人生をかけた手紙 第2幕ー使命にさえ縛られない人生を生きる
この記事はわたしの人生第二幕『使命にさえ縛られない人生を生きる』を綴ったものです。
第一幕はこちら
『精神科もスピリチュアルも救ってくれなかったわたしを生還させてくれた愛と命の物語』
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それでは、第2幕の始まり始まり〜
飛ぶ鳥を落とす勢いで突き抜けた起業ダッシュ
起業してから収入は右肩上がりで、5年目で年商は1千万円を超えました。今ではエイ!っとエネルギーを込めれば、1千万円をひと月で稼げるようにもなりました。
夢だった商業出版も叶え、法人もサラッと2つ設立。プライベートでは神旦那さまと再婚。あっという間に2人の子供の出産をしました。
個人セッションも講座も、打ち出すものはほとんど瞬殺で満席。予約の取れない人気店のように、経営はうまくいっているように見えていました。
小さな子供3人を抱えながらもどんどん夢を叶えていくわたしを見て、「奈美恵ちゃん本当にすごいね」「あっという間に遠くに行ってしまったね」と言う人も出てきました。
でも・・周りからどう見られていようと、わたしの心は常に渇いていました。飲んでも飲んでも満たされない、喉の、心の、渇き。
そう、今思い返すと、わたしは全然幸せではなかったのです。外から見ると仕事もうまくいってお金もあって家族もあって愛されて、持っていないものは何もないように見えていたと思います。
でもね、わたしの胸の中はこんな気持ちでいっぱいでした。
もっとお金を稼ぐことができたら、楽になれるかもしれない。もっとフォロワー数が伸びたら、もっと視聴者が増えたら、もっとわたしの影響力が大きくなったら・・。
もっともっと誰よりも突き抜けることができたら、きっと・・きっと・・わたしはこのループから解放されるはず!!早く楽になりたい。早くこのステージから抜けたい。もっと幸せになりたい!
こんなことばかり考えていました。
再婚して年子を妊娠、出産した後も、産み落としたその日から、病室でパソコンを開き、狂ったように仕事をしました。
様子を見に来た看護師さんが驚いて、「無理しないでね。こんな時くらい」と声をかけてくれましたが、「急ぎの仕事があるんです」と言って、遅くまで作業をしました。目の前には小さな小さな、可愛い命があるのにね。ゆっくりと愛おしむ余裕さえ、失っていたんです。
小さな命と家に帰ってからも、どうやって過ごしていたのか記憶がありません。子供達の小さな頃の写真を見返すと、まるで初めて見た写真のように、思い出がないんです。
「こんな時、あったんだ、、、?」
直視するのが怖くて、逃げるように携帯を置きました。
今でも覚えているのは、おっぱいが出なくなってしまった時のこと。そのせいかどうかはわかりませんが、次女は指吸いが癖になり、その姿を見たとき、自責の念でいっぱいになり、一人、静かに泣きました。
そのあと年子の長男を出産しましたが、その時も1ヶ月で母乳が出なくなりました。わたしは、1年では変わることができなかったんです。
母親失格だな・・。
そんな風に思うんだけど、仕事を辞めることはできませんでした。子供を産んだら、なぜ女性ばかりが、わたしばかりが自由を奪われなければならないの?妊娠時と同じように、彼と自分を比較しては苦しみ、悲しみや怒りを仕事にぶつける毎日でした。
子供の世話をする時も、意識はいつも仕事に向いていました。抱っこしながら片手に携帯を握りしめる日々。
思い返してみると、あの時はちゃんと自分の本音をキャッチしてあげることができなくて、心が悲鳴をあげていたんだと思います。
本当は、もっともっと大好きな子供達の顔を見つめて、ゆっくりと手を握って、ゆっくりと話しかけて、ゆっくりと一緒にお昼寝をしたかったんだと思う。
でも、あの時のわたしにとって仕事だけが救いだったんです。仕事をすることでわたしは自分を保つことができていたし、誰かの役に立てている気がしていたし、結果を出すことが自信にもなりました。
こんなことを書くと、当時のクライアントさまたちが悲しむかもしれませんが、その必要はありません。本当に本当に、みなさんに支えてもらいました。
仕事がなければ、わたしは小さな子達を残して、消えていたかもしれません。大げさじゃなく、命を絶っていたかもしれません。それくらい、本当に本当に、仕事やみんなが救ってくれたんです。
走り続けることをやめられなかった理由
ここで、なぜわたしがこんなにもボロボロになるまで仕事をやめられなかったのかということをお話ししたいと思います。
シングルマザーを経て再婚してからすぐ、第2子を妊娠しました。しかし、周りのおめでたモードとは裏腹に、わたしはどんどん苦しくなっていきました。
せっかく仕事が波に乗ってきたのに、ここで仕事のスピードが落ちたらどうしよう。お客さんが来てくれなくなったらどうしよう。誰も、わたしを見てくれなくなったらどうしよう。
つわりやホルモンバランスの崩れもあったのだと思いますが、不安やイライラ、悲しみが襲ってくる中で、これまでと変わらず毎日仕事へ出かけている旦那さんが憎らしくて憎らしくてたまりませんでした。
なんで、毎日仕事へ行けるの?なんで、わたしばかり苦しまなければならないの?なんで、わたしの方だけが、仕事や自分の時間を犠牲にしなくてはいけないの??
