お金のなる木【小説】
レヴはネットサーフィンが好きで、いつもパソコンの前に座ってキーボードを叩いていた。良い年になっていたが、ろくに働きもせず、心底愛していた両親が遺してくれたお金を切り崩しながら生きていた。けれど、そのお金がそこを尽きるのも時間の問題であろうとレヴは分かっていた。ただ、いよいよその時が来るまではろくに対策も考えないタイプだった。昔から学校の夏休みの宿題を最後の3日でどうにかしようとする性格だったが、レヴは実際にそれである程度どうにかしてきたがために、相変わらずその性格は変わっていなかった。
ある日、ネットサーフィンの末にたどり着いた怪しげなサイトで「お金のなる木」という商品を見つけた。口コミは程々に良かった。レヴは写真がないことに不満があったけれど、いつの日か来るであろう破産へのぼんやりとした不安を少しは拭えるかもしれないと思い、買ってみることにした。数日が経っても何も届かなかった。レヴは騙されたかと思いながらも、想定内だと自分に言い聞かせ、またネットサーフィンをし始めた。4ヶ月が経ったある日、玄関の戸を叩く者がいる。食事を始めようとしていたレヴは舌打ちしながら玄関へと向かい、ぶっきらぼうに
「何か?」
と聞いた。隣の家のヤギ飼いの少年が立っていた。
「配達屋が、今日の朝から来てたんだよ」
少年はそう言って、小包を渡してきた。どうやら朝からレヴが爆睡している間に配達屋が来て、レヴがいないと思いこみ、隣の家に荷物を預けたらしい。レヴはまたぶっきらぼうに
「ありがとさん」
と言って小包を持って家の中に入っていった。
食事を終えたレヴは、どうせ遠い親戚が何か送ってきたのだろうと興味なさそうに袋を手に取った。ただ、見慣れない文字が包を覆っていることを少し不審に思い、注意深く袋を破き始めた。小包は何重にも包まれていて、レヴは段々と面倒臭いと思い始めた。しかし、遂に内部の硬い何かに触れた。レヴは再び慎重になって中のマンゴーの種のような見た目のものを3つ取り出した。
レヴはこれが何か全くわからなかった。一日中頭を悩ませて、4ヶ月前のパソコンの履歴から、「お金のなる木」が遂に届いたのだと分かった。レヴは勝手に苗が届くと思っていたために、怪しげな種が何かなんて皆目検討が付かなかったのである。
しかし、説明書なんてものがあるはずもなく、育て方も何もかもが分からなかった。レヴは再び例のサイトを見ようとパソコンに向かったが、サイトは既に閉鎖されていた。小包の表面の文字を調べようとしたが、行き着く先は中南米か東南アジアかアフリカの聞いたことのない言語で、これというものはなかった。
レヴは楽観的になって、育ててみることにした。木を育てたことはなかったが、種は3つもあるわけだし、全て失敗してもその時は諦めようと思った。次の日の朝早くから、シャベルで庭の土を掘り返し、生ゴミを埋めて栄養を加え、最後に少し深めに種を植えた。3つ感覚を開けながら並べて植えた。それからレヴは朝起きて水をやり、夕方にもネットサーフィンを中断して水をやった。こうなるととても真面目だった。3週間が経ったが、一向に芽が出てくる気配はなかった。けれど、レヴは我慢強かった。種が届くのに4ヶ月かかったのだから、芽が出るのもそれくらいはかかるかもしれないと、よく分からない理屈で水やりを続けた。
ある日、大雨が降って土が流れてしまった。レヴは土を足すべきだと思ったが、母の命日だったために儀式で忙しく、土の追加は翌日に持ち越すことにした。翌日になって種のある場所に行くと、小さな芽が2つ少しだけ頭を出しているではないか。レヴは地面に這いつくばるようにして確認した。それから歓喜の声をあげ、雨と3ヶ月間諦めなかった昨日までの自分に感謝を伝えた。
