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顔と身体

 土曜日のライブ後。
 大学時代の同期でもあるピアニスト中嶋錠二とcoquelicotオーナー河村留理子とで、当時の話をしている中で思い出した話。
 学生時代、某バーガーショップで、フライドポテトに一番合うのがどのディップかについて話していた時、俺が
「結局プレーンがええわ。」
と言ったら、ジョージが怪訝な顔をして
「え?ヨーグルト味とかあるっけ?」
と言ってきて、一同が??となったという話。"プレーン"の意味を"ヨーグルト味"という意味だと思い違いをしていたという事なのですけれども、ちゃんと伝わるかな…?

 それはさておき、この"プレーン"。 そもそもは簡素であるとか質素とかあっさりしているという意味らしいのですが、転じて"何もしていない状態""余計なものを含まない素直な状態"を指す言葉として使う事がよくあるなあと思うんです。
 例えばディップの件で言うと、俺はもちろんヨーグルト味という意味なんかではなく「何も付けない状態」というような意味で使いましたし、ジョージの勘違いの元になったプレーンヨーグルトにしても、要するに甘味を足してないよって意味なんだろうと思うわけです。
 で、この"プレーン"の使いどころを間違えてておかしな事になってるなっていう状況に、度々出会います。言葉の使い方というより、考え方として。

 俺は一応音楽家なので音楽でいうと、"メロディーをプレーンに歌う"とか。音として出せば何かしらの意識が働くんだから、プレーンにっていうのはありえないだろーと。そう思ったりするわけです。
 たぶん"プレーン"という言葉は、"中間的に"とか"標準的に"とかいう考え方には当てはまらないもので、"有り無し"として捉えられるモノに対して使わないと、エラーの元になるなと。

 ここからが本題です。
 そういう意味でいうと、"無表情"っていうのは実際は無いものだろうと思うんです。常に何かしらの気分なり感情が乗っているのが表情というもので、真顔っていうのはあるのかもしれないけど、表情に有り無しっていうのは無いなと。だから、何かしら情報が載ってるのが表情っていうもので、ただそれが分かりにくいケースと分かりやすいケースとがあるよなーと思うわけです。
 しかしそこを押してあえて書きたいのだけど、表情とかを抜きにして、
「顔がプレーンの状態でヨーグルト味」
みたいな事ってあると思うんです。

 楽しい気分なのに悲しい顔とか、めちゃくちゃ元気なのに疲れ顔とか、ものすごいヤル気あるのにテンション低く見えるとか、生まれついた顔形とか身体的な特徴みたいなものがそもそもカテゴリーの強い感じになってたりして。そうなると"この気分の表現は伝わりやすいけど、これは伝わりにくい"みたいな事が起きると思うんですよね。
 その意味で、俺は比較的得をしていると思われがちです。いつも楽しそうだと思われていることが多い様子。しかし、個人的にはむしろ得なんかより損の方を重たく感じています。人それぞれだとも思いますし、隣の芝生は〜的な話にもなるのかもしれないけれど、そこはそれ。本題が個人的な話っていうのがアレですけども。

 例えば、睡眠不足と疲れでグッタリしている事なんて、おそらく一般職の方より多かったりするんだろうと思うんです。一定の生活リズムを作ることが難しい職業でもありますし、自律神経やっちゃってる感じの事も多い。そんな時に困るのが、目鼻立ちがクッキリしているせいで全く周りに伝わらないという事なんです。大抵「元気そうじゃん」と思われる。 そして何より不本意なのが、身体がでかいせいで過剰に偉そうに見えると。作りがでかいんです。
 だから、グッタリして椅子に座っていたりするだけで「あいつは態度がでかい」と思われがちだし、「楽しい人だと思って話しかけたけど、冷たかった」とか「なんか怖かった」みたいに思われる事が多いわけです。しかも!社交的に見えて人見知りの傾向の方が強いし、豪傑に見えて繊細で(自分で書くことではない)、高血圧に見えて低血圧ですからね俺は!!そういった事も重なり、全然伝わらない!!なにかと誤解される!!
 …そういう自分を分かっているならばそれなりに対策をすれば良いんじゃないかという、これを読んでくれている方のそのお考えも重々承知しています。しかしね、そうできない時もあるじゃないですか。お腹も弱いし。

 長々と非常につまらない事を書くことに時間を割いてしまいましたし、これを読んでくださった方がいるならば、その方にも非常につまらない事を読むことに時間を割かせてしまったことでしょう。…でもどうですか。分かってもらえるはず。ね。

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