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どうして「生きづらい」人は「生きづらい」人と結びつくのか

かつて父親は幼い自分に暴力をふるったが、母はそんな事はしなかった、
母は優しかった。

そう言う人がいます。

しかし、そうでしょうか?

度々繰り返される父親の暴力から、母親は子供を守ろうと本気で思っていたでしょうか?

身を挺してその子を守ったでしょうか?
その子を連れて家を出たでしょうか?

機能不全家庭には、意識的、無意識的に嘘が有ります。

身を挺して守るフリをしたかも知れません。
家を出た体をつくったかも知れません。

しかし、それは身を挺しても守れない事を前提にしていないでしょうか。
しかし、それは家を出ても見つかって連れ戻されることを前提にしていないでしょうか。


私の両親は揃って過酷な幼少期を過ごし、心に無価値感を抱える人達でした。

父も母も幼い私を虐待しましたが、
父も母も自分は良い親だ、と思っていました。

どんなに卑劣なことをしても、
事実を捻じ曲げ、
仕方が無かったとか、
子のためを思って、
などといった都合のよい落し所を見つけます。

父は威厳ある父を演じ、
母は優しい母を演じ、
私は対外的にはその場、その時で最高の子供を演じ、
家庭内では、悪い事はなぜか全部、私のせいになり責め立てられる役割でした。

それは、
父の演じる威厳ある父、のほころびを隠す事を、
母の演じる優しい母、の辻褄を合わせる事を、

私の犠牲の上に成り立たせていたのだと思います。

今思うと、父も母も自分に都合のよいイメージを崩さないことだけを目標に生きていた様に思います。

現実には、疑いや偽り、秘密だらけの家庭を、
都合よく事実を捻じ曲げて、暖かな家庭だと無理矢理に信じ込む場所でした。

家族ぐるみの壮大な作り事です。

無価値感に苛まれる人は人生を通して嘘をついてでも、
自分が抱える無価値感と向き合いたく無いのです。

だから、威厳ある父を演じます。
だから、優しい母を演じます。

パターンは違いますが、冒頭の身を挺して子を守る母も、意識と無意識の間で、本気では無く、守れない事前提の出来レースに加担していた可能性は高いと思います。


冒頭の家族にしろ、私が育った家庭にしろ、両親ともに無価値感に苛まれる人達なのだと思います。

機能不全家庭は世代間で連鎖します。

その訳は、
虐待する父母もまた、親から虐待を受ける事が日常の家庭で育ったため、その虐待の世界しか知らないのです。

つまり、父も母も子供も、おじいちゃん、おばあちゃんも、おじさん、おばさん、いとこに至るまで、機能不全家庭しか知らない人達だからです。

しかし、配偶者は赤の他人な訳です。
母は機能不全家庭に育っても、父は全く違った環境で育った訳ですから、機能不全家庭の連鎖は途絶えても良さそうな気がします。

ところが実際は、機能不全家庭はかなりの高確率で連鎖すると思います。


その訳は、
無価値感に苛まれる人は、無価値感に苛まれる人と引き合う事が少なく無いと思われます。

コミュニケーションのひな型は、幼少期の親との関わりです。

機能不全家庭に育った子供は成長しても、社会に出ても、そのひな型を元に人間関係を構築します。

すると慣れ親しんだ感覚を持つ人と近くなりがちです。

愛情豊かな家庭で育った人もやはり同じで、慣れ親しんだ愛情豊かな家庭で育った人と親しくなる事が多い訳です。

機能不全家庭と愛情豊かな家庭とは、少し違うのではなく真逆の世界です。

例えば、
愛情豊かな家庭では、反抗期を迎えた子供に手を焼きながらも、子供の成長と捉えます。

機能不全家庭では、子供の反抗期を親への反逆、裏切り、と捉えます。
中には、幼少期から
「うちでは反抗期なんか認めない、反抗したらひどい目に合わせる。」
と度々擦り込む場合もあります。

成長と捉え、手を焼きながらも見守る親と、
裏切りと捉え、断罪する親は、
言うまでもなく真逆です。

私は以前の記事でも、
人生に於いて、何度も同じ様な逆境、何度も同じ様な陥れる人が現れるなら、
慣れ親しんだ事柄や人間関係と逆を選ぶ事すら必要かも知れない、と記しました。

それ程、幼少期に手にした人間関係のひな型は人生を左右します。

特に恋愛は幼少期の母子関係に似た、一体感を得ることが出来る蜜月の季節ですから、慣れ親しんだ感覚により一層惹かれるのだと思います。

愛情豊かな家庭に育った人は、
自分には価値が有るという意識と、
確かな【自分】という意識、
自他を分ける感情の境界線、
が明確です。

一方、
機能不全家庭に育った人は、
自分には価値が無いという思い込みが強い為、無意識に他者ともたれかかり合う関係性になり易く、

確かな【自分】という意識が育っていないため、対象となる人と自分を同一視しがちで、

感情の境界線が曖昧なため、対象となる人の感情と自分の感情が渾然一体となり、互いに直接的な影響を及ぼし合います。

これは、先に触れた幼少期の母子関係を現在の恋愛関係にそっくり置き換えて見ている状態と言えます。

機能不全家庭で育った人は、幼少期に必要な愛情を受け取れていません。

だから、恋愛関係は幼少期の母子関係の焼き直しになりがちです。


慣れ親しんだ感覚に惹かれ合い、生きづらい人は生きづらい人と結びつきます。


機能不全家庭に育った人は、人間関係に苦しみます。


自分の苦しみの原因である人間関係のひな型が、どういった成り立ちで、どんなカタチをしているのか、

それを知ることは、生きる上で

必ず助けになると確信しています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム

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