それからはネットサーフィンの時間が減り、庭先で紅茶を飲みながら庭を眺める生活が始まった。桃栗三年柿八年というけれど、お金のなる木は何年なのだろうと分かるはずもないことを考え始めた。木が花を咲かせ実を成らせるだけのエネルギーを持つにはどの程度の大きさになるべきかとか、そもそもどんな形でお金がなるのか、つまり実の中なのか葉っぱなのか、土の中かもしれないとも思い始めた。そんなことを考えながらぼーっとしている時に恐ろしい光景を見た。
庭にヤギが来て例の芽に近づいたかと思うと、迷いもせずに食べてしまった。レヴは椅子から転げ落ちながら、大声を出してヤギに向かって走り出した。ヤギは人馴れしているのか、あまり驚かずに少しだけ後ずさりしたが、その先でもう1つの芽を踏んでしまった。レヴは怒り狂ったようにヤギに突進すると、ヤギを叩いて蹴って、とにかく追っ払った。ヤギは少し鳴いて唸りながら足早に去っていった。レヴはレヴ自身の足が痛くなるほど強くヤギを蹴った。
しかし、時は遅かった。1つ目の芽は何も無くなっていた。2つ目の芽は踏まれて惨めな姿になっていた。レヴは悲しかった。怒りなどなくただただ悲しかった。2つ目の芽に少しだけ希望を感じたかったが、2日後にはそれも駄目だと分からされた。レヴは自分自身を責めた。家の庭にヤギが入ってくるなんて、生まれてからずっとあったことなのに、それさえも想像できずに何も対策していなかったことを悔やんだ。
1週間が経って、2週間が経って、遂には1ヶ月が経った。レヴはまたネットサーフィンをしていた。お金のなる木のことなど忘れたかった。けれど、執着はそんな簡単なものではなく、時々庭先からぼーっと、その辺りを眺めるのだった。1ヶ月経ったある日、レヴは意味もなく例の農園に歩み寄っていった。特に訳はなかったが、何となく歩み寄った。そして、例のヤギに踏まれた更に奥に小さな小さな緑色の生命を見た。三兄弟の末の子が、1ヵ月も経って芽を出した。レヴは喜びの歌を歌い急いでレンガを家の裏から運んできた。普段は汚いと思い入らない庭裏だったが、少しの迷いもなく入っていき、レンガをたくさん運んできて、新たな生命を厳重に囲った。それからまた毎日水をやって物思いに老け、庭先で紅茶を飲む時間が増えた。やはりお金は花びらなのではないかとか、幹の中にあってそれを獲るには木を切らないといけないのではないかとか、ああでもないこうでもないと妄想する時間が再び始まった。
レンガに守られた芽は強い日差しと朝夕の水を得てぐんぐんと成長した。月日は川のように流れ、再び母親の命日を過ぎた頃には木はもう十分に大きくなった。ヤギが来ても大丈夫だとレヴは思い、成長の邪魔になっていたレンガを退けた。木はやがて葉をたくさん付けて、更に枝を伸ばし、その先の方にいくつか蕾をつけた。雨が来て風が来て、やがて嵐になったが、それが過ぎても蕾はしっかりと枝についていた。蕾をつけてから2週間が経って、夜になってから花が開いた。黄色い美しい花ではあったが、単なる普通の花だった。それから見たこともないような蜂か蝿か分からないような虫が飛んできて、花から花へとゆっくりと飛び回った。舞っているようで揺られているだけにも思えた。風はほとんどないだろうが、流されているのかもしれないとも思えた。朝になると花は閉じたが、月明かりがそそがれる頃には再び開いた。それを待っていたかのように、例の虫がまた飛んできては花から花へとハシゴした。4日間そんなことが続いた。5日目の朝、半分の花は息絶え、半分の花は開かずに花の元の辺りが膨れ始めた。いよいよその時が来るのだとレヴは何となく感じた。