自分の中の恨みにも似た感情を飼いならすこともできず、彼にぶつけて泣き叫んでは、そんな自分を責めて責めて、幸せになれない自分が大嫌いになりました。
今から思い返しても、本当に一生懸命、彼は寄り添ってくれました。当時もそれは感じていたのだけど、彼に理解を示す余裕なんて、わたしにはなかったんです。
そんな時は、彼に向けた怒りや葛藤を全て仕事に注ぎ込みました。彼を恨んでしまうよりも、命を削ってでも仕事にエネルギーを投下した方が、心が楽だったんですよね。
一心不乱に仕事をして結果を出すと、フッと救われたような気持ちになりました。でも気持ちが楽になるのはその一瞬だけ。またすぐ長いトンネルの中に潜ってしまう。そんな毎日の繰り返しでした。
「負けたくない」
勝手に彼と戦って勝つことに全力を投下することで、わたしはなんとかわたしをキープしていました。そして自分が活躍することで、彼に自分が感じていたような屈辱を味合わせたいと思っていたのかもしれません。
この話を聞いて、あなたはどう思いましたか?幻滅しましたか?
わたしもね、自分に幻滅していたんです。なんて嫌な人間なんだ。なんて、見苦しいんだ。ってね。
稼いでも稼いでも、お金がなくなる恐怖が抜けない
この話をすると、「信じられない!!」と思われるかもしれませんが、稼いでも稼いでも、お金がなくなる恐怖が抜けませんでした。
みんなどこかで、今より稼ぐことができたら、お金への恐怖心がなくなるって思っていませんか?
残念ながら、いくら稼いでも、本当に大切なことを理解していなければ、一生安心も幸せもやってきません。それが何か?ということは後で書きますね。
また、入るお金が増えれば、出て行くお金ももちろん増えます。巻き込むスタッフやチームの規模も大きくなりますし、法人にしたことで責任も大きくなりました。
年々収入が増えたとしても、入ってくるお金の量と、お金への安心感って関係がないんだということに気づいてしまったのも最近です。
正確にいうと、個人事業なら年商800万円くらいのレベルまでは、どんどん豊かさを実感できるかもしれません。わたし自身もそれくらいまでは、お金が増えれば幸福度が高まり、生活もステージが上がって行くのを体感できていました。
でも年商1000万円を超えてくると、幸福度ってさほど感じなくなります。それでも、もっともっと稼いで突き抜けることができたら楽になれるんじゃないだろうか、もっと幸せを感じられるようになるのではないかってね、幻想を抱くわけですよ。
頭では数字が増えたところで何も変わらないこと、マインドや在り方が変化しないと人生が変わらないこともわかっているんですが、なんていうんだろ・・
どこかでまだそれを疑っているんですよね。いやいやもっと突き抜けてドカーンといったら、このラットレースのような現状から解放されるに違いない!!って。
お金があっても時間がなければ不幸??
走っても走ってもゴールにたどり着けないしんどさを解消したくて、あれこれと手段を考えるようになったのは、ここ1年くらいのことです。ステージを上げるべきタイミングを感じていました。そこでわたしはこんな考え方に出会います。
「お金以上に大切なものは"時間"である」
なるほど!!そうか、そうだったんだ!わたしが満たされなかったのは「時間」がなかったからなんだ!
