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人生をかけた手紙(藤原奈美恵のロングプロフィール)

note読者の皆様、こんにちは!藤原奈美恵(ふじはらなみえ)です。

わたしは大阪にて3児の母をしながら、2つの法人を運営しています。全ての仕事はパソコン1つで完了する完全オンライン化しており、日本中世界中、わたしがいる場所が仕事場になる生活ができています。

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2015年にスピリチュアルカウンセラーとして独立し、これまで1万件のマインドコンサルセッションを行ってきました。

現在はマインド系の講座やセミナー、独立を目指す個人に起業を教えたりと、SNS発信を中心に活動しています。

元々はど貧乏のシングルマザーで、月商は4万円あるかないか・・。日々の食事や着るものも自由に買うことができず、小さな娘を抱えながらがむしゃらに走ってきました。

努力が報われたのか、単に運が良かったのか・・。全国、海外からもクライアント様が訪れてくださり、セッション予約が取れないほどの結果を出すことができました。

でも、最初から全てがうまくいったわけではありません。20代の頃は藤原の人生で一番の暗黒期・・。精神科にも入れず、ヒプノセラピーもNG、多重人格で苦しむ日々。

ここにはとてもじゃないけど書けないあんなこともこんなこともw全部を越えて、今があります。

自己肯定感もボロボロ、他人といい関係も築けるはずがなく、仕事も恋愛もお金も何もついてこなかった日々。そんな地獄から生還できたきっかけは、◯◯でした。

さて、ここから長い話になりますが、藤原奈美恵に関心を持ってくださった方は是非読み進めてみてください。あなたの人生の大切なヒントが見つかるかもしれません。

・・・

この地球(ほし)は、なんて生きづらいんだろう

わたしがまだ3歳だった、
ある冬の晴れた日のことでした。

コタツ布団を庭に干そうとした母親を
ゴロンと寝転んだまま見上げて、
わたしはこう言いました。

「おかあさーん、わたし、かえりたい・・」

「家におるのに、かえたいってどこに帰るの?」

よいしょっと布団を抱えた母親が
庭へ行ってしまった後、

「わからん。でも、帰りたいんやもん・・。」
と呟いたところでその日の記憶は
終わっています。

家にいるのに帰りたいって、
どういうこと?って思いますよね。

わたしも当時、
そんな自分を変だなって思っていたんです。

でも、
「かえりたい」という心の叫びは
長い間わたしの胸に居座り続ける
ことになります。

わたしは3人兄弟の末っ子。
上の兄姉と一回り年が離れていたので、
両親から(特に父親から)甘やかされて
育ちました。

小さい頃から勉強も運動も、
何をやってもある程度のレベルまでは
楽にできてしまう子で、

学級委員やキャプテン、部長など、
目立つポジションに立つことも多く、
先生からも好かれる子供でした。

しかし、友人や大人たちから

「奈美恵ちゃんはいいよね、可愛がられて。」とか、

奈美恵ちゃんはすごいよね」と言われる度に
わたしの胸はざわざわと曇ったのです。

「一体どこがいいんだろう。
ここでは誰もわたしのことを
わかってくれないし、
何も楽しいことがない。

この地球(ほし)は、
とても生きづらい場所だ。」

わたしにとってこの地球で生きることは
苦痛の連続で、誰がどんなふうに
褒めてくれても、慰めにはなりませんでした。


魔法が使えないなんて、ありえない

最初の挫折もよく覚えています。

小学校に入る前くらいだったと思いますが、
家の庭で、空に向かって必死に
ジャンプを繰り返していました。

「わたしは飛べる」と信じていたのです。

魔法は使えるのが当たり前で、
空を飛ぶことも
手を触れずに物を動かすことも
朝飯前だったはず・・・。

そんな風に感じているのに、
何度ジャンプしても重たい体がドシン!と
落ちてしまうだけで、

当たり前ですが、全く飛ぶことは
できませんでした。

雨の日は、
「それでも飛べるかもしれない!」
という思いが強まりました。

傘があるからです!笑

坂道から勢いをつけて
傘を高く持って走り出し、

一気にジャンプするっ・・!

