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美しいと感じる心があるから。

先日noteに呟いた
「なぜ人は美しい景色を見るだけで
生きててよかった と思うのだろう」

これに、最近30年振りにFacebookで繋がった、当時の憧れの先輩が返答をくれた。笑顔が代名詞と言える、笑顔が極上の女性だ。
それは、
「美しいと感じる心があるから」
この答を見た時、初めはつまらなく感じた。私が問うてるのはソコじゃないんだよ、と。でも、憧れの先輩の言葉だ…私は流すことに躊躇し、食い下がるようにもう一度、もう一度目で追っていると、何だか言いようのない深いものが潜んでいるような気がして心にジワッと鳥肌が立つようだった。

今、そのことを考えながら書いて行きます。

美しいと感じる心があるから美しいと感じる。
つまり、美しいと感じる心が存在し、
それが 美しいものを見ると生きるわけだ
美しいものを見なければ、その心は存在はしていても いつまでたっても生きない
美しいものを見て 心が生きた時
その心は、喜ぶのだ あぁ、無くならなくてよかった 存在したままでよかった 生きててよかった と。

「生きててよかった」の「生きる」は、「存在する」こと。
「美しいものを見ると生きる」の「生きる」は、「生き生きする」「ものを生かす・活かす」の、区別するなら「活きる」の方だ。

息子が高校受験から高校三年間、廃人のようだったことを思い出す…命を生きてはいるのだけれど、彼を生きていないという様子だった。生気がなかった。

存在しているのに生きられない、それは辛い。
心は、その心が感じるものに触れるのを今か今かと待っているのだ。

醜いと感じる心はどうだろうか?
醜いものに触れるのを待っているのだろうか?
待っているかもしれない。でも、
醜いものを見て「生きててよかった」と思うだろうか?
いやぁ、お世辞にも、「生きててよかった」とは思わないな…
ということは、ここまで論じて来たことは、当てはまらない、無駄だった …ということだ。
アリャ🐜

ならば、もう一つ考えてみようか。

私たちが生まれて来る時、
美しいものに触れたくて生まれて来るのではないだろうか? 生まれる目的が、美しいものに触れること …だとしたら。
だとしたら、説明がつく。

「美しいと感じる心があるから」へ紐解くと
美しいものに触れるために、
「美しいと感じる心」がある。
美しいと感じる心をこしらえたということは、美しいと感じたいからだ。たから、美しいと感じると、生きててよかった…になるのかもしれない。

美しいって何?
美しいものに触れるために生まれるって、何?

私実は、美しいとは?って、長年頭に残っている問だ。
最近読んだ本で、その答えのような事が書いてありました。
美しいとは、本物であること。
これを、答えだと思いました。

人は、本物を見るために、本当のことを確かめるために、それぞれの想いを以て生まれて来てるんじゃないか?と思うのです。それぞれの本当を確かめるため。生きて、いろんなことしてるけど、全ては何かを確かめてるんじゃないか?と。

こういう、私が常日頃から思っていることと「美しいものに触れるために生まれる」ってことが、今繋がっちゃいました。おぉ✨

この文の後半は、私の住む沖永良部島知名町の図書館で書いています。窓の向こうに美しい海が広がっています。タイトルの写真です。
ありがとうございました。
先輩、ありがとうございました。

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