確かに子供と一緒にいても心から楽しめていなかったし、いつも仕事のことが頭に張り付いていた。常に作業に追われ、子供達が寝たらあれをしてこれをして・・そんなことばっかり考えて生きていた・・。やっと謎が解けたー!!!!
わたしが倒れてもお金が入る仕組み、わたしが死んでもお金が回る仕組み、わたしが子供と遊んでいてもお金が動く方法・・それこそがわたしを救ってくれる道なんだ・・!!!!!
苦しみのトンネルに一筋の光が射したような気がして、今度は一生懸命ビジネスの仕組みづくりを学んだり、新しい塾に入ってみたり、「時間を生み出す方法」を創り出すために、結局今までと同じように忙しく動き回って過ごしました。
もっとママと一緒にいたいと泣いていた長女には、「今、ママはみんなと過ごせるようになるための仕組みづくりを学んでいるんだよ。だからもうちょっと待っていてね」なんて真剣に話をしていました。
でもね、冷静に冷静に今から考えてみると・・その仕組みづくりを教えてくれていた人が超多忙だったんですよ笑。その方の周りにいる人たちも同様です。誰よりも何倍も必死に働きながら、結局自分が一番大変なポジションから離れられないようでした。
その姿は献身的でとても美しいのだけれど、とてもじゃないけど自分の時間を大切に過ごしているようには見えませんでしたし、もちろん幸せそうにも見えませんでした。
"時間"を生み出すために、また必死になっている自分自身に気づいたのは、ここ最近のことです。結局、わたしは走っても走っても前に進めないカゴの中のハムスターだったのです。
闇の根源に出会った日
なかなか回復しない自己評価とは裏腹に、わたしは驚くようなカリスマの方たちと出会ったり、見つけてもらえるようになりました。
日本のトップリーダーを育成しているコンサルタントの方、世界に羽ばたくアーティストの方、何十万人という大きなコミュニティーを持っている経営者の方・・
いつか「すごい」人たちと一緒に仕事がしたい!「すごい」人たちと肩を並べてみたい!!そう思っていたわたしは、嬉しくて嬉しくて、一生懸命期待に応えようと、駆けずり回りました。
そんなすごい方達に褒めて欲しくて、「この子でよかった!」と思って欲しくて自分の仕事以上に、できることを最速最短で全力でやりました。
でもその結果待っていたのは、「期待していたものと違った」という現実でした。
わたしが想像していたような、「生きている世界が一瞬で光の世界にひっくり返る」なんていうことは起きなかったんです。
一流の人たちに触れることで、学びになったことも確かにたくさんあります。でもわたしは気づいてしまったんです。自分が一体、何を求めていたのか・・。何を、期待していたのか・・。
・・・
わたしは、自分の世界を一気に変える方法を求めていたんです。
ここに生きているのは仮の姿の自分で、本当のわたしはもっと素晴らしい美しい完璧な存在であり、ある日を境に本当の自分の世界へワープできるような、そんな魔法の扉が現れることを待っていたんです。
その魔法の扉とは・・「わたしという存在が世界から認められる」という承認欲求でした。
こんな当たり前すぎることに長い間気づけなかったわたし。承認欲求という言葉も、それがどんな感情かも頭ではわかりきっていたのに、自分の苦しみもまたそこから来ているなんて、認めたくありませんでした。
きっかけは、少し前に出会ったとある男性経営者の方の一言。
「奈美恵さんが、この世界の中で一番自分のポテンシャルを疑っているんじゃないですか?」
・・・
「すごい」人たちから認められれば、「すごいわたし」になれる気がしていた。「すごい」人たちに見つけてもらえれば、もっと人気者になって、もっと影響力がついて、今よりもっと楽にお金が入るようになるのではと思っていた。
そうすればわたしはやっと解放される。やっと世界に認められる。やっと、本当のわたしに出会える!!