・・・でも、やっぱり飛べませんでした。

一瞬ふわっと浮いた気がしても、
やっぱりいつもと同じ
低い低い景色でした。

その頃から

「わたしにはできないことが
いっぱいあるのだ」

「わたしは自由ではないのだ」

ということをひしひしと
自覚し始めたように思います。

「飛べないわたし」に心底がっかりして、
魔法の力を奪われた魔女のキキのように
自分を見失っていきました。

それに加えて、
ここの大人たちは言っていることと
腹で思っていることが全く違うし、

子供達はというと
自己主張と保身で必死です。

はびこる人のエゴや
闇の部分にうんざりしながらも、

「いい子」でいることが
スタンダードになっていたわたしは、
毎日とても疲れていました。

学校から帰ってきて友達と遊んでいても
休みの日に両親がテーマパークに
連れて行ってくれても、
私はすぐ家に帰りたくなってしまいます。

両親はわたしをいろんな場所へ
連れ出してくれましたが、

目的地に着いた途端に
「帰りたい・・」と泣く私に根負けして、
ただの”往復旅行”になることも
しばしばでした。

そして結局いつも居間の”特等席”に
落ち着いて、黙々と計算ドリルをやったり、
息抜きにテレビを眺めたりして、
誰にも何にも気を使わなくて良い時間を
求めていました。

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女の子のヒーロー、奈美恵

人といると疲れてしまう、
家から出ると疲れてしまう。

そんなわたしが、脇目も振らず
まっすぐにエネルギーを
かけられることが一つだけありました。

それは、女の子を助けること!!

クラスで泣いている子、
一人ぼっちで下を向いている子、
いじめられている子を見つけては
お節介にも声をかけ、
みんなの輪の中に引っ張っていきました。

悩んでいる子がいれば、
周りに泣いていることを気づかれないように
「帰りの会」からこっそり連れ出して、
学校の中庭で友達が泣き止むまで
そばにいて、話を聞いていました。

わたしにとっては
「やるべきこと」や「ルール」よりも
ずっとずっと大切だったのが、
友達のこころを救うことだったんです。

そんな時テレビで見た
「風の谷のナウシカ」は、
私の理想の姿そのものでした。

一瞬で心奪われ、感動し、憧れました。

今でも、ジブリで一番好きな作品は
ナウシカです。

”人のために命をかけ、救い出す潔さ”。

その時からわたしの世界の中で
一番美しいものは

「自分を犠牲にしてでも人を救うこと」

になっていきました。

のちに、これが間違いであったと
気づくんですが、

エネルギーのかけどころが
わからなかった当時のわたしにとって

誰かの犠牲になって死ぬことは
大きな目標であり、
唯一の救いだったのです。


人間関係は、腹6分目!?

人を救いたい!という気持ちは、 
わたしのお節介を掻き立て、
人の人生にどんどん踏み込んでいきました。

人間という生き物の生き方・在り方に
うんざりしながらも、
わたしは人を求めていたんです。

高校受験が近づいてくると、

「たとえ受験日だったとしても、
友達に何かあればわたしは
友達の元へ行くから!」と

母親に念押ししたほど、
友を救うという正義感で身体中が
いっぱいでした。

いつも人の様子を伺い、
今日は元気だろうか、
何か悲しいことはなかっただろうか、
ひとりぼっちの子はいないだろうかと、
常にアンテナを張り巡らせていたので、
一歩家の外に出れば緊張状態。

しかし!

そんな、"人間関係は全力100%!"
を疑わなかった時に

衝撃的な言葉を、美輪明宏さんの本で
読んでしまいます。

「人間関係は腹6分目にしなさい」

え???

