恐怖の出どころと概念
こんばんは(^^)/はちです
今日は恐怖の出どころと概念についてお話ししたいと思います
そもそも恐怖とは一体何なのでしょうか?
恐怖とは、心身の恐怖、精神の恐怖、環境などの恐怖(災害など)があります
心身の恐怖とは、体を暴力などで傷つけられたり、痛めつけられたりする事から生じる恐怖です
精神の恐怖とは、誰かに悪口を言われたり、脅されたり、精神的に痛めつけられることから生じる恐怖です
環境などの恐怖とは、災害からくる恐怖、つまり地震や津波などの天災から我が身を守るために恐怖心などが起ります
恐怖のでどころは、そんな3つの場所から来ていますが、恐怖にかられるということもあります
トラウマやPTSDなど、ないものに対して感じる恐怖です
このトラウマやPTSDには、精神的恐怖、ストレスや体内の細胞が、その事柄に対して拒否しているために、それが起こります
閉所恐怖症や高所恐怖症などもそれに当てはまりますね
つまり、恐怖の出どころは身近にある得体の知れない何かわからないものが恐怖となり、それを感じ取る事で恐怖の概念が存在すると言っていいでしょう
では、恐怖に立ち向かうためには何をしたら良いか
怖いと思う事のままやめないことです
それはどういう意味かと言うと、恐怖となっていることの根源を知る事です
例えば、閉所恐怖症の人は、狭いところが怖いから狭いところにいたくないという病気です
高所恐怖症も高いところが怖いと言う病気です
人を痛めつけたり傷つけたりする人は、それが楽しくてやっているし、それを自分の意思で止めることは出来ません
それらの恐怖から逃れるには、事実をよく知って対処する他にないのです
対処する方法はいくつかあります
心身の恐怖、精神の恐怖を感じている人は、その傷つけてくる人にやめてほしいという事です
それが出来ないような環境にある場合、第三者に介入してもらい、止めてもらうことです
先生や、上司、ひどい時には警察など、ありとあらゆる人がいるわけですから、止められないなんて事はないのです
もし、その恐怖から逃れる事ができたら次は何をするべきでしょうか?
①一人にならない
②相手とはもう関わらない
③信頼できる人達と人間関係を構築する
です
昨今、DVなどで被害に遭っている人達もたくさんいますよね
そういう人達は決して自分一人で恐怖に立ち向かうのではなく、誰か周囲の信頼できる人に対処してもらう事が大切です
そもそも、恐怖という概念があると、自分が間違った方向に行かないよう、考えさせてくれる物だと思った方が、時にはいいのです
DV被害者に関わらず、いじめや悪い集団に関わってしまうこともなきにしもあらず
人はいつ自分がどうなるかさえわからない生き物なのです
恐怖の出どころと恐怖の概念は、払拭すれば待っている未来も違います
恐怖というのは、精神的恐怖の概念からすれば病気なのです
聖書でも、あらゆる悪から逃れなさいと教えていますし、シェイクスピアの本には悲劇的な要素を踏まえて劇中に彩りを与えました
恐怖というのもある意味悲劇的な要素が入った物語だと私は思います
私も人生で怖い思いをした時は、聖書で学んだことをよく当てはめていたし、今はいろんな本をよんで打開策を考えたりしています
人生って一度しかないし、楽しい事でいっぱいだったら幸福ですよね
でもみな、紆余曲折しながら前に進んでいるものです
絶対に正しいとか、絶対に幸せとかはないのです
私がこの記事で言いたかったのは、恐怖の概念にとらわれることなく、日々が平穏無事だったらいいなという事です
そして、恐怖の出どころを知る事で、それに立ち向かう勇気や、強い心を持つ大切さを知って欲しかったのです
私は、今家族や会社の仲間のおかげで、平穏無事な人生を歩んでいますが、いつどうなるかなんて先行きはありません
でも、ひとつ言えることは、恐怖に立ち向かう勇気があれば、いつだって平穏無事に生きる事ができるという事です
世の中は悪魔に支配されていて、殺人やいじめが起きるのも悪魔の仕業なんだと前にエホバの証人から聞きました
全くその通りだと思います
人間のやる事なんて神様からみれば塵に等しいのです
政治家や指導者にある人だって、弱い心が入ればいくらでも悪いことができちゃうんですから
いつも想っている聖句があるのでここに書き留めて置きます
コリント第一13章
愛は、辛抱強く、また親切です。愛は妬まず、自慢せず、思い上がらず、みだりな振る舞いをせず、自分の利を求めず、刺激されてもいらだちません。傷つけられてもそれを根に持たず、不義を歓ばないで真実な事と共に歓びます。
恐怖に打ち勝って日々を過ごしましょう(^^)
では、今日はこの辺で(^^)/