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ブルキナファソのゴミ問題

はじめに

かつてフランスの植民地だったブルキナファソという西アフリカの小国をご存知だろうか。現在は独立しているが、経済面や文化面には色濃く支配が残っている。
私はブルキナファソに4月半ばから滞在している。(来年の1月までの予定)
ここの様々な文化や、私の話を進めていく上で必要な情報はその都度書くとして、今すぐ知りたいという人はInstagramの「life_in_westafrica」というアカウントに飛んで欲しい。

https://instagram.com/life_in_westafrica

このnoteを始めたきっかけについては、最後に少しだけ触れることにする。


ゴミ問題との出会い

この国は皆さんの知っている全ての国がそうであるように、多くの美しさを持つ一方でいくつかの問題を抱えている。その問題の1つはあらゆる場所に溢れかえっているゴミの問題である。この国を訪れた誰もが、入国して30分と経たないうちに路上、木の上、空に溢れかえるゴミの多さに驚くだろう。レストランでも高速道路でも湖のほとりでも家の庭にも、見渡す限りゴミが落ちていて、それが風で飛ばされ、やがて自然に集められ、また飛んでいく。土に埋まったゴミは人目から消え忘れ去られる。川に落ちたゴミはいずれ川底に溜まるか、海に流れ出るだろう。


四方どこを見てもゴミが溢れかえっている



私の住んでいる家の庭は30平方メートルほどで小さめだが、この庭からゴミをなくすには3時間ほどを要するだろう。大小様々だが、それほど多くのゴミがある。そして5分もすれば、どこからともなくゴミが飛来して1日もすればすっかりゴミだらけに戻る。
レストランに行くと、パックの紅茶や袋に入った水を出してくれるが、それらのゴミは店員や客によって当たり前に机の下に捨てられる。道を歩いていても、ほぼ例外なく全ての人が当たり前にペットボトルやビニール袋、紙箱やプラスチックゴミをポイ捨てする。しかし、彼らはそれが悪いことだとは全く思っていない。
朝になると、人々は自分の家の庭と周辺を軽く掃除する。集められたゴミは良い場合は有料収集業者に委託して捨てられる。しかし、悪い場合は路上で他の枯葉等と一緒に燃やされる。酷い臭いが朝の街を漂うが、彼らはそこから出る有毒ガスのことなど知らない。

この問題を知って、ここに住む人々が怠惰であるとか美的感覚がないとか、単に学校に行っていない人が多いばかりに教育が追いついていないと考えるのは、本質を捉えているとは言えないだろう(実際に一定以上の人が学校に行っているにも関わらず、それ以上の人がポイ捨てをしている。なぜ学校でそのようなことを教えないのか甚だ疑問であるが…)。かと言って本質が何なのかと言われれば、簡単には分からない。本質が分かれば、解決策が見つかるのかも分からない。

なぜこんな問題が生まれるのか

全ての国がそうだろうが、ここの人々は昔から木や石や土などの自然のものを使って生活してきた。そして、自然にあるものを食べ、それらの生ゴミはポイ捨てされても土に戻り、再び自然を生み出してきた。バナナやマンゴーの皮、牛の骨やヤギの角でさえ、食べ終わったら木の根元に投げ捨てる感覚は何も間違ってはいないだろう。そこにある日、突然プラスチックゴミが入ってきたとして、どうすればそれだけは他の捨て方をするべきだと思えるだろうか、そんなことは不可能である。彼らは彼らがやってきた通りに、プラスチックゴミをもポイ捨てするようになった。生まれてからずっと周りにそれらのゴミが散乱している状況で育った子供たちが、ある日突然、この街は汚い!などと思う日が来るだろうか、そんなことも不可能なのである。

間違っている人間がいるとすれば、この国の習慣と人々を知らずに、捨て方を教えないままにプラスチック製のものをこの国に持ち込んだ人間だろう。私にはそれは営利的な目的だっただろうと思えてならないが…。しかし、今になってそういう過去の人間を吊し上げても意味が無いだろう。隣国ガーナやルワンダでは法律の下、ポイ捨てを禁止して街が綺麗になったらしいが、私がここにいる9ヶ月の間にそれが実現するとは到底思えない。

なぜnoteを書くのか

私はブルキナファソにあと9ヶ月弱滞在する。ただの白人青年(黒人ではない人をここでは白人と呼びます)でお金や力はほとんどない。つまり、私がこの問題に取り組もうとしてもできることは限られている。しかし、この問題に対して何もせずに9ヶ月を過ごすことは私自身の中に新たな問題を生むことになるだろう。そして、またやってみたいことがある。詳細は次回書くとして、この途方もない問題に対してアイデアがある人や意見がある人はコメントして頂けると嬉しい。

Instagram上で「9ヶ月の間にできることは何があると思うか」という質問をした。その中で、より拡散力があるnoteを使う方が良いという意見を得た。私は自らが発信した情報によって恩恵を受けた経験はないため、情報という現代社会の生命線が実際にどれほど強力なものなのか知っているとは言えない。そして、多くの人が問題視するであろうこの問題に対しても日本や世界で拡散した先にどのような視界が開けるか私には想像できないが、自分の時間を少しだけここに費やしてみようと思う。



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