魔法使いになりたかった|レイキREIKI体験談|スピリチュアルに廃課金した20年No.2
レイキ、という言葉を知っているだろうか?
スピリチュアル好きの間では有名だろうし、今までそういったものに近づいたことがない人には全く知られていない言葉だろう。
今日は、私が体験したレイキについて脱スピの観点から書いてみる。これからレイキにハマる予定(まだハマり続ける予定)の方にはこの記事はおすすめしない。と先に注記しておこう。
レイキとは(情報的な)
レイキとは、Wikipediaによればこうである。
はい。長い文章を真面目に読んでくださった方、さぞお疲れのことだろう。Wikipediaの記事はまだまだ続く。正直読めたものではない。研究者以外には無理だと思う。
私も読めない。だが、ざっくり言うならレイキとは、
「日本発祥(とされている)の、手をかざすだけの民間療法」であり、
「海外で発展して逆輸入された」もの。
文中に出てくるニューエイジという言葉は、おそらく今後別のスピリチュアル体験記事でも出てくる。少しきな臭いワードだ…
レイキを実際に体験しておいて言うのもなんだが、どう考えても効果があるものではない。
比較的少額とは言えやっぱり廃課金(私の体験概要)
改めてWikipediaを読んで知ったのだが、ニューエイジブームと共に日本に逆輸入されてきたようだ。だから時期は、1980年代半ば~1990年くらいかな?
私の感覚では、周り中のスピリチュアル好きがレイキを知ったりハマったりしたのは2000年以降くらいだと思う。私が知ったのもその頃だし、2010年以降どんどん耳にしたり、書籍を見るようになった。
さて、私の廃課金概要は以下の通り。
時期
2000年代はじめ
私自身は20代前半期間
6か月間程度金額(記憶による)
施術 10,000円程度
アチューメント(ファーストディグリー) 10,000円程度
アチューメント(セカンドディグリー) 30,000円程度
合計50,000円程度支払方法
現金
金額は記憶たよりだが、だいたいこれくらいだった。スピリチュアルへの課金としては、少額と言える。だが、前述したように「効果がない」のだとすれば、廃課金には違いない。プラシーボ効果のために払うには、十分高額である。
金額をかけるほど楽になるしくみが上手い(体験内容)
何を検索したのか、もう覚えていない。心も体も疲れやすく、癒しを求めていた。と同時に、普通に働き続ける人生は嫌で、個人で仕事ができるやり方を探していた。
住んでいる市から車で1時間くらいの場所に、そのサロンはあるという。
予約フォームやDMなどの手段はまだ一般的でなかった時代。私は電話で、そのレイキサロンに連絡を取った。
予約した日時に、ホームページに載っていた住所に行くと、そこは住宅街だった。サロンも普通に一軒家。特段おしゃれということもなく、いたって普通。
周りの住宅になじんでいるその建物のインターホンを押す。出迎えてくれたレイキマスターは、私より20歳ほど年長の女性だった。霊的な何か(忘れた)を払うために手を洗ってから着席するように促され、従った。
はじめてのときは、レイキヒーリング施術を受けた。施術台に横になり、手を当てられただけ。目を閉じていたので、手を当てられている以外は何をしていたか知らない。女性の手首にいくつもの天然石ブレスレットがあって、それがときどきジャラリと音を立てていた。
身体の前側と後ろ側、両方を頭から足まで何か所か手当てされて、終わり。時間にして40分程度だった。
次はアチューメントを予約した。アチューメントを受けると、誰でもレイキが使えるのだという。日本語で言うなら「伝授」というイメージらしい。
レイキには段階があり、順番にしか受けられない。段階が進むごとに出来ることが増える。とはいえ、ヒーリング能力そのものは、段階による違いはない。
アチューメントの「全部セット」や「1~3セット」も進められたが、断った。そうすると、1つずつ受けるのもおすすめだと言われた。
2回にわたり、アチューメントを受けた。ファーストディグリーではレイキが流せるようになり、セカンドディグリーではシンボルを使えるようになる、と教わった。
アチューメントのたびに、授業のようなものがあった。インクジェットプリンタで出力したと思われるテキストが数ページあり、それをファイルするためのバインダーももらった。
セカンドディグリーで習う3つのシンボルは、紙に書いたり、人に見せたりしてはいけない、と言われた。シンボルというのは記号のようなもので、空中に書く動作をすることでレイキがより強力になる。同時に唱えるマントラ(呪文)も教わった。
シンボルには形と書き順があり、覚える必要があった。ちなみに、テキストには印刷してあるし、後年、本屋で売られている書籍に普通に印刷されていたのも見た。(人に見せてはいけないのではなかったのか?)