枯れるような強い日差しの日々と滝のような雨の日々が交互に訪れ、膨らみは黄色い実へと姿を変えた。実は更に膨らみ、マンゴーほどの大きさになり、やがてヤシの実ほどの大きさになった。それでもなお止まらず、メロンより大きくなりスイカより少し小さいくらいになった。枝は重みに耐えかねて三日月のようにしなり、実は地面から20センチくらいのところまで降りてきた。そして実はある時、低い音を立てて地面に落ちた。十分にしなった枝は、他に2つほど実を付けていることを良いことに鞭打ちのようになることは避けて、少しだけ持ち直した。レヴはちょうど庭先でコーヒーを飲んでいた。父の命日から4日後のことだった。レヴはゆっくりと実に歩み寄って持ち上げようとした。想像を絶する重さだった。レヴは気を取り直して、庭先の広いところまで実を転がし、たどり着いてから一汗拭った。それから台所からナイフを取ってきて、丁寧に切り始めた。表面を少しずつ切りながら、ワクワクしていた。黄色い表面が黄緑色に変り、そして白くなった。それから直ぐに、ナイフは少し硬いものに触れた。コインだった。本当にお金のなる木だったのだ。レヴはお札が出てくる予定だったために、若干戸惑いながらも歓喜の声をあげた。レヴは再び台所に行って家宝の皿を持ってきてコインを移し入れた。30枚ほどのコインが採れた。レヴは心底喜びながら困ったように笑った。採れたコインはレヴが一度も見た事がないものだった。どこか遠く、恐らくこの種を送ってくれた国のものだったのだろうか。レヴはそのお金にどれほどの価値があるか分からなかったが、銀色に輝くコインは美しく、それだけでも嬉しさはあった。レヴはコインの入った皿を持ってパソコンの前に座った。そのコインがどこのお金かを調べるにはそれほど時間を要さなかった。コインはレヴが住む国から遠く離れた東方の大きくて小さい国のものだった。レヴは気を良くして、空港に行く準備をした。換金するのである。車を飛ばし、ノリノリの音楽をかけて空港まで1時間走った。
空港について換金窓口に行くと大量のコインを持ったレヴは窓口の担当者に不審かつ迷惑そうな目で見られるのを構わず、透明の入れ物に移し替えたコインを渡した。担当者は眉間にシワを避けながらも、慣れた手つきでキーボードを叩いて換金した。1ヶ月は生活に困らないほどの大金だった。レヴは満面の笑みで紙幣を受け取り、踊るように車に戻ると自分にご褒美のご馳走を買いながら家に帰っていった。
3年が経って、レヴはお金に困らなくなってきた。いや、元々困ってはいなかったが将来への不安もなくなった。木は年々成長して、毎年より多くの実を付けるようになった。レヴは木から実が落ちる低い音を聴くと、家から飛び出て収穫する毎日を送っていた。
更に3年が経った。レヴは決して図に乗らなかった。もっと正確に言うと何も贅沢らしいことはしなかった。相変わらずネットサーフィンをしていたが、無駄なものは買わなかった。レヴにとって人生は充分に豊かだった。レヴにとって人生は充分に楽しかった。レヴにとって人生は充分に美しかった。
ある日、ネットサーフィンをしていたレヴは恐ろしい数字を見た。換金レートが大幅に下がっていたのだ。あの東方の大きくて小さい国で大規模なインフレーションが起きたらしい。経済は傾き、貨幣価値がどんどん下がっていた。毎日毎日パソコンの前で、右肩下がりを続けるレートを見ていた。
世界中が大打撃を受けたらしい。レヴは1つの実を採っても、そこから得られる換金額では空港までのガソリン代さえもまともに受け取れないことに気がついた。レヴは残念がった。
頼りない種を庭に植えてから、暑い日も寒い日も水やりをして、ヤギを追っ払って、レンガを積んで、我が子のように思った時期もあった。レヴは落ち込んだ。またいつか貨幣価値が戻ってくるかもしれないけれど、到底先のことな気がする。また、将来に不安を感じながらネットサーフィンをする日々が始めるのだった。
どれくらいが経っただろうか。特に何もないような日々が続き、ある日例のヤギ飼いの少年が家の戸を叩いた。レヴは眠たい目を擦りながら、面倒であることを全面に出しながら玄関に行った。
「何か?」
「配達屋が朝から来てたんだよ」
先週頼んだ5キロの穀物だった。
「そっか、ありがとさん」
「それと、これね、父ちゃんがあなたに渡してって言ってた」
そういって少年はヤギのスープがたっぷり入った小さい鍋を渡した。
「そっか、それはどうもありがとう」