何度も読み直しました。

「なにそれ。それって、
人に失礼じゃない!?適当すぎない!?」

情熱の塊のわたしには、
すぐには飲み込めない言葉でしたし、

表面的には批判していたのですが、
その言葉はずーっと
わたしの胸の奥でくすぶり続けたのです。


エゴが、許せない

いつも全力100%で、
自分を押し殺してでも
人を救うことが美学になったわたしは、

前にも増して、自分を削って
人に捧げるようになりました。

しかし、大学生になり、
社会人へと突入すると
だんだんわたしの世界は崩れ始めるのです。

この人のお役に立ちたい!
と思って相手を見れば見るほど、

その人のダメな部分や、エゴ、闇が
目についてしまい、

助言のつもりで伝えた言葉が、
相手をひどく傷つけてしまって、
関係が悪くなってしまったりすることも
しばしば。

人を救いたかったはずなのに。
人を笑顔にしたいはずなのに。

今のわたしは逆に人を傷つけて、
攻撃し、否定しまくっている・・。

なんでわたしは、人に優しくできないの!?

人であれば当たり前にあるはずの
「エゴ」や「闇」を否定しまくった結果、
呼吸がどんどん浅く、早くなって
いきました。

人混みに入ると決まって気持ち悪くなり、
うつむくといつも鼻血が出そうで、
血の匂いがするようにまで・・。

そんな状態でも、強気でパワフル、
派手に見られてしまうため、
自己評価と他者評価のギャップに
苦しめられました。

外で笑って、家でずっと泣いている。
そんな毎日だったのです。

今でこそ、何が間違っていたのか、
何故あんなに苦しかったのかが
よくわかります。

でも、当時のわたしには
何が何だかさっぱりわからず、
ただただ地獄のような毎日を送っていました。


願いは1つ。ロボットになりたい。

どんなに苦しくても、
時折美しい景色に出会ったり、
美しい音楽を耳にした時、
わたしの狭くなった胸は大きく広がり、
世界を包みました。

その瞬間だけは、すべてが愛しく、
すべてと繋がっている自分を
感じることができました。

愛というエネルギーが
自分から広がっていく時、
わたしはいつでも空を飛べました。

どんな鎖もそこにはなく、
自由でエゴのない世界でした。

しかし、それはほんの一瞬で、
またすぐに息苦しい自分に
戻ってしまうんです。

人混みに遭遇すると
決まって過呼吸になり、
多重人格まで発症。

自分の中にいる、物を言えない
5歳の女の子。30歳の物静かな女性。
暴力的だけど騎士のような男性など。
 
主人格の奈美恵が窮地に立たされると
入れ替わり立ち替わり人格が
サポートをしてくれていました。

そんな暗黒期真っ盛りの頃の
わたしの願いは、

「愛だけがインプットされた
ロボットになりたい」ということでした。

自分の中からエゴや闇の部分を
手術のように全て切り取って捨て去って、

愛だけがインプットされた
ロボットになってしまえたら
どんなに楽だろうか・・。

人間ってなんでこんなに醜く、
汚い生き物なんだろう。

どうしたら愛だけの存在になれるんだろう。

毎日毎日考え、ノートに思考を
書き綴りましたが、

それでも、納得できる答えは
出てきませんでした。

そんな時、とある小冊子に出会います。

中野裕弓さんが書かれている
「愛のコーヒーカップ」というものです。

愛情はまず自分に注ぎ、注ぎ切り、
そこから溢れ出た分が隣の人に伝わっていく、
という愛の理論を

コーヒーカップを例にして
わかりやすく伝えてくれているもの。

その冊子を読んだ時、ズドーンと
衝撃を受けました。

自己犠牲愛が一番美しいと思い込み、
必死で体現してきたそれまでのわたしが、
間違っていたのかもしれない・・?

そこにキラリと光る可能性を
感じながらも、まだまだこびりついた
自分の正義を書き換えることもできず、
うまく消化できないまま、わたしの
苦しみはまだ続きます。

なぜ、わたしは愛の人になれないんだろう・・??


もう、光さえ見えない

社会人になったわたしは、
将来の自分像が全く描くことができず、
とりあえず派遣社員として働くことに。

しかし、毎日決まった時間に
会社へ行くことも苦手で、
おまけに超自由人です。

会社のデスクで味噌汁を
平気で食べたり、

仕事の合間に携帯を見ていたり、

私的な検索結果ページを
100枚印刷してしまったり(爆笑)

会社組織にうまく溶け込めませんでした。

お金もない、仕事もうまくできない、
将来どうしたらいいかわからない。

自分も人も許せない
完璧主義者の未熟者ですから
恋愛も人間関係も全く
うまくいきません。

そんな当時、毎日何度も
なんどもやっていた
自問自答があります。

それは真っ白なノートの
1ページの最初に
「どうなりたい?」と書くワーク。

その次に来るのは決まって、
「人に優しくなりたい」でした。

そう!
わたしは、人に優しくなりたい。

思いやりのある人になりたい。

大きな器のある人になりたい。

・・自分を好きになりたい!!!