各段階のアチューメントが終わると、終了証を渡された。英語と日本語で書かれていた。マスター(受講生にアチューメントをすることができる人)の名前も、私の名前も、英語表記だった。
一度だけ、そのサロンで行われた集まりに参加した。レイキに興味がある人や、すでにレイキのアチューメントを受けた人が集まっていた。10名くらいいて、女性が8割、男性は1~2名だったと思う。
気功の先生だという人がいて、レイキは気功に比べて気を練る必要がないから楽だ、と言っていた。
お互いにヒーリングをし合ったり、おしゃべりして交流するイベントだった。飛び交う会話がスピリチュアル用語満載で、当時はあまりついていけなかった。人との交流が楽しいとも思えず、一度しか参加しなかった。
私はセカンドディグリーまでで終わりにしたが、その先はサードディグリーと、マスターがあったようだ。サードディグリーを受けると、セカンドディグリーでは3つあったシンボルが、より強力なひとつのシンボルだけで済むようになる、のだとか。その先には、他の人にアチューメントを施せるようになる段階が続く。
全部受けると10万円を超える金額だった。
印象としては、金額をかけるほどにヒーリングが楽になり、そのうち人からお金をもらえるようになるよ、という触れ込みだった。
魔法使いになりたかった(当時思っていたこと)
前章では、主に「出来事」に絞って体験を書いた。この先は改めて「いったい何を思っていたのか」を書いていく。
実は、どうして課金したのかは今でもはっきりわかる。
私は副業や起業がしたかったのだ。もっと言えば、お金が欲しかった。
普通に会社員として働くことがあまり得意ではなかったので、20代の当時から、別の収入方法はないかと思っていた。
結婚も出産もしたかった(それも早いうちに)ので、家でできる仕事や、場所や時間にとらわれない仕事、そして勤務年数に関係なく成果が出る仕事が欲しかった。
恥ずかしいことに、それは未だに(完全な形では)手に入っていない。
さて、その中でどうして「レイキ」だったのか。
これはさらに恥ずかしいのだが、
魔法使いになりたかったから
というのが一番近い。
幼いころから、本、漫画、アニメ、ゲームの虜で、いわゆるオタクだった。そのうえ、自他ともに認める「馬鹿正直」だった。言われたことはとりあえず信じてしまうのだ。
不思議な力が出てくるものが好きだった。現実世界でそんなものないと、普通の大人なら思うはず。だが、私は「もしかしたら不思議なものはあるのかもしれない」とずっと信じていた。
そんな私にとって、偶然見つけたレイキは素晴らしいものに見えたのだ。
アチューメントを受けるだけで力が使える、というのが魅力的だった。苦しい修行などは必要ないし、集中も必要としない。むしろ、集中しない方がいいのだと教わった。
ヒーリングは有料でやってもいいし、段階が進めば他者にアチューメントをすることでお金をもらえる。安易にできそう、という理由で飛びついたのだ。
手を当てる効果以上の効果はない(信じるのをやめた理由)
だが、実際にアチューメントを受けてみても、自分の感覚として魔法のような力は感じられなかった。
レイキを使うと、手のひらがあたたかくなる。自己ヒーリングだといって、自分にレイキを流そうとすれば、手を当てられた部位もあたたかくなる。
また「気」を自分の両手の間にイメージすると、丸いボールのような感覚や熱を感じたりする。
しかし、それだけだ。