「あとね…」
レヴはまだあるのかという表情をした。
「あとね、この前、レヴさんが家に入って行った時落としたお金、僕のところに飛んできたから拾っておいたんだ」
レヴは絶句した。いつもヤギを世話している少年の家が裕福でないのは嫌というほど分かっている。飛んできたお金を、その日の足しにすれば良いのに、なぜこの少年と親はわざわざ持ち主に返しに来るのか、しかもヤギのスープまで付けて。いや、ヤギのスープは確かに1ヶ月に1回くらいはいつも持ってくるが…戸惑いながらもレヴはまずお礼を言った。
「そっか…それはどうもありがとう」
「じゃあ、帰るね」
「…待って!」
「なに?」
レヴは聞こうか聞くまいかと少し迷ったが覚悟を決めて少年に問いかけた。
「いや…どうして君はそんなに真っ直ぐなんだい?」
「僕が真っ直ぐ…どういう意味?」
「いや、ヤギのスープだって、このお金だって、どうしてわざわざいつも持ってきてくれるんだ。私は君に何もしてあげてないけど、君と君の家族はいつだって私に優しいでしょ」
「お金はあなたのものでしょ。ヤギはみんなのものなんだ。ヤギってさ、どこにでも歩いていって、人の家に入って水たまりの水飲んだり、草食べたりするでしょ。だから、うちのヤギはここら辺に住んでる人みんなのものなんだって、母ちゃんが言ってたよ」
再びレヴは絶句した。少年はそんなレヴを見ながら、少し迷いながらもこう続けた。
「前にね、うちのヤギがどこかで怪我をして帰ってきたことがあってね。で、その子はその後死んじゃったんだけどさ、その子の子供の子供が、さっきレヴさんに渡したヤギなんだ」
少年は言いながら笑顔になって、鍋を指さした。
「そっか…実は、君のところのそのヤギを怪我させたのは たぶん私なんだ…」
少年は間髪開けずに
「知ってるよ。知ってるの。だから、言うか迷ったんだ」
と言った。
「申し訳ないことをした。ごめんね」
「良いんだ。レヴさんの庭で何か悪さしたんでしょ?そういう子だったから分かるんだ。でも、たぶん、痛かっただろうから、僕に謝らなくていいからさ、その子供の子供のヤギをちゃんと食べてあげてよ」
「そっか、そういうものなのか。分かったよ。ありがとうね」
「うん、じゃあまた来るね」
「待って」
少年はニコニコしながらまた立ち止まった。
「もう一つだけ。何でいつも色々くれるんだい?スープだけじゃなくて色々くれるでしょ」
「レヴさんだから。僕はねレヴさんのこと好きだから。あと母ちゃんと父ちゃんは、レヴさんのお母さんとお父さんがいつも色々助けてくれたからとも言ってたよ。その鍋もね、レヴさんのお母さんがくれたんだって。だから、いつもその鍋に入れて持ってくるの」
レヴは手に持った鍋を見ながら、大好きな両親がこんなに近くで生きていたのかと思った。レヴは更に少年に聞いた。
「私のことが好きなの?」
「レヴさんはカナブンが水に落ちてたら助けるし、テントウムシが道に落ちてたら拾ってお花に着けてあげるからね。あと、レヴさん物知りだし。怒ってるの見たことないもん、悲しんでるのは見たことあるけどね」
レヴはまた言葉を失ってしまった。文面で褒められることはあっても、言葉でこうも真っ直ぐに褒められることに慣れていなかったからだろうか。いや、レヴは少年の言葉の節々にただただ強く心打たれたのだった。
「じゃあ、もう行くね。また、夕方に鍋を取りに来るね」
レヴは声になったかならないか分からないような音で返事をして頷いた。少年はニコッとすると家に帰ろうとして、もう一度振り返って恥ずかしそうにこう聞いた。
「レヴさん、子供の子供って何て言うの?」
レヴは喉を整えてから
「孫だよ」
と答えた。
「そっか、ありがと。また後でね」
レヴは少年を見送り、もう一度鍋をよく見てから家の奥に入っていった。
彼女の人生は美しかった。
《終》
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