なぜ、わたしは優しくなれないのか??

いつも無理やりこじつけた答えは、
「健康じゃないから」でした。

心と体はつながっているはずだから、
体を整えたらきっと、
心もまた元気になるはず。

そうしたら

わたしが本当にやりたかった
誰かを救うことだったり、

誰かに優しくできるように
なるんじゃないだろうか。

そう考えて、
毎月1万円もする
高額なサプリメントに手を
出してしまうのですが、

口に入れるとなぜか、
吐き出してしまうしまう。。

健康になるためにと思って
買ったサプリさえ飲めない自分に
絶望しました。

サプリもダメなら、病院に行こう!
ドキドキしながら、精神科の
ドアを開けたのです!

しかしそこでも、
「あなたはまだ、自分を保っています」
と門前払い。

うつ病にさえ、わたしはなれないのだ!

苦しい苦しいと思っていても、
わたしはまだ健常であると
見られてしまう。

苦しみが足りない!
と言われたように感じ、
ここでも道を失いました。

そんなボロボロの
わたしを見かねて、

当時お世話になっていた
お姉さんの旦那様が、

ヒプノセラピーという
過去生回帰セッションを
紹介してくれました。

医療がダメなら、
スピリチュアルしかない。

藁にもすがる思いで
全財産の3万円を握りしめ、

セッションを受けたのですが
セラピストの方と相性もあわず、

何も手にすることができないまま、
トボトボと下を向いて
帰路につきました。

もう、一文無し。
一体これからどうしたら
いいんだろう。。。

涙が、ポロポロこぼれました。

微かな光が途絶え、
真っ暗闇の中へ落ちていきました。

ダレカタスケテ!

わたしは、祈るしか
ありませんでした。

もう、わたしには何もない。
何もできない。

泣きながら祈ることしか、
できませんでした。

そしてついに、
運命の輪が大きく動き出す時が
やってきます。

わたしに、赤ちゃんが
やってきたんです!

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地獄からの生還

わたしに、赤ちゃんがやってきた!
長女の命は、わたしを完全に、
地獄から救い出してくれました。

でも、妊娠が判明した時は
喜びなんかより、不安と戸惑いで
いっぱいでした。

ここにはとても
書けませんので省略しますが、
まさに修行の日々でした。

でも、予定日が近付いて
実家に戻ると、次第に気持ちが
安定していきました。

そして迎えた出産当日。

不思議でした。

自己嫌悪と自己憐憫で
埋もれていたわたしが

長い長ーい陣痛の間ずっと、
一度も弱音を吐かずに
じっと耐える事ができたのです。

怖いし、ものすごく痛いけど、
自分の内側からものすごいパワーが
出てきている・・!

「お母さんが呼吸を止めると、
赤ちゃんに酸素がいないの。

どんなに痛くても
呼吸を止めてはいけないよ」

という助産師さんの言葉が
ずっと頭に突き刺さっていて、

「わたしの役目は、呼吸をすることなんだ!」と、

まるで初めて役割を与えられた
子供のように責任感で
あふれていました。

無力感でいっぱいだった
わたしにとって、

今わたしがやるべき事を
与えられた事が、とても嬉しかった。

わたしには、本当にそれだけしか
なかったから。

朦朧とする意識の中、

ただ、

赤ちゃんのことだけを考えていました。

地球上のすべての
エネルギーを吸い込んで、

赤ちゃんに送り続けているイメージを
繰り返し繰り返し行いました。

そしてついに
わたしは一度も泣いたり
取り乱したりすることなく、

静寂の中で長女をこの世界に
送り出したのです。

担当の助産師さんは
わたしの姿を見て、
涙ぐみながら言いました。

「素晴らしい出産でした。
ただの一度も、赤ちゃんの心拍が落ちずに、
元気に生まれてきました!
お手本のような出産でした。」

光り輝く命が誕生したのと同時に、
わたしは地獄から生還しました!

