絶望と孤独:ゴミを拾い始めて2日目の壁
子供たちの興味
私がマラリアを克服し、またゴミを集めようと思った頃、カリフは家の事情か何かでなかなかうちに来てくれなかった。
※このnoteは私が取り組むゴミ問題について連載しているものなので、ここまでの流れは以下よりよんでください。
また私の今日までの(始めて2ヶ月弱)取り組みの要旨だけを知りたい方は以下から初回3回分を読むことをお薦めします。
カリフが家に来なくても、他の子供が毎日訪れてきた。彼らは皆、私のホスト(マブドゥ)の兄弟の子で、親が働いていて忙しかったり、家では満足にご飯が食べられなかったりするため、私たちの家にご飯を食べに来る。10人弱の子供たちが学校が終わるとそのまま私たちの家に来る。その中に三人兄弟がいた。姉(ムンジ14歳くらい)と双子の弟である。双子(8歳)は兄がエリ、弟はエリーゼという名前であった。彼らはいつも遊び回っていたが、ムンジは子供たちを束ねていた。ムンジがしようと言った遊びはどんな遊びでもみんな従うし、楽しそうにムンジが飽きるまでやっていた。
カリフがいなかったため、私は1人で道に出てゴミを拾おうと考えた。夕方4時すぎだったろう。するとムンジが付いてきて、その後ろに7-8人の子供たちが連なった。私は特に何も言わずに付いてきてもらって、ゴミを拾い始めた。ビニール袋が風で飛ぶのを、早足で追いかけながら拾った。子供たちは真似した。ムンジが拾えばみんな拾う。
私と同じでビニール袋を追いかけては拾ってくれた。私は最初に拾った大きめのビニール袋に次々にビニール袋を入れていったが、彼女たちは私のところにビニール袋を持ってきて、どんどん渡してきた。とても汚いものもあったし、原型をとどめてないものも沢山あった。しかし、私は全て受け取った。
この子供たちの前で選り好みをしては行けないと思った。拾うビニール袋と拾わないビニール袋を見せては行けないと思った。自分の手が汚れることなどどうでも良かったが、草鞋(わらじ)作りに使えないゴミが溜まっていくのを感じた。
しかし、同時にこうも思った。確かに、私はビニール袋を選り好みしている。確かに、汚いものは拾うようになったけれど、それも子供たちのレベルまでは達していないし、破けた小さな袋は拾っていなかった。草鞋作りには使えなくても何か使う手立ては無いものかと。
子供たちは少しずつ私を家から遠い方向に導いて行っていると思っていたが、家の周りを大きく半周しているだけだった。ムンジが1つの大きめの袋を途中で拾って、新たにそこに袋を入れ始めてくれたおかげでたくさんの袋が集まった。もう帰ろうかと思い始めた頃に、角を曲がって大きな広場に出た。私は絶句した。ゴミの墓場とでも言おうか、目の前の光景は私を絶望に落とした。
「アンカタカッソ(家に帰ろう)」
私は咄嗟にそう言って、子供たちを連れて家に向かった。
絶望感の中身
私はこの国に9ヶ月しかいないため、その間にまずはできるだけ多くのゴミを拾いながら、ゴミでモノを作るという仕事を成立させなければいけない。そうでないと、子供たちは楽しかった一時として記憶するだけで、そして大人たちに至っては変な白人がいたなぁと思うだけで、私が帰った後はまた、ポイ捨てで路上ゴミの溢れる国になり続けるだろう。たくさんのゴミがあることは、多くのモノを作れるということではあるが、目の前に広がっていた光景は、私の取り組みなど何の効果もないと主張しているようだった。それが絶望感の中身である。しかし、その夜少し考えて、自分がすべき事はやはり同じことだと感じた。つまり、自分と同じようにゴミから何かを作れる人間を多く育成して、彼らが1つの仕事として利用してくれれば、ゴミを拾う人は増え、捨てる人は減るのではないかと。
そしてもう1つ、私が感じた絶望感を子供たちは感じていないかもしれないとも思った。
日本でゴミ問題への活動をしている人たちに向けて、「そんな小さいやり方では何も解決に向かわない」とか「もっと根本的に変えていかないと意味が無い」などと発言する残念な人々が多くいることを知っていた。たいてい、特に何も行動せずにビール片手にパソコンと睨めっこしている人々が、外から石を投げているに過ぎないが、これらの意見は半分事実であるため活動する人々にとって耳の痛いものでもあろう。
しかし、ここの子供たちはまず何のためにゴミ拾いをしているかを知らないだろう。いや、草鞋を作るためだということは知っているだろうが、私が草鞋を作りたいがために集めているとしか思っていないだろう。彼らはあの惨状を見たとき、いっぱい拾えるなぁと思ったかもしれない。「なんでこんなにゴミがあるんだ」とか「このゴミはこの後どうなるんだ」とか、そういう絶望方向の考えには至っていなかっただろう。
話を夕方に戻して、ゴミを持ち帰った私は家の庭の広いところでゴミを少しずつ紐に通していく予定だった。こうして、1日中木に吊るしておけば、濡れているビニール袋は乾き、太陽の力で多少は殺菌もされるであろうと思ってのことだった。
私は家の中にあった袋を持ってきて、例のように(第4回 ゴミで草鞋を作る 参照)縦に切って、三つ編みを始めた。するとムンジは自分が集めていた方の袋を出して、私の真似を始めた。彼女の切り方は私とは違い、横に向かって切るものだった。しかし、ビニール袋にも目はあり、縦の方が切りやすいものが多い。彼女のやり方では、往々にして切るのを失敗して、大量の小さい何にもならないゴミが増えるのだった。ゴミを拾ってきてゴミを出しているのだった。私は2度ほど彼女に切る向きを変えるように説明したが、縦に切るのもそんなに簡単ではないため、またすぐに横に戻した。私はこの時ナイフを使わず、手で切っていたが、丁寧にすれば必ず縦に切れることは分かっていた。横向きに切ることの弊害は、持ち手部分が必ずゴミになることもある。しかし、とにかく彼女はゴミを使いながら、新たなゴミを次々と出した。そして、その小さなゴミを当たり前に庭にポイ捨てした。
ムンジがやることは子供たちも真似する。エリもエリーゼもイスマエルもみんなである。10人ほどの子供が、次々にビニール袋を雑に切り、次々にゴミを出し、どんどんポイ捨てする。
みんながゴミを使って何かを作ろうという意志を見せていることに対する喜びももちろんあったが、ゴミが次々に出ることもそれをポイ捨てすることも止められなかった。正確に言うと、子供たちが自らの意思でゴミを扱おうとしている、私が育てるべき人材が自らやっている、そんな彼らを止めていいのかどうか分からなかった。女の子たちは特に紐を作ることにかけては教える必要がなかった。三つ編みのやり方は私とは少し違ったが、強い紐になっていた。彼女たちは日頃から髪を編んでいる。自分で編む訳では無いが、長く見ていれば編み方など分かるのだろう。多くの男の子達と、年少者は何にもなっていなかったが、それでも何かを作ろうという意志を評価したいと思った。
小さなゴミはどんどん増えていった。大人たちは周りで見ていたが、ポイ捨てを注意するはずなんてない。それが彼らの習慣なのだから。
大人の1人が立ち上がって、ほうきでゴミを集めて庭の木の方向にはき飛ばした。この多くのゴミが夜の風で飛んでいき、明日には私の知らない場所で誰かに燃やされているか空を飛んでいるのだろうか。大人が5人ほどいて、子供が10人ほどいて、私がいる。その中でゴミがどんどんポイ捨てされることを悲しみ、問題視しているのは自分だけなのだと思った。私はこんなにも多くの人に囲まれながら、孤独を感じていた。
1人でするのはとてつもなく孤独である
私は路上のゴミを減らしたいだけだ。日本にいれば、それを否定する人はいないだろう。誰もが、それは必要なことであると、環境問題への取り組みとして志を持っているのだと、理解してくれるだろう。しかし、それがもし無かったら、孤独に戦うことになる。
本当は大人たちの一部は知っている。プラスチックやビニール袋のポイ捨てが環境に良くないことを彼らは知っている。けれど、みんながポイ捨てするし、誰か一人がポイ捨てしなかったとしても、それが注目されることはない。彼らは知っているけれど、ポイ捨てをする人たちだ。
子供たちの半数近くは学校に行っている。学校でそういう初歩的なことを教えるべきなのではと私は思ってしまうが、やってないようだ。先生もポイ捨てをするし、家に帰れば親がポイ捨てをする。誰も辞めようとは言わない。
子供たちは私から学んでくれるだろうか。私がいなくなる9ヶ月後に、彼らはポイ捨てはダメだと、ゴミ箱のある場所まで持っていくべきだと言うことを、それを知らない人たちに伝えていってくれるだろうか。
夜になって彼らが家に帰ろうとした時に、私は小さな袋を持ってきてゴミを拾いなさいと言った。ムンジとエリとエリーゼとイスマエルと、その他名前も知らない子たちのうち、5人くらいは拾ってくれた。拾い方まで雑だったが、何人かは拾ってくれた。意味は分かっていないだろうが。
子供たちが帰ったあとで、私は庭を見ながら子供たちの拾い残しを1人で拾った。暑く、喉が乾いている中で、小さな袋を片手に、小さなゴミをたくさん拾った。袋いっぱいになるまで。まだ使えるだろうなというものもあった。子供たちの手から風で飛ばされたのだろう。
彼らを下手に怒ったりして、彼らの中のやる気がなくなったら、異国から来た肌が白い男のことを怖がったら、私が育てるべき人材はいなくなってしまう気がした。だから、下手に強く言いたくなかった。子供は叱って褒めて成長するだろうけど、その前に関係性こそ大切な気がする。人種まで違うのだから、もともと多少警戒していだろうし。
けれど、その一方で私の中に眠る、この問題に取り組まなければいけないという、自分に対する責任感という名の炎が燃え尽きたら、終わると思った。辞めるのは簡単だ。ゴミを拾いに行かず、子供たちとサッカーをしておけば、簡単に辞められる。しかし、小さいながら自分がやっていることに意義があるという自信はあったし、このアイデアを潰すのはもったいないとも思った。だから、絶望と孤独が押し寄せて来ることに、何か対策をせねばと思った。
私の答えは発信することであった。もしかしたら、日本を含め世界中で抱えているゴミの問題の一助になるようなアイデアかもしれないと思った。そして、情報を広げた先にブルキナファソの政府を動かしたり、どこかの有志たちの目に止まったりするかもしれないと、そういう夢を少しは見ておきたいと思った。そんなことがなくても日本にいる友人たちが少しでも応援してくれれば、炎を消さずに続けることが出来る気がした。
話は大きくなってnoteに留まらずTwitterまで始めようとしている。
本当は有名になりたくないのだけれど、この国の子供たちを見捨てることと、自分の志に反することはもっと嫌だ。
次回はもう少し明るい話題にしましょう。最後まで読んでくれてありがとうございます。少しずつ拡散できているようです。皆さんのご協力と優しさが私の薪になってくれています😊
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