そうでなければ、わたしが生きている意味はない。ずっとそう思って生きてきました。
世界の役に立つわたしでなければ、思いやりのあるわたしでなければ、この世界にいる意味なんてない。
世界に自分の存在を認められるために、わたしは必死で走ってきました。でもそれは、「わたしは世界に認められていない」という前提があったから。だから「証明」して見せる必要があったんです。
わたしはビジネスがうまくいっているから、多くの人から必要とされているから、この存在価値を証明できるはずだ。
わたしはすごい人から認められているから、世界に必要とされている人間だということを証明できるはずだ。
・・・でも、どんなにビジネスがうまくいっても、前年の結果を上回っても、どんなにすごい人に褒められても、わたしの渇きは満たされることはありませんでした。
わたしがわたしを世界で一番、受け入れていない
お金があったら満たされる
時間があったら満たされる
仕事ができたら満たされる
家族が増えたら満たされる
もっと理想の顔になったら・・もっと魅力的な身体になったら・・もっと自由になれたら・・
人は今の自分にはないものを探し出し、それを不幸の原因だと思い込みます。これさえあれば、わたしは幸せになれるはず、満たされるはずだと思い込みます。
でも、それは間違いです。
今より〇〇になったら幸せになる、なんてことはありません。確かに、欲しいものが手に入って一時的に満たされた風になることはあります。でもそれは、お腹が減った時に食事をして、一時的に満腹になることと似ています。
彼から愛されて、一時的に愛が満たされたような気がしたり、欲しい服が手に入って一時的に幸せを感じたり、ボーナスが入って一時的に喜びを感じたりしても、それらって結局「消費」されていく感情です。
100点を取って帰ってお母さんに褒めてもらっても、また次のテストがあるんです。100点を取り続けないといけないというプレッシャーは、一生なくなることはありません。
わたしもきっと、100点を取り続けること、いや、点数を上げ続けることに必死になっていたのでしょう。このまま走っていたら、1億点とっても100億点とっても、わたしに幸せは一生来ないんです。
内側から与えられるものは枯渇することがない
外側から与えて欲しいと思っているものは、一旦手に入ったとしてもどんどん消費されます。お金も愛情も承認も賞賛も安心もです。家族も恋人もおんなじ。服も鞄も地位も名誉も、です。
外側からの何かを求めている限り、求めている幸せは一生来ません。大切なのは、内側から与えるべき大切なエネルギーです。
すなわち、自分から自分への愛情であり、承認であり、賞賛であり、安心です。あなたは世界で一番、あなたを愛していますか?幸せにしていますか?認めていますか?
以前、尊敬している女性コンサルタントの方にこんなことを言われたことがあります。
「自分を持っている女性は、たとえ1万円の靴を履いていても、10万円に見せることができるものです」
自分を持っている、自分軸で生きている、自分を大切にしている・・言葉では簡単に言えますし、その他大勢にはそう見せることも可能かもしれません。
でも、本当に自分を生きている人の前では、見せかけの軸なんて見破られてしまいます。なぜなら、自分が一番、それを感じてしまうからです。
見せかけの自分で生きていると、本当に自分を生きている人と向き合うことができません。それほどまでに、自分を知り、自分に目を向け、自分を認めている人は美しいんです。
見せかけの美しさではありません。その人がどこにいても、誰といても、何をしていても、その人であるということ。それが、自分を生きるということ。
もっと、わたしへ──
これまでのわたしは、「十分自分勝手に、自由に生きてきた」と言いながら、全然自由に生きてこなかったのでしょう。
自分の自由を認めず、自分の価値を認めず、自分の力を認めることなく、外側のもの、例えば売り上げや読者数、いいねの数、お客様の声、誰かからの賞賛や承認で、自分の価値を測ろうとしてきました。そんなことにさえ、気づきませんでした。認めませんでした。全くもって「重症」です。
でも、そんな自分に気づけたのも、必死になって外側のものを求めてきたからだと思います。だから、自分の欲はとっとと満たしてあげるべく、頑張っていいと思います。手に入れたくて必死になってもいいと思います。でも、人生のどこかで、本当に本当に大切なことに気づかねばなりません。その「大切なもの」は、あなただけの大切なものですから、わたしの気づきとは違うものかもしれません。
でも、今のあなたが自分に満足していないのであれば、きっと、本当の宝物がまだまだ、この人生に眠っています。宝探しを諦めないでください。きっと、これまで見たことがないくらい、美しい景色を見ることができます。美しい自分に会うことができます。人生って、素晴らしいものだから。
これからのわたしは、「使命」にさえ、縛られないわたしへー。
「これをするために生まれてきたんだ!」ということにさえ縛られるのではなく、ただわたしを生きていきたい。
お役目や使命、生きる目的を超えた、その向こう側へ。もっと、"わたし"へ近づいていく。
藤原奈美恵のロングプロフィール第3幕は近日公開予定!
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