
笑い上戸は健在で、声が通ると言われたのも嬉しかった。
卒業式、初恋の先生にラブレターと、「タバコはこんなに害になる」という本に手作りのブックカバーを付けて、渡した。先生はヘビースモーカーだった。もちろん返事など、無い。

🌙高校生
特に1年生は、遅刻の常習犯だった。ホームルームが始まってる様子を教室のドアの小窓から覗き、静か〜にガラガラとドアを最小限に開け、体を小さく曲げてサササッと席を目指す…まぁ、バレバレなんだけど😅でもこれで、ちょっと周りの笑いを誘うのは嬉しかったりした。いつも猛ダッシュで学校に行くので、冬でも汗ダク、席に着くと脚を汗が伝って落ちて行った。最初は優等生ヅラしてたので、先生は驚いていた。
1年生の時同じクラスだった男子が、2年生になる時に私の初めての彼氏になった。私も好きだったんだけど、向こうから告白してくれて、一番ラッキーなやつだよね。確かに、楽しかったけど………苦い思い出の方が濃い😓奴は性欲が強すぎた…まだウブだった私には…キツかった😓😓ちなみに今は私、全然ウブじゃない😎✨でもなんだかんだ、2年付き合った。「バレエをやめたい」と、初めて真剣に母に話したけど、姉に「奈美は〇〇君(彼氏)と遊びたいからやめたいんだよ」と横やりを入れられ、叶わなかった。
進路を決める時、私は声優の専門学校を希望したが、潰しがきかないから大学へ行けと、担任と親から言われ、とりあえず、一応興味のある大学を目指した。姉が先に東京の大学へ行き、私は東京へ行く気など無かったのだが、いつしか行きたくなっていた。ちょうど、一番行きたいと思えた大学が東京だった(本当は埼玉だったからビックリしたけど)。東京なら、声優の勉強もできそう。東京へ行けばバレエがやめられる!と思った。不純。

🌙大学生
東京ディズニーランドのように、“東京”付いてるのに埼玉にある嘘くさい大学だった。だがめちゃくちゃ充実した4年間。勉強はほぼやらず。声優の専門学校へ行けなかったから、大学の演劇部に入った。私の大学生活は、ほぼそれ。每日練習。先輩、仲間との交流。に尽きる。よく卒業できたと思う。声優より、演劇にハマった。声だけじゃなく、自分の体、目、表情を使う演劇に。
一応、2年の時、アメリカへ短期留学はした。その時は奨学金を得るために勉強した。その留学中に、中学時代にホームステイをした所にも会いに行ったが…いろいろ状況が悪く、やはり人見知りの私には辛く…気が付けば、ハゲができていた。べっくらこいた、初めての円形脱毛症。あの寂しさ、あの不安、あの頑張り、あのストレス…わかる、あれが禿げさせたって、すごくわかる。繊細なんだよ、私。ちなみに10円ハゲは、後の人生でもあと2回。
そうそう、大学生になって一人暮らしを始めたらアトピーを発症。ここから長年の因縁の皮膚科との付き合いが始まる。アトピーで瞼が赤く腫れたら人に会うのが怖い、アトピーに一喜一憂する日々。部屋は剥けた皮膚で粉だらけだった。たまに友達が泊まりに来て背中に薬を塗ってもらえたりしたら、それはとても幸せだった。
運命の出会いもあった。今は別れてしまったけど、後に旦那さんとなる人と出会った。彼は、同じく文化系の部活にいて、その横繋がりで仲良くなった。
私は結構モテていた。逆に、私は好きな人がなかなかできなかった。好きな人ができなくて悩んでいた。それを友人に「かわいそう」と言われ、傷付き、それ以来私は人をむやみに「かわいそう」とは思わないようにしている。
やっと恋をした相手には振られ、その失恋に落ち込んでいる時に旦那さんとの愛が芽生えた。
大学生って、本当に自由で、いっぱい悩んで、いっぱいバカやって、素晴らしい時間だった。勉強はしておけばよかったと、思うけど。
私を形成した、掛け替えのない時間。


振り返ると、私は小さい頃から、三番目の子として、兄と姉が歩いた道を何も考えず、疑問にも思わず辿るだけ、親に言われるがままだったけど、大学生の頃からやっと一人の人間として生き始めたのかもしれない。私は箱入り娘だな…と感じたことを覚えている。
ただ、姉への尊敬や憧れのような感覚、だからどうしても真似をするような感覚は、ずっと持ち続けていた。

続く

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集