手を当てたところがあたたかくなる現象に関しては、誰に手を当てられてもあたたかくなる。普通に手のひらの熱なのだ。
また、両手の間にボールのような感触を感じるのは、子どもの頃からである。別にアチューメントを受けたことに関係がない。ボールのようなものをつぶそうと思えばすぐにつぶせる。理由はわからないが、おそらく気のせいだ。(誰でも感じるはずなのでやってみて欲しい)
病気が治るわけでもないし、けがが治るわけでもない。
本当に体調が悪いときに使ってみても、特に変化はない。
家族に手を当ててもらったほうが、よほど気分が楽になる。
結局「手を当てる効果以上の効果はない」ということを実感して、信じることをやめた。ただし、そこまでに15年ほどかかったのは、まったくもってお馬鹿としか言いようがない。
今、思うこと
正直に言うと、私のような人間を相手にするには、このレイキという商品は実にいい。
現状を抜け出したい。けれど能力や、努力する力はない。そんな人が引き寄せられるのだろう。
私は、ネギを背負ったカモ、のモデルケースだったはずだ。
素直
夢見がち
客観視が下手
人付き合いが苦手
心身に健康上の問題がある
安易なお金儲けに興味がある
こんな特徴がある人間は、すぐに引っかかる。
素直に課金し、お金と時間と普通の人からの信頼をなくす。レイキに限らないので、すべてのスピリチュアルに注意が必要だ。
なお、これらの特徴を併せ持つ可能性がとても高いのが「発達障害で知能が普通かそれ以下の人」であろう。発達障害の中でもASDは、言われたことを素直に信じる率が高く、危険だと思う。(私はASDである)
昔、親が私をからかって嘘を教えたことがあった。
ネオンを見ながら「色とりどりの電気は、電力会社から買うんだよ。『赤色の電気』とか『青色の電気』っていうのを、お店向けに売ってるんだ」と言われたのだ。
当時、私は中学生だったが、それを信用した。
一般知識がなかったわけではない。自分の知識と、言われたことの、整合性を自動的にとってしまったのだ。
「ネオンを光らせるのに、最適な電圧や周波数があるのかな。青色に最適な電圧と周波数の電気を買うことで、きれいに光らせることができるかな」
という納得の仕方。
ちなみに私は理系であり、理系教科のテストの点数は平均以上だった。それなのに、こんな風に信じてしまった。
言われたことに嘘があるとは思いもしないため、なんとか納得のできる理論を編み出したのだ。ASDの私にとっては「人の言うことに嘘が混じっている」と思う方が難しい。悪い意味で素直なのだ。
ちなみに親は、慌てて「信じないでよ!」と否定してくれたので、その思い込みは一瞬でなくなった。あそこで否定されなかったら、何年も信じていたことは間違いない。
そんなわけで、素直であるということは、美徳ではないということをもっと早くに学ぶべきだったと思う。
人の言う言葉には、嘘が混じっている。
信頼関係を築く上で嘘はいけないが、まだ信頼関係を築いていない相手の言葉は素直に信じてはいけない。
そんな当たり前のことを、20代の私はまったく知らなかったのである。
この連載「スピリチュアルに廃課金した20年」は、私が課金したことのあるスピリチュアルについて、体験談を語るものです。
あくまでも私の個人的な体験です。同じスピリチュアルでも、もっと酷い体験をした人もいるだろうし、もっと良い体験をした人もいるでしょう。ひとつの参考にしてもらえたらと思って書いています。良かったら他の記事も読んでみて下さいね。
同じものに引っかかる人が、ひとりでも減りますように。