自分を必要としてくれる
小さな命の虜になり、

胸の奥からどんどんパワーが
満ち溢れてきます!

一寸の愛さえ、自分の中に
見つけられなくなってしまっていたのに、

とめどなく深い愛情が泉のように
湧き出てきます。

わたしの両手は、この子を抱くために
ついていたんだ!

小さな命を一生懸命、守ろう。

わたしにできることは、
なんでもしてあげたい!

実はこの時、
重要な契約をマリア様と
交わしていたとわかったのは、
それから2年後のことでした。


命の契約

長女を出産してから、
2年ほど経った頃。

わたしは一人の
スピリチュアルセラピストの方と
出会います。

その先生は一斉を風靡し、
忽然と姿を消してしまったので、

今はどこで何をしていらっしゃるのか
わかりません。

しかし、その先生との出会いは、
わたしの人生における
最大の転機でした。

「宇宙のことに詳しい、
すごく面白い人がいる」

知り合いの男性から、
その先生のことを聞いたわたしは、
すぐにセッションに申し込みました。

もちろん、当時はど貧乏です。

それでも、会いに行かなきゃ!
という気持ちを抑えることは
できませんでした。

初めてのスピリチュアルセッションでは

自分の魂のこと。前世のこと。
娘とのこと。

いろいろなお話を
聞くことができましたが、
衝撃だったのは、出産時に交わした
あの約束のことです。

どうやらわたしは、
人を導くという目的を持って
生まれてきたにも関わらず、
その使命を果たせていなかったため、

宇宙からすると「いなくてもいい存在」
になっていたそうです。

天使(長女のこと)を
この地球に生む代わりに

わたしは上に戻って(死ぬ)良しと
されてたらしいのですが、

わたしはその時にマリア様と
命の契約を交わしたそうです。

「わたしは必ず、使命を果たします。
だから、生きることを選びます。」と。

その話を聞いた時、
背筋がぞくっとしました。

ああ、そうだった!
なぜ忘れていたんだろう!

そんな思考が、スーッと
入ってきたのを覚えています。

わたしは、そのために命をもらったんだ。
早く、目的を果たさなければ・・!

幼い頃からずっと抱えていた

「かえりたい」は、

『本当の自分に還りたい、
思い出したい!』

という叫びだったのです!

その日から、わたしの人生は
ものすごいスピードで
展開していきます。

運命全体が、この時を
待っていたかのように。

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走り出した、運命

ここからは、まさに怒涛の日々でした。

うまくいっていなかった夫婦関係は、
父の死をきっかけに、
離婚に踏み切ることができました。

人はいつか死ぬのだ。という
事実を突きつけられたことで、

父に恥じない生き方をしようと
決心したのでした。

その頃から徐々に
仕事がうまくいき始め、

マンツーマンセッションを軸とした
マインドコンサルティングも開始。

シングルマザーは苦労の連続でしたが、
娘という何よりも大切な存在を
守らねばという一心で、

すべてのことを乗り越え、
生活はどんどん豊かに
なっていきました。

そんなある日、
一人の男性からセッションの
申し込みが入りました。

これが、今の旦那さんです。

運命に導かれ、全てが整い、
出会って1週間で婚約、
2ヶ月後の長女誕生日に入籍。

その後すぐに2人の子宝に恵まれ、
現在は3人の子供たちを
協力しながら育てています。

愛は、ずっとここにあった

長女を産んだあの日から今まで、
わたしは多くのことを学びました。

今、自分の人生を振り返ると、
全てが繋がっていたのだ。
ということがわかります。

わたしは優しい自分になりたくて、
愛ある自分になりたくて、

一生懸命人のためにと思って
尽くしてきました。

でも、やればやるほど、
人の至らない部分を見つけてしまい、

そこを正してあげなければ!

という間違った
正義感に取り憑かれ、

優しさをなくしてしまいました。

でも、本当に大切なことは、
人のエゴや闇を受け入れ、許し、
愛することだったのです!

