キラリ、光れば子育ては上出来
たとえば運動会の徒競走で、懸命に走る我が子の姿に、矢も盾もたまらず大きな声で、子供の名前を連呼する、頑張れと叫ぶ、
そんな光景は、とてもあたたかい、と思うんです。
世の中に、あたたかいもの、は沢山有りますが母が子を、励まさずにはいられない、という心情は、
最もあたたかく最も尊いエネルギーを放つもの、のひとつだと思っています。
徒競走で走る我が子は、まだ幼さを残しながらも、もう、幼いばかりではありません。
自分の脚で立ち、自分の脚で、もっと速くと駆けるのです。
無力ではもはや無く、自分で生きる逞しさが、いつの間にか備わりつつあります。
しかし、母親の脳裏には、赤ん坊だった頃の思わず指先で触れてみたくなるぷっくらと柔らかなその子のほっぺが浮かびます。
そんな我が子が、懸命に走ります。
あんなに小さかった我が子が大地を蹴って走ります。
その姿が母親には、頼もしくも、いじらしくも思えて、矢も盾もたまらず、
つい大きな声で、名前を連呼し、頑張れ、と声援を送ります。
大きな声を上げました。
声は駆けるその子の耳に届き、その子は、背中を押され、更に速く走れる様に感じます。
私は、そんな親と子の心情は、とてもあたたかく、尊いと思います。
子育てに正解は無く、どれだけ育児書を熟読しても、
どれだけ小児心理学や発達心理学の知識を積み上げても、
失敗の無い完璧な子育てなどありません。
親は、子育てに迷い、躓き、ぶつかり、転びながら、
子供に教えられ、子供と一緒に成長し、本当の意味での親になります。
例に挙げた、徒競走に於ける親子の心情ひとつ取っても、
親が子離れの段階を上手に踏めていない可能性はあります。
徒競走に出場する年齢の子供に、赤ん坊の頃のその子のぷっくらとしたほっぺの面影を重ねる事は、
順調な子離れの段階を踏んではいないのかも知れません。
我が子に送る声援は、行き過ぎれば、我が子可愛さの、えこひいき、に変わらないとは言い切れません。
上手にお伝え出来るかは分かりませんが、誤解を恐れずに言えば、
子育てに於いて、間違わない親はいません。
時に踏み越えて子供の心を傷つけます。
時に届かず子供の気持ちを汲み損ねます。
親も子も生身の人間同士ですから、教科書通りに事は進みませんし、
方程式は無いに等しいのです。
どうせ間違いを避けられないのならば、間違う方向について一つと、
忘れてはならない事を一つ、
合わせて二つお伝えしたいのです。
一つめは、間違えて踏み越えてしまう方向は、子供が寂しくならない方にして欲しい、という事です。
子離れの正しい段階を踏めていなくても、赤ん坊の頃の柔らかなほっぺの面影を抱いて、声援を送らずにはいられない母の思いは、子供に寂しさを感じさせる事は無い筈です。
子供の心が更に成長して、声援を受け付けなくなったなら、その時に子供の独立心の芽生えを喜べば良いと思うのです。
子供の心が親離れしていないのに、子供に分別を求めたり、子供に必要な注目、関心を寄せないよりも、
成長した子供に最後は、「ウザい。」と言われるぐらいで良いと思うのです。
たとえ、親の行き過ぎたあたたかさが裏目に出て、それがその子の目立つ弱点を形作ったとしても、
自分は親から関心を寄せられない、愛されない存在だ、と思い込んでしまうよりも、ずっと良い、と思うのです。
子育てを、冷たい方向に踏み外すと、子供は自分を無価値に感じ、生きづらさを抱えます。
同じ踏み外すにしても、あたたかい方向に踏み外すのであれば、仮にその子に我が儘だったり、デリカシーに欠ける面が目立ったり、短所と思える個性が目立ったとしても、
心に根源的な寂しさを抱え、生きづらさを感じる人にはなりません。
その子の人生を奪う事態にはならない、という事です。
二つめは、絶対に忘れてはならないのは、その子を一人の人として、尊重、する事です。
一人の人として尊重出来なければ、一つめに挙げた、間違うならあたたかい方向へ、のあたたかさが解りません。
解らなければ、あたたかい方向を探す事が出来ません。
子供を一人の人として尊重出来ない親は、一人の人として認めない、つまり、自分の所有物として子供を捉えます。
自分の延長であり、自分の従属物として捉え、コントロールします。
その親は、矢も盾もたまらず、声援を送らないではいられない、という心情が分かりません。
無意識に、計算します。
ここで声援を送ったらこの子は、どう感じどう行動するか、
大きな声を出す自分は、周りの父兄にどう映るだろうか、
愛情深い親に見えるだろうか、
子供を一人の人として尊重出来ない親は、同じ声援を送るにしても、矢も盾もたまらず、声援しないではいられない親とは、根っこから違っています。
あたたかく尊い景色を作る事が出来ません。
大人になれば、計算も入れば、何らかの意図を持って他者と関わる頻度は高くなります。
仕事場での人間関係、近所付き合い、親戚付き合い、ありとあらゆる人付き合いに、計算や意図やある種のコントロールが介入します。
だからこそ、上手な子育てではなくても、
沢山失敗するにしても、
矢も盾もたまらず、声援を送らずにはいられない親の心情を、その子に見せてあげられたなら、
その子は、キラリと光る大切なものを心に根付かせると思うのです。
それは、幼い子と母親の繋がりによってのみ、作られる、あたたかなもの、だと思っています。
その為に大切なのは、
子供を一人の人として尊重する事、
そして、踏み外す時は、あたたかな方向、です。
教科書通りに上手に出来なくても、
それだけで、子育ては、
上出来、だと思うんです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム