見出し画像

困りごとビジネスとか「●●のために」に感じる違和感について

「●●のために」
みたいなうたい文句が嫌いです。

世の中にはいろんな困りごとがあって、それを解決することをビジネスにする人がいます。
それは、いい。
ものすごくいいと思うのです。

一方で、そういうビジネスが成功している例を、他にも転用しようと売り出す人がいます。
困りごと×ビジネスの塾
みたいな。
これには、私は近づけません。

そもそも、私は困りごとの当事者であることが多く、当事者でありながらそれをビジネスにするだけの力は持ち合わせていないからかも知れません。
困りごとをビジネスにできる人って、2パターンいて、

  • そうしないと生きられない人

  • 自分が困っている当事者じゃない人

に分かれると思うのです。

そうしないと生きられない人は、なんとかしてビジネスにしますし、強い。
会社で働けないから、自分でビジネスをする。
そういう生き方ですね。
尊敬しています。

そして、もうひとつが、自分自身が困っている当事者ではない人。そして困っている人のために、なんとかしようと手助けをする人です。
これは、人助けの精神とか、公共の福祉的な精神とか、そういうのが必要です。
高尚な精神だと思いますが、私はちょっと苦手です。(そして、そのうちのごくごく一部は嫌いです)

「あなたのために」
と言われる側になったときの、なんともおさまりのつかない、奇妙な違和感。伝わるでしょうか?
嬉しいと思わなくてはいけないのかな? という、なんとも気持ち悪い感覚なんです。
これは、私が望んでいるものと100%は一致しない、微妙にズレた親切をうけたときの感覚です。

私は、その「親切を受けたときの違和感」があまり好きではありません。
だから、自分自身が当事者ではない困りごとを、解決するつもりになりません。あのおさまりのつかない、奇妙な感情を、人に抱かせるのが嫌だからですね。

今日の記事は、とくに結論が出ないですね。
ただ、こうやっていろいろ考え込む人もいるってことを笑ってもらえたら嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!