正しさを振りかざすのではなく、
相手と自分の陰陽全てを
受け入れることが
愛そのものだったと気付いた時、

「自分を満たし溢れ出た愛が
人へと伝わっていく」という

愛のコーヒーカップ理論が、
やっとわたしの中に
溶けていきました。

自分を大切にするって、

不完全な自分も受け入れて
あげることなんだ!

人を救うって、
包み込んであげることなんだ!

エゴや闇を消し去るのではなく、
エゴや闇を抱えながら
生きることを許す。

だからこそ、愛が見えるんだ。

愛だけのロボットだったら、きっと、
自分の愛も人の愛も、
感じることはできないだろう。

喜びだけの人生だったら、
喜びを喜びとして認識することも
できないだろう。

全て、あっていいんだ。

失敗も悲しみも、どん底も、
人生にはあって、いい。

どんな自分でも、いいんだ。
醜い自分もかっこ悪い自分も、
無力な自分も、いい。

愛だけじゃない世界だからこそ、
愛の輝きがわかる。

愛の美しさに涙する。
愛で、強くなれるんだ!!!

今、わたしの中にいる、
多重人格で苦しんだわたしも、

死にたいのに死ぬこともできず
途方にくれたわたしも、

貧乏すぎて毎日が
苦痛だったわたしも、

人とうまく関係を築けずに
孤独を選んだわたしも、

すべての自分が愛しく、今の自分、
そして未来の自分と
繋がっていることがわかります。

あの時のわたしは、決して、
一人ではなかった。

このわたしとずっと、
繋がっていたんだから。

今のわたしが、
あの時のわたしを愛し、
応援し続けているんだから。

そして今この時も、
気を抜いたら負けそうに
なってしまうけれど、

未来のわたしがずっと応援し、
エールを送り続けているはずだ。

愛だけでは、アセンションはできない。

全てが、人生の重要な
ストーリーなんだ。

愛に気づけば、人生が変わる

誰もが、幸せになりたいと願います。

楽になりたいし、豊かになりたいし、
愛されたいのです。

悩みがあれば解決したいし、
欲しいものは手に入れたいし、
自分を発揮して人から認められたい。

しかし、欲しいものすべてを手にしても、
人は幸せにはなれません。

幸せは、こころにあるからです。

条件が揃えば幸せになれる
なんてことはありません。

大切なのは、「気づくこと」です。

気づきこそ、人生最大のギフトであり、
それが「悟りの境地」へ行く唯一の手段。

悟りとは、なぜ生きるのか?
どう生きるのか?への答えなのです。

わたしは「見えないものを
見える形にして伝える」

という手段を通じて、
愛を伝えていきたいと思っています。

人はそれをスピリチュアルと呼びますが、
呼び方はなんだっていいのです。

愛というと、なんだかこそばゆいし、
嘘っぽいと思う方も
いるかもしれません。

でも、
わたしが人生で一番求め、一番苦しみ、

そして一番救われたのが、
他ならぬ「愛」なのです。

愛は目に見えません。

目には見えないものをどう感じるのか、
どう信じるのか。
どう伝えるのか。

愛というのは、欲していると
途端に見えなくなって
しまいますが、必ずあなたの中に、

ちゃんとすでにあるものなのです。

陰陽すべてを受け入れ
許すことができた時、

あなたの内側から自分でも
信じられないようなパワーが
溢れてくるでしょう。

太陽のように大切な人を育み、
勇気付け、照らし続けることが
できるでしょう。

わたしは、あなたから
始まる愛の循環を、

ほんの少し、お手伝いさせて
いただくだけです。

でも、一人でも多く、
自分の愛を発揮することができたら、

この世界はどんなに
輝くだろうかと思うんです。

人生は良いことばかりではありませんが、
それでも、共に生きていきましょう!

「わたしで生まれてきて本当に良かった!」
と思いながら、


いつかこの地球を卒業する日まで__。


最後までお読みくださり、
本当にありがとうございます。

愛を込めて。藤原奈美恵

藤原奈美恵の人生第2幕はこちら
▽ ▽ ▽



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